45話




「水影さんが…俺を…好き…?」
「大方お前の方が先にあいつのこと好きになったせいでその辺鈍ってたんだろうとは思うけど、あいつはお前のことが好きだったよ。多分、夏を過ぎた頃から」










彼女に対して抱いていた漠然とした感覚の名前が"恋"だと気づくのには、福井さんが言った通りそう時間がかからなかった。

きっかけなんて些細なことだった。
ある日、彼女と偶然放課後一緒に帰っている時、彼女は遊具から落ちそうになっている子供を助けたのだ。
────それだけの、たった小さなこと。

でもその"小さなこと"を取り巻く、たくさんの葛藤と悲しみと諦めと…そして自己否定────彼女の細い体にいくつものしかかったそんな背景を知った時、俺はこの人が自分にとって、今まで関わったことのある誰とも違う"特別な存在"なのだとはっきりわかってしまった。

もちろん、あの時興味本位で「未来が視えるんですか」なんて踏み込んだことを訊いてしまったことについては、今でも少し後悔している。あの全てを予測していたような動作は、アメリカで未来予知の研究をしている友人が何度かシミュレーションとして映像化させていた人間の動きととてもよく似ていたので、つい配慮するより先に言葉が出てきてしまったのだ。
案の定、彼女には相当不審がられるような目で見られた。彼女にしては相当キツいことも言われてようやく、俺はこの問題が彼女にとってどれだけ大きいものなのかということを想像する。

もし自分が未来を視ることができたとしたらどうしただろう。
友人は言っていた、「未来は過去によって既に決められているものであり、今どう努力しても変えることのできないものだ」と。
もちろんそれが、彼の仮説にすぎないことなんてわかっている。
でももし、本当に未来は変えられないものなのだと、幼い頃からずっと思い知らされ続けてきたとしたら。

今必死で努力しているこの行動の全てが、無駄になるとしたら────やはり"悲しみ"とか"怒り"とか、そんな簡単な言葉では片づけられないほどの"憤り"を感じるんだろうか。
自分にとっては当たり前に"変わらない"未来を、周りが根拠もなく"変えられる"ものと盲信しているとしたら────それはとても滑稽な姿に映るんだろうか────あるいは、それならどうして自分だけがこんなに未来に絶望しなければならないのかと、やり場のない感情に苛まれるんだろうか。

────想像したところで思い至ったのは、そんなありきたりなことだけだった。
どれだけ思いを巡らせてみても、"想像を絶するだろう"ということしかわからない。仮に彼女が本当にそれだけの孤独感を抱えていたとして、俺がそれを一緒に体感することはできない。

でも、全く逆の立場からなら────すなわち、"未来が不確定であるが故に未来に絶望したことのある"俺にとっては、ひとつの感情では片づけられない憤りも、やり場のない自責の念も、よく理解できる感情だった。

「…で、私がその変な力を持ってる人間だって言ったら研究対象にでもするつもりだったわけ?」

だから、

「言い出したのは俺ですから、聞いたその責任は当然持ちます。あなたが黙っていてほしいと言うなら黙っていますし、逆に誇らしいと思うならたくさん話を聞かせてください。いずれにせよあなたが望む以上のことは何もしないつもりでした」

彼女のそんな意地の悪い言葉に"疑いたくなるくらい模範的な答え"を返したのは、紛れもない俺自身の本心だった。
考えたところで、彼女の気持ちはわからない。彼女がどんな風にその"珍しい個性"と共に生きてきたのか、そればかりは本人が聞かせてくれないと…想像すらできない。してはならない。だってそれは、彼女がその18年で育て続けた"彼女だけの想い"なのだから。

「個性は誰しもが持っているものでしょう。たとえそれがどんなに珍しいものでも、本人以外の誰かがどうこう言えるようなものじゃないと思うんです」

そう、外野が何と言おうが、彼女にとって未来視とは"共に生きてきた"ただの個性なのだ。
バスケに愛された人間が、他の人間とどんどん実力を引き離しながら才能を開花させていくことを、"たくさん練習したから当たり前だ"と当然のものとして笑えるように。
バスケを愛した人間が、どれだけ努力を重ねても天井を感じてしまうことを、"才能に恵まれなかったからだ"と当然のものとして諦めていくように。

