52話
「う〜〜〜〜〜〜〜ん…なめこ」
「ちょっと粘り気増してません?」
散々悩んだ挙句、コメントに困る評価を寄越してきたのは────福井だった。
今日私は、氷室と福井と3人で私の(そして氷室の)大学にある近くのカフェに腰を落ち着けている。
携帯を替える時、データは消してもいつか必ず来ると約束したその時のために、福井の連絡先だけは紙に書いて机の奥に忍ばせていた。
氷室と再会した夜、それを引きずり出して電話をかけてみると、驚いたことにワンコールで福井は出た。
『はい』
知らない番号からかかってきたのだから、彼の声が固いのは当然だ。
なのに、
「…福井?」
名前を呼んだだけで、彼はすぐ押し黙った。
『…………少しは自分のこと好きになれたかよ』
そうして僅かな沈黙を挟んだ後、相手が"私"だとすぐに気づいてくれた。
いきなり核心をついてくる福井は、泣きたくなるほど記憶の中の彼と同じ声をしていた。
「氷室君と会ったよ」
『は!?』
「付き合うことになった」
『…あいつマジで探し当てたのかよ…こわ…』
「………ありがとうね、福井」
私が氷室のことを好きだったという、あの時私とあなたしか知らなかったことを彼に伝えてくれて。
『────今週末、お前時間作れるか?』
「うん、土曜日なら」
『氷室も連れて来い。卒パの時言ったんだろ、"後で3人で話そう"って。その日がその"後"だ』
そう言われてその日は通話を終わらせたのだが、その次の土曜日に会った開口一番がこれだ。
多分、"自分のことを好きになれたか"という問いに答えなかった私に、福井は自分で答えを用意してきたのだと思う。
「なめこってどうなの、椎茸より上?」
「さあ…俺は福井さんのその辺のセンスを一度も理解できたことがないので…」
「一応上。滑らかだから」
「安直すぎでは」
福井は髪を少し切ったようだった。さっぱりして、よく表情が見えるようになった────のはそうなのだが、見えたところでその仏頂面は変わらないままだ。
「にしてもよくお前冬子のこと見つけられたな。俺でさえ1年かけて影すら見なかったってのに」
「福井は今どこに住んでるの?」
「あの電車で終点まで上ったとこ」
「あー、そりゃ会わないわけだ。私の生活圏ほぼここで完結してるもん」
「俺も通ってる大学が同じにならなければ会えなかったってことですね」
「もうそこまで来ると、運命の神様的なアレが助けてくれたとしか思えんな」
福井の言葉を受け、こっそり目を見合わせる私と氷室。
なんとなく、これは本当になんとなくなのだが────仮に通う大学が違っていたとしても、彼なら私を見つけてくれたんじゃないだろうかという予感が────頭を過った。
「あとそれ、会った時から気になってたんだけど」
と、そんな私の希望的観測など知らない福井は私達それぞれの耳元を指さす。
「それ、パーティーの日に冬子がつけてたやつだろ?」
「わかります?」
「わかるわかる。シェアすることにしたわけ?」
「はい、そうなんです」
再会した日、カフェの席に着くなり氷室はすぐ私の"ピアス"に気づいた。
一度はペンダントにしたそのパーツ部分を再び取り外し、今度はピアスパーツに付け替えたもの。
────氷室と再会した日、結果としてイヤリングが私の手元に両方戻ってきたのは素直に嬉しかったのだが、片方を既にペンダントに加工してしまった以上、もう片方の行方をどうしようかと迷っていた。
そこで氷室から提案された、「片方は俺が持っていても良いですか」という言葉。
「そのペンダントと合わせてもう一度イヤリングに戻しても良いんですけど。せっかくならまたどこか知らないところで落とすより、片方は俺に託してもらえたままの方が嬉しいなって」
「それは良いけど…でもそれ、どうするの? ペンダントにするにはちょっと女物っぽすぎない?」
「ピアス開けます」
「えっ」
氷室は私の許可を得た上でイヤリングをもう一度自分の手に収めると、「このパーツだけ取って、ピアスのパーツに付け替えます。ピアスなら誰がつけていても違和感はないでしょう」と言う。
「…なら私も開ける」
「え?」
「私ももう一回これをピアスにして、片耳だけ穴開ける」
「良いんですか?」
「だってそっちの方がお揃いっぽいじゃん」
────そんなわけで、福井も混ぜて会うこの日に、私達は揃いのピアスをつけて来ていた。
氷室は右耳。私は左耳。どちらも互いに相談することなく勝手に開けていたので、どちらの耳にするかとか、そもそも今日つけてくるかどうかとか、そういったことを私は一切知らなかった。
実際、彼の黒髪から覗く水色のピアスは、深い森の中で唯一光を放つ水晶のように見えて、とても綺麗だった。パーティーの日も思ったが、彼には青がよく似合う。
「…お似合いだよ、お前ら」
なぜか福井は呆れたようにそう言っていたけど、私達はどちらもなんだかそれが照れくさくて曖昧な笑みでしか返せなくなってしまった。
「冬子も…まあ、よく頑張ったな。正直大学卒業するまで音沙汰ないかと思ってたから、1年で連絡寄越してきたのは上出来だ」
