49話
春の終わり、「思い出をたくさん作ってください」と言ったのはテツヤだった。
それは確かに、テツヤから私に向けられた言葉のはずだった。
────それなのに。
なぜ────なぜ、こんな想いをしなければならないの────?
「キセキが全員集合してたとか、なんで教えてくれなかったのさ」
私は後日、そんな"思い出作りの場"に自分だけ呼ばれていなかったことを知った。
「え、いや、普通に嫌がるかと思って」
「嫌だけど思い出作りっぽいじゃん」
「…その成長が良いのか悪いのかだんだんわからなくなってきました…」
「あ、ごめん。そりゃあ思い出作り気分で臨んでたわけじゃないのは想像つくよ」
「そこじゃないです」
頭を抱えるテツヤなんて珍しい。
いつものマジバの席で、私達は定例会を開いていた。
その頃にはもうだんだん肌寒さを感じるようになってきており、世界も着々と冬支度を始めていた。
その日テツヤから聞かされたのは、なんと彼が先日アメリカのチームとの親善試合を行ったということ。
正確にはその親善試合でコテンパンにされた先輩達の仇を討つため、全国からキセキの世代が全員集合し、更にそこまで火神まで乗せてリベンジマッチをしたのだそうだ。
キセキが、再集合して1つのチームで戦った…?
それは、完全にチームとして崩壊し互いが互いを信用できなくなってしまった…あのあまりに無残な終わり方を最後に彼らの姿をまともに見ていない私にとって、些か信じがたい事実だった。
「敵としてじゃなく、本当に全員がチームとして戦ったんだよね。それで、勝ったって?」
「はい。みんなあの頃より格段に強くなって…そして、ちゃんと仇も討ちました」
テツヤの顔は満足げだった。ということは、そこには一片の嘘もないのだろう。
確かに去年の一連の大会で彼らも彼らなりに成長したという話はなんとなく聞いていた。しかも紫原については、その変化を近くで見守ってきさえした。
でも、未だに信じられない。
誰ともわかりあえないと諦め、誰よりもつまらなさそうにボールを放っていた彼らが、またチームを組むなんて。それだけでなく、アメリカというバスケの本場で鍛えられたかなりの強豪と思われるチーム(実際名だたる強豪校の主将クラスをボロカスにしたというのだからその強さは想像を絶するのだろう)を倒したなんて。
「…やっぱりちょっと見たかったな」
「すみません、こっそり呼べば良かったですね」
「いや、良いんだ。もう終わったことだから」
今更、彼らにかける言葉はない。
あるいは今の彼らとなら何か────やり直せるだけの"何か"を見つけられたのかもしれない、と思わない…わけではない。
でも紫原1人と歩み寄るのでさえあれだけの時間を要したのだ。それを全員と、なんて考えたら、それこそ私までバスケでぶつかるくらいの気概でいかないとそんな短時間では無理な話だ。そして前提として、そもそも私はバスケができない。
最初から、別にそんなに仲の良い間柄ではなかった。
ただ部員とマネージャーだったから、そこに然るべき関係があっただけで。
だから彼らの輪の中に今になってずかずかと踏み込もうとは思わない。
私も変わったの! 友達になろう! なんて言おうものならそれこそ余計に溝を深めるだけだ。
彼らとは、これで良かったのだろう。
私の知らないところでまたバスケを楽しんでくれるようになったなら、ちょっと嬉しいなという…思うところがあったとしても、ただそれくらい。
「もしあの子達と仲直りできる未来があるっていうなら、きっと然るべき時にまたその機会は来るよ。それこそWCとかね」
最近アイスからホットに変えたドリンクを一口含んでからそう言うと、テツヤの咀嚼が一瞬止まった。
「?」
「いえ、その…冬子さんも、随分変わったなと思って」
「そう?」
「はい。前も明るくなりましたねとは言いましたけど…より少し、希望のある言葉が増えたというか…なんかうまく言えないんですけど」
────もしそう思うなら、もしかしたら私は未来が視えないということに"慣れた"のかもしれない。
物心ついてからずっと視えてきた明日が突然視えなくなることで、私はきっと必要以上に未来を恐れていたんだと思う。ましてやその頃立て続けに私は人生の選択を迫られ続けていた。そりゃあその判断の是非を、もう答えてくれやしない未来に問いたくなるのも当然だ。
でも、あれから私も随分と色々な経験をした。部活だってそうだし、バイトだってそうだ。授業も受けていれば友達と試験対策の情報交換もする。
