[本日の予定:朝から福井の咎めるような目。十中八九、紫原との関係について訊かれるはず。朝のあの短い時間だけで済ませられるだろうか、と不安に思うが、彼はその後いつも通り私に話しかけに来ていた。…いつも通り過ぎやしないか?]
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6話




「流石に話してもらうぞ」

登校するなり福井のもの言いたげな視線とぶつかった。朝練を終えた後なのだろうか、シャワーを浴びた後のように少し髪が湿っている。

朝練にわざわざ紫原が顔を出すとは思えないが、もしものことがあったとしたら彼は紫原から既に何らかの私の話を聞いている可能性もある。

…まぁどちらにしろ、もう隠しておくことはできないだろう。

「…すみませんでした」
「…まず、確認することがある。キセキを敬遠してたってのは嘘か?」

…紫原のあの呼び方と表情を見れば、誰もがそれを疑って当然なのだろう。

「…嘘じゃない」
「そこはそうなのか。じゃ良いや…なぁ、どうしたらあの問題児を懐かせられるんだ?」
「それには長いわけが……って、え?」

彼の発言が私の想定していたものと離れていたせいで、つい話しながら顔を上げてしまった。

敬遠していると言いながら、紫原が私を呼ぶ呼び方があんなに親しげだったのは何故なのか。
そもそも私は彼らを知らないような顔をしていたくせに、全く離れていた時間も距離も感じさせないような関係だったのは何故なのか。
────私達の間には一体何があったのか。

そんな過去のことを、訊かれると思っていた。

それが、どうしたら懐かせられるか、って…それじゃまるで、福井自身が彼を懐かせようとしているみたいじゃないか。
過去ではなく未来の話を、私ではなく福井の話を…しようとしているみたいじゃないか。

「どうやって…って?」
「あいつ、こっちがどんだけ歩み寄ろうとしても離れていきそうなとこあるだろ。でもあいつに苦手意識を持ってるはずのお前に対してはあんな親しげにしてた。つまり、あいつは自分に向けられてる感情とは関係なしに相手に懐く可能性があるってことで────そこにはやっぱなんかコツとかがあんのかなって思ってよ」

難しい顔をして、咎めるような顔と勘違いさせるような視線で私を見つめる福井。でもそこには、陽泉高校バスケ部副主将としての顔があるだけだった。

「…訊かないの、私と紫原のこと」

訊かれたくなかったはずなのに、ついそんなバカなことを口走る。福井は私の唐突な言葉を受けて、ふっと表情を緩めた。

「…お前が嘘をついてねえってのはさっき確認したから、あとはお前の話したいことだけ聞きゃそれで良い。根掘り葉掘り訊くのはめんどくせえだろ…お前も、俺も」

そんなことより紫原攻略のポイントを簡潔に説明しろ、と言う福井。

………そうか、それで良いのか。

「……あ、あのね、お菓子をあげると良いよ」
「菓子?」
「そう。お菓子をあげて、あとはとにかく褒める。何かをさせる時も、紫原は自分より強い人にしか従わないから、無理に強制するんじゃなくて提案するように話しかけること」

話しながら、じんわりと心が温まるのを感じていた。
多分福井は、本当に人の過去や確執にはあまり関心がないんだと思う。面倒だと言ったその言葉にも全く嘘や建前はないと思う。

でも、面倒だと言いつつ私の話したいことなら聞くと言ってくれたことが、嬉しかった。
面倒だと言いつつ私が嘘をついていないか確認してくれたことが、嬉しかった。

だってそれって、嘘をつかれたくないと思うくらいには私に関心を持ってくれている、のだと思うから。

自分の過去と未来視の話だけは福井にも…いや、むしろ大切な福井にだからこそできない話なので、結局その場で私が"聞いてもらうこと"はできなかった。
でも、秘密を全て話すことが友人の要件ではないのだと、今この瞬間に全身で思い知った。私も福井も互いのことをよく知らない。私が福井に自分のことを話せないように、福井にも私には話せないことがあるかもしれない。
それでも私の一番の友人は福井だと自信を持って言えるし、

「子供みたいだな、紫原…」
「それはこの数日で福井もよくわかったんじゃない」
「紫原対応で疲れた時はなんかこう…労わってくれ…」
「エナドリめちゃめちゃ買い溜めしとくね」
「俺お前のそういう間違った方向に走る親切嫌い…」

