[本日の予定:今朝は福井に数学のノートを貸すことになるらしい。そこで愚痴っぽい顔をしている彼も視えるので、まあ…次のテストか紫原辺りへの不満を聞くことにもなるだろう。その後は何もない日中の学校生活をつつがなく平和に過ごし、そのまま終われると思っていたら…放課後に私達2人が紫原と会う、などという要らないイベントが待ち構えていた。]
[進捗:000%]

5話




昨日、今日の夕方のビジョンを視た時にはどうしてそんなことになったんだとしか思えなかった。まあ考えたところで理由なんてわからないけど、おおかたバスケのせいだろうというのは予想がつく。

「はよー」

私の前の席の福井は、いつも通りの顔で挨拶をしてくれる。

「おはよ、一限の課題やった?」
「げ、んなもんあったっけ」
「あったじゃん、教科書の37ページ」
「まじかよ……冬子様、俺に交渉の場を設けさせてくれ」
「購買のわらびもちソフトで手を打とう」
「成立だ」

握手を交わしてから、一限の数学のノートを手渡す。福井は「サンキュー!」と嬉しそうに笑い、いそいそと自分のノートを取り出した。
良かった、昨日そうなることを視た後に慌ててノートを書き直しておいて。
完全な自己流でとっている私のノートは、基本的に人が読めるような構造にはなっていない。なので、こうして福井に貸さないといけない場面が来る前には、こうして該当する部分を清書しておくのがいつもの流れだった。

「最近多いね、課題忘れ」
「ちょいと忙しくてな。ってそれを言い訳にしちゃいけねーのはわかってんだけどさ」
「部活?」
「まーな」

副主将ともなればそれは忙しくもなるんだろう、と帝光時代を思い出しながら福井の身を案じる。自分の練習だけでなくチーム全体のことを考えなければならないその重圧は、チームが強ければ強いほどにその力を増す。

福井ほどに(バスケのみならず人の面倒を見ること全般について)才能のある人間だからこそその責を負ったというのはよくよく頷ける話ではあるものの、それにしたって今年は殊更にわけが違うだろうというのもまた納得のできる事実だった。

「…キセキの世代は一癖も二癖もありそうだもんね」

紫原という問題児を抱えながら、副主将を楽に務められるわけがないのだ。だってあの赤司でさえ、彼には一時困らされていたはず。

「いやまぁなんつーか…実力は認めるし悪い奴ではないんだけどよ」

わかるよ。

「どーにもやりづれぇんだよな、やる気ねーし…」

うん、それもよくわかる。

「あんなに恵まれてて、バスケのために秋田にまで来て、それでバスケが好きじゃないやりたくないってどういうことだ、って感じなんだよな」

そうだね…でも多分それって結局、彼はバスケを────

「まぁ結局あいつはバスケを嫌ってなんかない、ってことなんだろうけど…なんにせよあれじゃ部の士気も下がる」

────言うまでもなかった。彼は紫原のことを適切に理解し、その上で悩んでいたのだ。
そうだね、だから難しいんだよね。
福井は赤司とも、同じ副キャプテンという立場だった緑間とも違う。話に聞く陽泉のチームだって、帝光のチームとすら言えなくなった烏合の衆とは全く違う。
だから、何か…紫原にとっても、何かあの頃とはまた違った感情を生んでくれるのではないか、と…そう、期待しないことも、なかったのだが。

「俺…このチームでちゃんとあいつらのことまとめられっかな…」
「…大丈夫だよ、福井なら」

声に出せない言葉を全部胸にしまって、根拠のない笑顔だけを彼に向ける。
ごめん、私はちょっと、そうなる未来を信じられない。
信じられないけど、普通の人はきっとこういう時、明るい未来を信じて大丈夫だって言うんだろう。だから私も、そんな確証のない言葉を無責任に言った。

大丈夫っていう言葉は、別に未来を約束するために言う言葉じゃない。
その時その人を安心させるためだけに使う言葉だ。
…私が隠した気持ちになんて気づきもせず、福井は同じような笑顔を返してきた。