「ありがとうございます副キャプテン…」
「俺はお前の副キャプテンになった覚えはない」
多分、それについてはほぼテツヤのお陰というほかない。
確かに私1人で乗り切ろうと思ったら、それこそ何年かかったものかわかったものではなかった。でも私が性懲りもなくまた迷う度、自分を否定しそうになる度、テツヤが励ましてくれた。
「…なんか、無理して東京行かなくても良かったかなって思った」
…そしてそれは、その前まではずっとこの福井がしてくれていたことだった。
彼はいつだって、誰よりも私の傍で私を守ってくれた。
氷室への感情とはまた違うが、彼は紛れもなく私の一番大切な友人だったのだ。
恩知らずなあの頃の自分が、ただ可哀想だと思う。
周りには既に友人も好きな人もいて、いつだって自分の殻を破る準備はできていたというのに────その恩恵を受けていながら、私はグズグズといつまでも一歩を踏み出せずにいたのだから。それで結局行き着いたのは、"誰からも距離を取る"なんていう極端すぎる結論。
浅はかだった。幼稚だった。どんな言葉を並べても足りないくらい、私は自分の恵まれた環境を知らなかった。
「…どうかな。東京行ったから変わった、っていうのは大いにあると思うぜ」
そしてしっかり私の被害を受けたはずの福井は、そんな時でさえ私の行動を肯定してくれる。
「まず秋田は大学少ねえし…黒子ともちゃんと仲直りできたんだろ。新しい環境で誰も知らないところに入って揉まれでもしなきゃ、お前は多分ずっと変わんなかったよ」
「うーん…まあそれはそうかもしれないけど…」
「んで、結局俺とも氷室ともこうしてまた会えるようになったわけだろ。あの時お前が何を考えてどんだけ錯乱した選択をしてようが、結果オーライなんだからもう良くねえ? 結局未来なんてそんなもんなんだよ。誰にもわかんねえし、収まるとこにしか収まんねえの」
────私の未来視を知らないはずの福井は、いとも簡単に私がずっと悩み続けてきていたことへの解を導いてみせた。
未来は確定している。そう簡単に変えられるものじゃない。
でも、それが"全て"ではないのもまた事実。
不確定な部分も確かにそこにはあって、その可変な未来をより良いものになるよう、人は今を足掻いていく。
後悔しないようにと何度も選択を重ねて、その未来を受け入れていく。
どれだけ回り道をしようと、どれだけ行き止まりにぶつかろうと、最終的には思い描いた未来を実現させられるように。
それがどのタイミングで来るかはわからない。どの場所で来るかもわからない。
今確定している未来だけでは、まだ到達することなんてとてもできないのかもしれない。
その道を絶たれることだって、一度や二度では済まないかもしれない。
それでも、信じ続けて。
僅かな不確定要素を変え続けて。
そうして、人は未来を永遠に追っていく。
「ま、いつか別れたら俺が盛大に笑ってやるからお互いちゃんと報告しろよ」
「やめてよ縁起でもない」
「そうですよ、そうなったらちゃんと俺のこと慰めてください」
「お前がフラれるの前提なのかよ」
「えっ、私フラないよ」
「わかった、付き合いたてのお前らに別れたらなんて言った俺が悪かった。もう収拾つかないからこの話やめ。それよりお前さ────」
こうして会話をしている分には、何も変わっていないように思うのだが。
福井はいつも通りいい加減だし、氷室は変なところで真面目だし。
それと同じで、彼らから見る私も感情が平坦で反応のツボがわからないキノコのまま、そう変わってはいないはず。
空白の1年でそれぞれが何を感じ、考え、行動していたか、私達は互いによく知らない。
でも、私ですら頭の中はこんなにも変わっているのだから、きっと彼らも彼らで色々な変化を起こしてきたのだろうと思う。
だって、先の見えない人生というのは…思った以上にスピードが速いのだ。
惰性で生きていては、あっという間に老いてしまう。
未来は待ってくれない。あっという間に今を過ぎ去り、その全てを過去に変えていく。
だから私はこの1年、何度もその"過去"が"今"にまだあるような錯覚を覚えながらも、必死で未来に食らいついた。助けてくれる人の力を借りながら、それでもなんとかここまで辿り着いた。
そうしたらそこでは────とっくに"過去"になっていたはずの人が"更にその先"にいて、待ちきれないと言わんばかりに私を呼んでくれた。
一緒に行こうと。一緒に進もうと。
だから、もう大丈夫だ。
私はもう、ひとりで全てを諦めるような私じゃなくなった。
呼んでくれる声を、引いてくれる手を、素直に頼れるようになった。
真っ暗な未来の中にも、キラキラ輝く奇跡は起きるのだと、信じられるようになった。
そんな今の自分のことが、前より少しだけ────ほんの少しだけ、好きになれた。
だから、もう大丈夫だ。
────確かに私達はちゃんと、歩んでいる。
誰も知らない、希望に満ちた未来への道を。
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