人と同じ目線で生きるという、ずっと願いながらも諦めていたことを今になってようやく実現できているのだ、とある日ふと気づいた私は、その時になって初めて、それまで無意識に縋っていた"特別"を本当の意味で手放すことができた。
未来は視えないもの。
だから人はそれがより良くなるよう、今を足掻くのだ。
────なんか、誰かにどこかで似たような言葉を言われたような気が、するのだけれど。
「氷室さんのことはどうですか?」
「うん、今も好きだよ。お陰でなぜか私大学で未亡人扱いされてる」
「未亡人、ですか」
「うん。元カレ引きずりまくってるのに変に達観してるからって。元カレじゃないのにね」
「え、ツッコむのそこで良いんですか…」
別に達観してるわけじゃない。
こちらは残念ながら、まだ生傷を負ったままだ。
幼い頃から傍にあった未来に頼ることはスッとやめられたのに、そんなものよりずっと後から湧いて出たはずの恋心はまだ綺麗に濾過しきれずにいる。
「正直、無性に連絡したくなる時とか普通にあるんだよね。あの雲、いつか氷室君が飛行機に喩えた雲とそっくりだよー、とか、このカフェ私達が通ってたところによく似てない? とか、そんなしょうもない時にばっかり」
「────連絡すれば良いじゃないですか」
「…こればっかりはね。自分で決めちゃったから」
あの時の私は正気でも失っていたんだろうか、と今でも思う。
大学に入って、色々な恋の形があることを知った。
片思いの相手に何度フラれてもアタックし続けている子がいた。
好きな相手から求められる唯一の手段として、体の関係だけ続けては泣いている子もいた。
高校生の時からずっと仲良く一途に付き合っている子もいた。
リアルタイムで、告白して成功した子の様子だって見たこともあった。
悲しい形で終わる恋が多いのはその通りだ。
波があって、必ずしも美しいまま保てない感情だという考えは今も変わっていない。
でも、今なら氷室の言うことが少しだけわかるような気がした。
…欲、欲、って水影さんは言いますけど、人間なんですから欲があるのは当たり前だと思うんです。その欲が少しでも綺麗な形を保ったまま相手の手に渡るように、欲を大切にして、尊重して────そうやってその瞬間にしか抱けない、他の誰でもないその人にだけ向ける"恋心"をぶつけていきたいなって…俺は、そう思ってます。
私は恋を"怖いもの"だとばかり思っていた。それが欲を孕んだ瞬間"悪いもの"になるとも思っていた。
でも、周りを見てみれば恋なんて抱いた瞬間から既に身勝手なものなのだと教えられた。
考えてみれば当然だ。人が人を好きになるなんて、頼まれてできることじゃない。
最初から私は勝手に、氷室の事情も望みも考えずに好きになっていた。
「たまにね、ちゃんと告白して、返事をもらってから東京に行けば良かったなあって思うこともあるんだ。あの時私はあの場から綺麗に消えたつもりでいたけど、肝心の私自身の中にここまで感情が残ってるんだもん。結局全然綺麗に消せてないじゃんね、っていう」
あの時私は、秋田を発つことを最後の逃げにしようと思った。
でも、本当はそもそもあの時逃げるべきじゃなかったのだ。
彼らの優しさに甘えすぎていた。福井は優しかったから私が行き先を告げずに行くことを許してくれたけど、人間として生まれ変わりたいと思うなら尚のこと、私にそこまでの思いを抱かせてくれた彼らにはきちんと最後まで向き合うべきだった。
そんなことにさえ今まで気づけなかった私は、本当に幼かったのだと思う。
「でも、それを選んじゃったのは私だからさ…今更連絡なんか、できないよ」
もうとっくに氷室は私のことなんて"そんな先輩もいたな"くらいの存在にしているかもしれない。そうでなくたって、今どれだけ後悔していようとあの時"彼の前から消える"ことを選んだのは私自身なのだ。だったら、どんなに考えが変わろうが、どれだけ時が経とうが、私は"彼の前から消え続けていないといけない"。
「…判断を後悔しないでください、ってそういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「わかってるよ。でも、もうこれ以上自分の都合で人のことを振り回すのはもう勘弁」
あの時は苦しい気持ちから少しでも解放されたくて"いっそ嫌いになってくれ"と思っていた。そうしたら、自分の方でも諦めがつくと思っていたから。
でも今は、この恋心を消せないことを受け入れた上で、なお"嫌いだと思われたって良い"と思っている。私はそれだけのことをした。それでも私は彼のことを好きでい続けるのだろうが、それこそ不義理な別れ方をした以上、私は甘んじてその責任を負わないといけないと思う。