未来を視る人間が、どんな気持ちで生きているのかは知らない。ただ、未来を視る人間にとっての"未来"が、"昨日見たテレビ番組の再放送"とほぼ同じものであることは、少し考えればごくごく自然な当たり前のことなんじゃないかと、そう思った。
そりゃあ、確率で言えばなかなか同じ境遇の人間は見つからないかもしれない。
でも俺の前にいるこの人は、校舎で迷っている後輩がいれば簡単に手を差し伸べ道案内をし、遊具から落ちそうになっている子供がいれば怪我をしてでも助けるような、どこにでもいる"親切な人"だった。

そんな人を、"人間じゃない化物"だと思うことなんて、とても俺にはできなかった。

でも、彼女にとってはそれはとても"違和感のある"言動だったらしい。
それまでの問答からほぼ確定している彼女の"未来視"を話してくれる時の、彼女の顔は────まるで何かに縋るような、まるで誰かに命を託すような、そんな慎重さと恐怖に満ちていた。

────思わず、守りたいと思ってしまうほどに。

最初から綺麗な人だとは思っていた。
少し浮世離れした雰囲気も、まだ若干の距離を感じる話し方も、全部が全部気になって、何度でも会いたいと思うようになっていた。

その理由を知って────彼女が世界を遠ざける理由を知って、俺は気づいてしまったのだ。

一縷の望みを懸けて頼ってくれたこの人を、助けたいと。
立場が違うとはいえ、いつか同じように未来に絶望した俺自身も一緒に連れて…彼女に明るい未来を視せてあげたいと。

ああ────あの時の俺は、なんて身勝手だったんだろう。
でも、どれだけ身勝手だと言っても、どれだけ自分本位だったとしても、その時の俺の感情は紛れもなく"恋"と名付けるに十分相応しい特別性を持ってしまっていた。

目を離せないほど綺麗だと思ってしまったこの人が、最後に頼ってくれたのが俺だったというのなら、俺は全力でそれに応えたいと。
俺だけが、彼女の理解者でありたいと。











「…知ってたんですね、俺も水影さんのことが好きだったってこと」
「あんなもん一発見りゃわかるだろ。逆によく本人に気づかれなかったなって、そっちの方が学園七不思議レベルで俺は気になるわ」
「いやー…俺もです。正直ずっと告白の機会は狙ってましたし、結構わかりやすいようにアピールもしてたつもりだったので…」
「んー、まあお前がそうやって冬子に献身的になってたそれが、逆に悪い方向に行っちまったってことは否めないな」
「え?」
「あいつがお前に黙って秋田を発った理由、お前のことが好きだったからだって言われて納得できるか?」
「できません」
「即答かよ。────まあもうここまで言ったから全部話すけど、あいつにとって、恋って…怖いもんなんだとさ」
「…怖いもの?」
「あいつ曰く、"好き"には波があるから、どれだけ燃えても必ず冷める時が来るんだと。せっかく抱いたあのキラキラした気持ちが消えてなくなっていくのが怖いらしいぜ。勝手に憧れてるだけなら何も望まないから、それはただの"キレイな感情"で済む。でも恋をして、相手にも自分を好きになってほしい…っていう欲が絡んだ瞬間、それはあいつにとって"醜悪で分不相応な望み"になるから、それが許せないってそんな感じのことを言ってた。…あいつらしいっつーか、キモいよな」
「そういえば…俺も水影さんとそんな話を、したかもしれません」
「まじか、じゃその時に悲恋小説の読みすぎだって言ってやりゃ良かったのに」
「…ほんとですね」










彼女はとても、優しい人だった。

人が嫌いだとか、自分が嫌いだとか────彼女はよく世界を恨むようなことばかり言っていた。いつかどこかで本人も言っていたが、彼女はとにかく後ろ暗いことばかり口にしていたのだ。

でも、それが不思議と嫌ではなかった。
むしろ彼女が見ている世界の汚い部分が、どう見方を変えれば綺麗に見えるのか────それを考えることは俺にとって決して苦ではなかったし、それを考えるうちに自分でも知らなかった世界の美しさに気づかされることも多々あった。

きっと彼女は最後まで知らなかったのだろう、俺がどんな想いで彼女が嫌う彼女を全て肯定してきたか。

俺にとって桜の木の下にいた彼女がどれだけ綺麗なものに見えていたかということを、俺は結局最後まで上手に伝えきれなかった。
彼女が"普通の人間に擬態しただけ"と簡単に言い切った行動の数々がどれだけ"十分特別な優しい行い"だったかということを、俺は結局最後まで上手に理解させられなかった。

