[本日の予定:日中はいつも通り、福井とだらだら喋りながら義務的に授業を受けるだけ。そのまま平和に終わってくれれば良いものを────どうやら私は放課後、学校を飛び出すまでに時間がかかったせいであの紫頭と遭遇してしまうらしい。]
[進捗:100%]
4話
未来とはいっても、例えば古の予言者のように遥か何千年も先のことは視通すことはできない。私に視えるのはせいぜい翌日に起きる現象だけ、しかもその中でも自分が実際に経験することだけに限られていた。
明日が視える時は、いつも先程のように頭痛と貧血に似た症状が現れる。ずきずきとした痛みと、うまく呼吸ができなくなる症状。最初の頃はよくパニックも起こしていたが、今では頭痛の前兆が現れた時には大人しくその場に蹲るなり寝転がるなりして落ち着いた体勢を取って備えられるまでになった。
どうしてこんなファンタジックな機能がこんな平凡極まりない人間に搭載されているのかは、未だにさっぱりわからない。母も父も真人間で、今のところファンタジー小説の中以外で私のような突然変異を起こした人間を見たことがなかった。
ただ、私の未来視を知った母は私が7歳くらいの頃に、「あなたは小さい頃に交通事故に遭って、頭を強くぶつけてしまっているの」と言い、その力との関連性を疑っていることを明かした。私自身にその事故の記憶はほとんどないのだが、それこそ物語の世界でないならこんなトンチキな力が先天的なものとは思えないし、後天的に備わったものなら"頭を打った"という経験はいかにもそれっぽいなぁ…などと考えていた。
とはいっても小さい頃は、自分の力がそんなに特異なものだなんて思っていなかった。
なにしろ物心ついた時から当たり前のように私は明日の自分を視ていたのだ。
周りの子が昨日見た夢の話をするのと同じ感覚で、私は明日起きることを平然と喋っていた。
それが"気味が悪い"、"普通じゃない"と言われるようになったのは、確か小学生のそろそろ高学年と呼ばれる年に上がる頃だったと思う。
隣の席の女の子が教室に入る時転ぶ、音楽の先生が教材のCDと間違えて趣味のデスメタルのCDをかけてしまう……など、一つ一つは些細な戯言だった。しかしそれも必中の予言となれば話は変わってくる。
しかもその頃の私はとにかく無知だった。自分にとって未来が視えることは当たり前で、他人にとって視えない未来というものが何を意味しているのか、考えようともしなかったのだ。
だって未来なんて始めから決まっているんだから、それだったら知らないより知っていた方がお得じゃない? なんて、そんなことすら考えていたと思う。
映画の予告編を見たら本編を見たくなるのと同じ心理だと思っていた。未来の予告を断片的に視ていた私は当然、周りのみんなも明日の本編を知りたがるだろうと────それが当然なのだろうと、思っていた。
しかし運動会で自分の組のチームは最下位になる────そんな予言をした時、遂に私は真実を悟ってしまった。
「みんなでがんばってるのに、どうしてそんなこと言うの!?」
「なんかヤな感じ、わざと負けたがってるみたい」
「未来がみえるとか気もちわるい」
始まる前からそんな中傷が相次いだ挙句、結局その日の夕方私達の敗北が実現するとその火は更に勢いを増した。
「言った通りに負けて満足した?」
「冬子が余計なこと言うからぜんぜん楽しくなかった」
「冬子のせいで負けたんじゃないの」
人は未来が視えないからこそ希望を持ち、心を奮い立たせ、明るい色を描きながら歩を進めるのである。その未来を先に提示することがいかに残酷で、退屈で、前向きな気力を奪うものなのか────恥ずかしいことに、私はその時になるまで理解ができなかった。
未来が視えれば無駄な努力もしなくて良いし、嫌なことがあっても回避できるし、最良の選択を重ねていけると…本当に、そう思っていたのだ。
私は、"人間らしさ"をまるでわかっていなかった。
未来が視えないなんて不安じゃないの?
これから自分がどうなるかわからないなんて、怖くないの?