「恋心を欲のないまま保つなんて、最初から無理な話だったんだよね。恋自体がもう欲にまみれたものだったんだから。だからもう、これを思い出にとか綺麗事は言わない。多分私はずっと氷室君のことが好きで、そうある限りずっと苦しいままなんだと思う。でももう、それもしょうがないって受け入れる。昔の自分の決断にはちょっと腹が立つけど、でもそれも含めて今の私を作っちゃってるわけだから…もうなんか、全部しょうがないよねって思うことにしたんだ」
会いたいよ。話したいよ。触れたいよ。
でも、自分からその手を離したんだったら、もう求めちゃいけないっていう…そのくらいは、わかるよ。
今まではその欲望を無理に閉じ込めようとしていたから苦しかった。
でもこれからは、その欲もちゃんと"大事な恋心"の一部に仲間入りさせてあげたい。その上で、でもそれは自分で手放したものなんだよってちゃんと言い聞かせてやりたい。
受け入れるとはこういうことなのか、と思った。
やっていることは同じでも、考え方が変わるだけで随分と楽になるものだ。
「…諦めちゃうんですか」
そうだね、それを諦めと呼ばれたら言い返せないけど。
「自分のことを少しでも好きになるためにね、自分の言動にはちゃんと責任を持ちたいの」
ずっとウジウジしてる自分も嫌い。
ここで掌を返して連絡するような自分も嫌い。
だったら、ようやく理解した"受け入れる"ということを実践するしかなかった。
「………」
テツヤは少し不服そうだった。きっと私が氷室のことを好きでいるというそのことばかり気遣って、私の事情ばかりを考えてくれているのだろうと思う。
そりゃあ、これで仮に氷室も同じくらい私のこと好きでいてくれたとしたなら、連絡した方が良いと思うけど。でもさ、そんなことは多分ありえないから。
だったら、私にとってはひとりでこの感情とお付き合いしていくことを考える方が、遥かに建設的だった。
「……じゃあせめて福井さんには」
「うん、もう少し私が私のこと好きになれたらね。今はまだちょっと強がって言ってるだけだから」
もう少し自然体にこの感情を消化できるようになったら。
人との関わりの中で、これまでも随分と自分の思考が凝り固まっていたことには気づかされていた。だからもう少し、もう少し時間が欲しい。きっとまだ、柔らかくできる部分が残っているはず。
「……なんとなく、未亡人って言われるのがわかった気がします」
「え、なんで」
「達観してるというか…こう、主人を亡くして悲しんでるのに空元気を出してる感じが」
ああ、あまりに言い得て妙というものだ。
思わず笑ってしまいながら、ふと窓の外を見やる。
もうすぐ、冬が来る。
彼の冷たい手を握って、根拠もなく"信じてる"なんて言った冬。
雪にさらされた彼の弱さが、そのままつなげた手を通して伝わってくるようで、こちらまで辛かった。
辛かったのに────私は、あの日の氷室が一番好きだった。
何かを返せたなんておこがましいことは思っていない。それでも、ずっと蹲って自分を否定し続けてきた私を無条件に包み込み肯定してくれた彼に、同じことができたのなら────私はあなたに肯定されてこんな気持ちになったんだよと伝えることができていたのなら────それだけで、幸せだと思った。
今年もきっと彼らは、東京へ来るのだろう。
最初から会う気などないので、私にはあまり関係のない話だ。
ただ。
「そろそろ帰ろうか」
「はい。…あ、何か落としましたよ」
「え? …あっ大変、財布開けっ放しになってたんだ。危ない…これ落としたら私の命も落ちるところだった。ありがとう」
「いや洒落にならない冗談やめてください。それ、すごく綺麗ですけど…イヤリングですか?」
「そうだよ。片耳分しかないし落としたくないからいつもはここに入れてたんだけどね。それでさえ落としてたら元も子もないや。もういい加減何かペンダントか何かに加工しないとかな…」
「そんなに…。余程大事なものなんですね」
「…うん、何よりも」
ただ、もしあの流麗な舞をもう一度見ることができたなら、と────心の隅で、そんな淡い期待が首をもたげていた。
ご存知の方がほとんどかと思いますが、純粋な原作本編とは違う話が出てくるので念の為注意書きを残しておきます。
冒頭部分の「アメリカ人との親善試合」は"黒子のバスケ EXTRA GAME"(原作続編)のことです。
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