「…悪いな、朝からよく知りもしない奴の愚痴なんか聞かせちまった」
「愚痴じゃないでしょ。それは副主将としての立派な悩みっていうんだよ」
「なんだ、気持ち悪いくらい優しいな」
「…悪口は置いといて、これを優しさだって思うなら、多分福井の自己評価は不当に低いんだね」

だって私は、事実しか言ってないんだから。
福井は少しだけ目を見開いて、それからすぐにまたいつもの笑顔に戻った。

「…俺、嫁に呼ぶんなら冬子みたいなのが良いな」
「あー、私他人と暮らせないタイプだから」
「じゃあ別居を前提に」
「不束者ですが末永くよろしく」

こんな一瞬でデタラメにまみれた会話に逸れていくのも、福井となら楽しいって思えるんだから不思議だ。彼が悩んでいるのは相変わらず気がかりだったけど、隠し事だらけの私に言えることなんて何もない。せいぜい彼が悩み事を吐きやすいように、いつも笑顔でいられればと思うくらいだ。

結局昨日視た"朝から福井の愚痴を聞くことになる"という未来がその会話のことを指していたのか、と気づいたのは朝のHRが終わった後のことだった。










放課後になり、さて帰ろうかと机のフックにかけていた鞄を取った時、前の席の机の横にナップザックにもなりうる程の大きさの黒い巾着袋が掛かっているのを見かけた。

前にある、福井の席。
なんてことのない、ただの巾着袋。
なのに────それがその時私の目を引いたのは、

「こん中に部活中の備品がだいたい入ってんだよ」

…いつだったか、同じものを落とした福井に手渡してあげた時、そう言っていたことを思い出したからだ。
大事な部活の道具の割に扱いがぞんざいだ、と笑った記憶もある。

「………」

今、福井、部活中だよね?

「…………」

部活の備品ってなんだったか…と中学時代に記憶を飛ばし、テーピングやら着替えやら制汗剤やら…とにかく当日中に使うものばかりだったことを思い出す。

「……………」

多分、この袋の中にもそういったものが入っているのだろう、と、思う。

「………………」

一応、福井の携帯に電話をしてみた。しかし部活中とあれば当然、出ない。

「…………………はぁ」

仕方ない。誰に聞かせるでもない大きな溜息をつき、私は教室をあとにした。

向かう先は、体育館。

長い長い廊下を歩くが、途中誰ともすれ違うことはなかった。窓の外の桜の花はその脇に青々とした葉をつけながらも未だ辛うじて薄紅の残り香を放っており、静かな空間の中で唯一それだけが息づいて見えた。
時折こうして何もない空間を1人で歩いていると、無性に自分が今"命を燃やしている"のだと実感させられる時がある。こうしてただ無心に歩いている時間も私は少しずつ しかし確実に死へと向かっていて、私が将来何かをなしえるために必要なその"いつか"の時間は、この歩みが進むたびに失われていく。

…別に、何かをなす予定は今のところないのだけれど。

哲学者気取りの考え事は、暇を潰すのにちょうど良い。今だってほら、そんなことを考えているうちに第一体育館に着いた。

きゅ、きゅ、とシューズが床を擦る音が聞こえる。懐かしさにぎゅ、と心臓が掴まれた。

…東京を離れてから1年、避け続けてきた音だ。

体育館の戸は開いている。
中をこっそり窺うと、選手達は入り乱れて練習をしているところだった。シュートの練習だろうか。
どの選手も真剣そのものの表情で走っている。シュートの成功率や全体的な動きから見て、ここにいるのは経験の長い選手とレギュラー陣だろうか。初心者達はまた別の体育館でやっているのだと、福井から聞いたような気がする。かなりうまい人達ばかりなのに、何度も何度も走って、何度も何度もボールを放る。決めても外しても、ぐるぐると体育館を駆け巡ってもう一度。

……この人達は、きっと全てを懸けてバスケをやっているんだろうなぁ。

福井の姿も見えた。他の選手に指示を出したりアドバイスを与えたりしながら練習に参加している。
彼の動きのキレは、やはりというべきか群を抜いていた。速い。それでいて正確。視野が広く、シュートの成功率も高い。