私はできるなら明後日だって明々後日のことだって知りたかった。でもどう頑張っても明日のことまでしか視えないから、仕方なく決められた明日を決められた通りに歩くだけに留まっていた。
それがどれだけ人としておかしいことなのか────この社会で生きていくのに不必要なことなのか。
「うわ、化物だ」
「悪い予言ばっかりしてくるやつだ」
「バケモノ〜」
悲しいことに、クラスメイトや友達だったはずの子、そして初恋といっても良かったはずの相手にまでそんなことを言われるまで、私はそんなことに全く思い至らなかったのだ。
だからそれからの私は、必死で自分の力を隠すことに力を注いだ。うっかり明日の出来事を喋ってしまわないように。昨日と明日を取り違えてしまわないように。
私はずっと、私の力のことを知られた時の周りの顔が忘れられなかった。私という人間らしくない人間ことを知られるのが、何よりも怖かった。
そうやって怯えながら中学に上がった頃、ある程度物の分別もつき、言って良いことと悪いことの区別がつくようになったその頃には、私は今度は逆に────自分の力を誰よりも嫌うようになってしまった。
明日が視えるのが怖い。だってどんな悪いことが起きても、私はそれを変えられないから。
明日が視えるなんてつまらない。だってどんな嬉しいことが起きても、私だけはそのサプライズに反応できず、喜ぶことより"それを知らなかった"演技の方に感情を傾けないといいけなかったから。
誰にもこの力のことを話さないと自分と約束したあの日以来、何度も私は独りでこっそり未来を変えようとした。
みんなの言うように本当に未来が不確実だというのなら、本当におかしいのが私の方だというのなら、きっと未来は努力次第で変えられるものなんだと────私が視ているのは、ただの選択肢のひとつのうちの一つに過ぎないのだと、そう思ったから。
誰も悲しまなくて良いように。誰も痛い思いをせず済むように。
努力次第で何かが変わるなら、明るい希望を持てるなら、私も"みんなと同じように"生きたかった。努力をして未来を変えたかった。視える未来に希望を持ちたかった。
でも、どれだけ努力しても視えた未来は変わらなかった。
隣の家の犬が異物を口に含んで亡くなってしまうという未来を視た翌日は、母親に無理を言って野菜を持たせてもらい、緊張しながらお裾分けと称してそのお宅を訪問した。犬が好きなふりをして、その犬が変なものを口にしないようずっと注視していた。
でも犬は、私がお手洗いを借りている隙に赤ちゃん用の積み木を喉に詰まらせて死んでしまった。
知らない小学校の知らない小学生が下校途中に階段の段差に躓いて転ぶ未来を視た翌日は、勇気を出して「危ないからちゃんと前見てね」と声をかけた。小学生は「だーいじょうぶだって!」と叫んだその途端、階段に躓いて転んで膝を擦りむき、泣き出してしまった。
思い出したらキリがなくなるほど、私は何度も何度も未来を変えようとした。
結局それで未来が変わったことなんて、これまで一度もなかった。
全てが無駄なのだ。
未来が視えたところで、誰かにそれを話すことすら許されない。
未来が視えたところで、誰かを助けることさえできない。
じゃあ、なんでこんな異常な力が私に備わってしまったのだろう。
誰も幸せにできない、それどころか私にとっては視たくもない不幸を二度も繰り返させるだけのこんな要らない力が、どうしてこの世に存在しているのだろう。
この力を好きだと思えたことはあれから一度もない。
明日を視る度に頭は痛むし、友達もできないし、自分の常識に一切自信が持てなくなる。
そして何より、私は自分のことがどんどん嫌いになっていった。
嬉しいことがあるのに喜べない。悲しいことがあるとわかっているのに避けられない。
物語の中の魔法使い達は、みんな自分の力を世のために使っているのに。
あの人達は、ちゃんと誰かの役に立っているのに。
私だけ。
私だけが、誰の役にも立てない。
私は魔法使いになりたかった。ステッキ一振りで誰かを幸せにできる、そんな魔法使いになりたかったのだ。
でもそれが叶わないというのなら、与えられた力が何の役にも立たないというのなら、せめて"普通"になりたかった。
普通が恋しい。普通に生きたい。
こんな要らない特別を背負っていつまでも自分を呪わなきゃいけないなんて、どうして神様はそんな残酷なことをするんだろう。
私は何度も泣いた。何度も絶望した。みんなが"自分なんてただのどこにでもいる平凡な人間だから"と謙遜する度、気が狂いそうになるほど羨ましくて仕方なかった。
────やがて私は、そうやって度々"害悪な特別"と"善良な普通"の格差に絶望することにすら疲れてしまった。
中学の───それこそキセキの世代が入学してきた───3年に上がる頃だろうか。その頃にはもう、全てを諦めようと思っていた。
未来なんて、どうせ変わらないから。
努力は無駄。感情も無駄。いちいちこんなことに煩わされていたら、いい加減本当に狂って自殺でもしてしまいそうだ。
だから私は、自分に降りかかる火の粉が最小限になるようにだけ努めることにして、他のことには一切関心を持たないことにした。皮肉なことに、そう考えることで少しだけ楽になっている自分がいたのも事実だった。
未来が視えるから、変に期待も落胆もせずに済む。私はただ決められた道を辿るだけで良い。その道中で誰かが泣いているのかもしれないが、誰かが傷ついているのかもしれないが、それだって全て確定事項なのだからもう仕方ないと諦めてもらう他ない。