福井もまぁ、たまの暇潰し程度には私との時間を楽しんでくれているんじゃないかって、半年以上の時間が経ってようやく思えるようになってきた。

「…まぁ、そういうわけで敬遠はしてるけど仲があからさまに悪いわけじゃないし、私もいつかのあなたが言ったみたいにあの子が悪人だって思ってるわけじゃないから。今までみたいに気を遣って話題に上げるのまで避けてくれなくて大丈夫だし、仮に何か私にもできるようなことがあればお力添えしますよ」
「あー、マジか。じゃ週末買い物行こうぜ」
「ふっ、何それ全然関係ないじゃん。行くけど」

会話こそ冗談混じりだったけど、気にしないと言う私に対し福井はほっとした顔をしていた。それを見て、なぜだか私もほっとしてしまった。

────それから数日経った週末、早速福井の顔色が幾分か良くなったように見えた。

「最近調子良さそうだね」
「紫原の扱いが少しずつわかってきた」

流石福井、と内心で舌を巻く。彼の面倒見の良さや求心力はよく理解しているつもりだったが、正直こんなにすぐ掴むとは思っていなかった。

「とはいってもぶっちゃけこれはゴリラのお陰って言うほかねーんだけどな」
「キャプテンの?」
「あいつ、結構デカい声でやいやい言うから紫原も反抗しやすいんだよ。んで、一通り紫原がヘソ曲げたとこで俺が緩めの妥協案を出すと、意外とこれが乗ってくるってことがわかった。ゴリラには損な役回りをさせることになるけど、今のとこそれでなんとかやってくことになった」

成程、確かにそういうタイプは帝光の頃にはなかったかもしれない。あの時あったのは絶対的な支配関係だけで、福井の言うような剛と柔に分かれたフォロー体制なんて聞いたことがなかった。

案外、紫原には陽泉のスタイルが合っているのかもしれない。

「ま、友達になれるかって言ったら絶対ぇ無理だけど」

合っている…んだろうか?

「部活中に腹立つのはなんとなくわかるけど、普段は普通に良い子だよ」
「わかるけどわかりたくねぇ」

扱いを心得てもなお、手を焼いているんだろう。ふてくされたような福井の声に、つい笑みが漏れた。

「ところで明日は何を買うの?」
「服」
「あぁ、そろそろ夏だもんね」

もう1ヶ月もしたら、カーディガンを着るのには暑くなるんだろう。
夏は嫌いだ、不愉快なことを思い出させる。

床を蹴るバッシュの音、流れ落ちる汗の跡、途切れない歓声、それから、そっと足首を掴む絶望の気配。

キセキのバスケが完成したのは、去年の夏だった。楽しいとか一生懸命とか、そんな純粋な心を忘れた怪物達の遊戯。
あの頃は、コートに立つ誰もがつまらなさそうだった。負けた側も勝った側も、空虚な顔をしていた。圧倒的な力の前を前にして、その場にいた誰もが戦いを放棄していた。

────ま、今日もテキト〜に済ませときますか!
────つーかもうダルくない? 早く帰ろうよ


無邪気な言葉の刃。息をしているだけで勝てる程の力を得てしまったキセキの世代に、真面目にやれと言うだけ無駄だった。

そんなにつまらないのなら、辞めれば良かったのに。バスケが好きな人達を傷つける前に、仲間だったはずの人の心を殺す前に、さっさと立ち去れば良かったのに。

────バスケなんて…始めなければ良かった…!

そう言った"彼"の言葉を、私はきっとずっと忘れない。

────あなたに何がわかるんだ…!

そう言った"彼"の絶望した表情を、私はきっとずっと…忘れてはならない。

私はきっと、彼らとあんな風に関わるべきじゃなかった。私はきっと、彼らに何も言うべきじゃなかった。私こそ、ただ黙って立ち去るべきだったのだ。

「おい、冬子」

ぐるぐると過去の記憶が重くなってきた時、福井の声ががつんと頭を殴った。その瞬間、すっと視界が開ける。困ったような顔の福井と目が合って、自分が考え事に没頭してしまっていたことに気づく。

「どうしたんだよ、急に黙って」
「…いや、私は何を買おうかなって考えてた」
「せっかくだから俺が選んでやるよ」
「やだ、それ絶対やばいやつ選んでくるやつじゃん」
「パリコレモデルになったつもりで楽しみにしててくれ」
「ねえ聞いてる?」

福井はいつだって、塞がれた私の心にがつんと大きな風穴を空けてくれる人だった。今回だって無自覚に救われながら、私はいつの間にか笑顔を取り戻している。

こんな日だっていつか終わりが来るのだとわかっていながら、それでも視える明日にその瞬間が映らない限りはと、私は今日も過去と未来のどちらからも目を逸らす。












いや、逸らすとは確かに言ったけれど。

「…これは聞いてない」

その夜視た明日の姿は、なぜだか一緒に街を歩く私と福井と、それから紫原の図だった。

「いや…なんで紫原?」



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