まっすぐにボールを、ゴールを見つめる彼の表情は、普段教室で見るものとは全く違うものだった。真摯で誠実で、そして力強い信念が宿っているように感じた。

「…………」

無意識に唇を噛み締めていたらしい。痛みを感じてはっと我に返って初めて、私は彼らの姿を眩しく思っていることに気づく。

…あんまり、見たくない光景だ。

袋は監督か誰かに渡してさっさと帰ろう、と意を決した時だった。

「あれ、影ちん、どしたの」

後ろから間延びした声が聞こえてきた。

…そういえば体育館にいないと思った。

「紫原」

振り返って、名前を呼ぶ。既にTシャツに着替えていた紫原は気怠げに手を振りながら私を見下ろしていた。

「なんか用? あれ、それともここでもマネージャーやってたんだっけ」
「いや、福…副主将に忘れ物を届けにきただけ。同じクラスだから」
「あぁ、福井サン」

合点のいった顔で紫原が福井の名を呟く。まださすがにあだ名をつけるほどの仲ではないにせよ、彼がきちんと人の名前を覚えていたことに私は些かの驚きを覚えた。

と、同時に。

待て、これは完全に昨日視た今日の光景─────

「カントクー、福井サン今空いてるー?」
「遅れて来た第一声がそれか、紫原」

のそのそと体育館に入っていく紫原に、容赦のない荒木先生の怒鳴り声が浴びせられる。関係のない私までつい背筋を伸ばしてしまったが、紫原にはたいして堪えていないようだった。

「福井なら見ての通り練習中だ。もうすぐ休憩に入るから用があるならその時に済ませろ。そしてお前も次始まるまでに準備をして中に入れ」
「へいへい。でも福井サンに用があるのは俺じゃなくてあっち」
「あ?」

紫原が私の方を指し示す。それに沿って、荒木先生の視線もこちらに向いた。

「…水影じゃないか。福井に用か?」
「お邪魔してすみません…福井の忘れ物を届けに来ただけなので、後で渡していただければ…」
「ああ、じゃあタイミングが良かったな」

そう言って荒木先生はホイッスルを鳴らした。一時休憩の合図だ。
選手達はきりの良いところでそれぞれ動きを止め、水分補給のために体育館脇へと一度捌ける。

「え、冬子?」

福井はいち早くこちらに気づいたようだった。もっとも最初は遅刻してきた紫原に目を留め(デカいから否が応でも目立つ)、それから近くにいる私に気づいた、といった風ではあったが。

無言でひらひらと袋を振る。全てを察した福井は申し訳なさそうに唇の端を釣り上げこちらへと小走りにやってきた。

「悪いな、今取りに戻ろうと思ってたとこだったんだ。わざわざ持ってきてくれたのか」
「前に部活の備品って言ってたから、すぐにでも必要かと思って」
「さすがすぎるわマジ…」
「まあ、嫁ですから」
「別居中のな」

珍しく安心しきった顔で笑ってくれているのを見ると、本当に役に立てたようだ。
命を燃やして届けにきた甲斐があった、とこちらも少しだけ嬉しくなった。

と、そんなところで気を抜いたのがいけなかったんだろう。

「影ちんって福井サンと付き合ってんの?」

影ちん、と親しげに私を呼ぶその紫原の言葉に対して福井が見せた表情を、私はきっと向こう3年は忘れないだろう。

お前こそ、紫原とどういう関係だよ? という福井の驚きと疑問が、言葉にならずとも私にぐさりと突き刺さる。
この1年、彼らキセキの世代とは知り合いですらない体を装ってきたんだから当然といえば当然だ。

ここでもう少し口の巧い人あるいは社交性のある人ならばうまく切り抜ける術も心得ていたのだろうが、悲しきかな、そのどちらでもない私がパニックになった末とった行動は、

「付き合ってないよ、これはクラスメイトジョーク」

と紫原に言い、

「じゃ、福井、また明日ね」

と福井をかわして逃げることだけだった。

ああ、あの時すぐに退散していれば、この未来は防げたかもしれないのに。

その後視た"明日"には、早速福井に問い詰められているらしい私の姿が映っていた。
アーメン。



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