人と関われば、自分の目を通してその人に起きることも視やすくなってしまう。その関わりが深ければ深いほど、沈黙を保つのが難しくなる。
そう思った私は、できるだけ人と関わることも避けるようにもなった。
もちろん、"普通の人間"に擬態している以上最低限の交流は保っていた。嫌われない程度に愛想は振りまき、怪しまれない程度にアドバイスだってする。
ただ必要以上に介入することだけは決してしなかった。
私は与えられたものをこなすだけで良い。試合結果なんてわかりきっているのにそれでも"未来を信じて頑張れる"プレーヤーの姿を見るのは少しばかり眩しすぎたが、下手に介入してそれまでの絶望をまた味わうことになるくらいなら、別にそのくらいなんということはなかった。
────それでもきっと、あの赤司だけは────私の異常性に気づいていた。
そうでもなきゃ卒業後にまで呼ばれる意味がわからない。彼らが入部して半年後くらい経った後に赤司からよく呼び出されるようになり、戦略の相談や対戦相手の偵察に同行させられるようになったあの日々は、私に未来を視通す力がなければ決してありえなかったはずのことだ。だってそれ以外のことにおいては、私はそれこそ悲しくなるほど"普通"だったのだから。
そう、この力さえなければ私は死ぬほど望んだ"普通"でいられたのに。
────とまあ、そんなこんなですっかり今や省エネ人間と成り果ててしまった私は、ひとまず明日は平凡な日になってくれそうだと安心した心地で立ち上がった。しかしまだ頭痛の余韻が残っていたらしい、ベッドから起き上がった瞬間に立ち眩みを起こし、倒れまいと無意識のうちに近くのものに全体重をかけてもたれてしまったせいで思い切りサイドテーブルに乱雑に置いていた紙の束を床の上にひっくり返してしまった。
「うあー…」
直近のものなら教科の小テスト。昔のものなら陽泉の入学案内まで…さっさとしまうなり捨てるなりすれば良かったそれらの書類を"面倒だから"と言ってはサイドテーブルに積み上げていたのだ。
この機会に処分しよう。もう一度溜息をつき、私は仕方なく散らばった書類たちに目を通す。
小テスト。要らない。
家庭訪問の案内。要ら…いやこれ一週間前に見せないといけなかったやつだ。要る。
また小テスト。要らない。
そして小テスト…多いな、全部要らない。
陽泉高校の案内パンフ。懐かしいが、これも要らない。
ほとんど要らない書類ばかりだったことに自分で笑いながら、次に手に取ったのは────
皺ひとつない、綺麗な白い封筒だった。
「────…」
宛名部分には、まだ東京に住んでいた頃の住所と"水影冬子様へ"という自分の名が記されている。
よく知っている、うまくはないが丁寧な文字。
「……」
ひっくり返して、差出人の名前を確認する。
"黒子テツヤ"
……そういえば、この手紙に返事、してないな。
消印は2年前の夏。ちょうど全中が終わった直後のことだ。
私とキセキの世代が一番派手に衝突して、そのまま喧嘩別れした後のこと。
テツヤは、キセキの崩壊が始まってからもずっと私の味方でいてくれた。
きっと彼の存在がなければ、私はとっくに未来に絶望し自殺でもしていたことだろう。
そんな彼とも、あの日私は────決別してしまっていたのだ。
お互いに冷静ではいられなかった。あれこそ、本意ではない喧嘩だった。
向こうもそれは同じだったらしい、私が部に顔を出すことを辞めたとわかるや否や、彼はこうしてすぐに謝罪の手紙を送ってくれ────謝罪の────あれ?
封筒を開いて中身を覗いたが、テツヤが誠心誠意を込めて書いてくれたはずの後悔と謝罪が綴られた便箋は、なぜかそこに入っていなかった。
「…ない」
捨てるわけはないのだが…どこか別の場所に保管したのだろうか?
あの手紙を受け取った私は、すぐ返事をするという簡単なことすらできなかった。
それだけ自分も傷つき、彼らを傷つけたという自覚があった。
テツヤの方がずっと大人だった。こうして形にして私に歩み寄ってくれていたのだから。
でもあの時の私はまさに異常だった。
精一杯守ってきた"普通の生き方"ですら壊れてしまった私にとってあの瞬間は、まるで世界に完全に独りだけ締め出されたかのような被害妄想でいっぱいだった。
何もできなかった。何も手に着かなかった。返事を書くことなんて、とてもできなかった。
…その後逃げるようにこっちに来て、福井という────これはまた長い話になるのだが────彼という友人を得たことである程度冷静さを取り戻した私は、多分どこかのタイミングで返事を書こうとしたのだろう。しかし机に向かって便箋を抜き取り読み返したところで、あの必死な謝罪に今更何と返したら良いのかわからなくなって、そのままどこかへやってしまったのだろう。
自分の杜撰さに頭が痛くなる。明日の視えない、単純な頭痛だ。
近いうちに大掃除をしようと思った。それで必ずテツヤからの手紙を探し出し、返事を書こう。
テツヤは、私にとってある意味"特別"な存在だった。
彼とは家が近かった関係で帝光中に入る前から交流があって────と、いけない。その話を思い出そうとすると、今の私にはやはりかなりのストレスがかかる。
この話は手紙の返事を書く時か、あるいは────そんな日が来ないことを祈るばかりだが、もしキセキの世代との確執を誰かに話さないといけないような日が来てしまった時に、また改めてじっくりと思い出そう、と思う。
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