多分、きっかけ自体はただの一目惚れだったんだと思う。
幻想的な景色の中で出会ったちょっと綺麗な先輩、そんな少し非日常感のある経験が錯覚させてきた、一時の気の迷いだったとすら言っても良い。

なんなら、その後で自分の異能の話をしてくれたあの人から目を離さないと決めたことでさえ、"これは恋だから"と思い込んだ自分の勘違いから起きたことだったのかもしれない。

でも、一緒にいる時間が増えていって。
たくさんの話をする機会もあって。
そんな日常の中で、俺は心の底からどんどん彼女に惹かれていった。

IH後、俺の言葉なんて全く聞かずに学校へ駆けつけ福井さんを案じていた彼女を見た時には、なんて友達思いな人なんだろうと感心した。
夏休みに東京へ行った時、初めて未来を見ている彼女を見た時には、どうしてこんなに痛ましい姿をしているのに強がるんだろうと、心から心配になった。
買い物中に白いワンピースを試着して恥ずかしそうに立っている彼女を見た時には、ああ…今でも思い出す、本当に可愛らしくて、そこらにある服を買い占めたくもなったっけ。

でもその夜には、そんなわくわくとした気持ちが全てどこかへ消えてしまうほど、悲しい彼女の過去を聞いた。

未来が視えるが故に、いつまでも利用され続けていた水影さん。彼女も決して"望まずやっていたわけではない"と言っていたが、彼女があそこまで優しくなければ、きっと卒業後のタイミングなり、キセキの世代の様子が変わってきたタイミングなり、好きなところで綺麗に縁を切れていたことだろう。

必要以上に相手の立場を思いやってしまうせいで、堂々と言う権利があるはずの"個人の意見"も"部外者の野次"と一蹴された途端尻すぼみになってしまう。そうして半端な距離を詰めることも離すこともできないまま、結局彼女は大きく傷ついてしまった。

あれについては…聞いた限りでは、誰が悪いとも思わない。ただ"わかりあえないものたち"が"わかりあえなかった"という、それだけだ。
でも彼女は皮肉なことに────わかりあえない未来を誰よりもわかっていながら、いつかそれでもわかりあえるのではないかと、淡い期待を捨てきれていなかった。
そのせいで、決定的にわかりあえないものとの間に深い溝ができた時、彼女は逆に極端なまでに世界を締め出してしまった。
"わかりあえない人もいる"のではなく、"もう誰ともわかりあえない"と、悲しい勘違いをしてしまった。

そんな彼女に、俺はただ手を握るということしかできなかった。
優しい人。全て自分の責任にしてしまう人。未来に絶望していながら、未来を知らない他人を誰よりも信じようとしてくれていた人。

「普通の人が羨ましくて、気が狂いそうになる…」

あの時、泣きそうな顔をして絞り出すようにそう言った彼女の言葉を、俺はきっとこれから先、一生忘れないだろう。
それは、誰よりも俺がよく知っている感情だった。求めているものは真逆でも、決して手に入らないものへの渇望。周りにはそれを軽々と手にしている人がいるとわかっているのに、自分だけは絶対に届かないのだと思い知らされる絶望感。
特別が欲しかった俺と、普通が欲しかった彼女。そこに何の違いがあるんだろう。

だから俺は、その時だけは彼女の気持ちをよく理解できた。
気が狂いそうになるのは、その恨みをどこにもぶつけられないと知っているからだ。
ぶつけてはいけないと辛うじて理性が働いているから狂い"そう"になっているだけで────本当は、世界が大嫌いで、憎くて、いっそのこと完全に狂って爆弾でも何でも落として全てを殺してしまいたいと思うくらい────激しい感情がそこにはある。

そんなことがあったなら、もっとアツシのことをわかりやすく遠ざけていたっておかしくないのに。

あなたはどんな気持ちで、また目の前に現れたアツシと付き合っていたんですか。
違和感は確かにありました。でも、「ちょっと苦手かなあ」なんていうレベルで片づけられるような、小さな確執じゃないですよね、それ。

この人はもっと、素直に人から愛されるべきだと思った。
そしてできることなら、俺がその役を担いたかった。
俺じゃ言葉が足りないのはわかっている。この人が紡ぐ魔法のような言葉は、俺には扱えない。

でも、だからこそ俺には、真正面からストレートに伝えることしかできなかった。
何があったって俺はあなたのことが好きです、と。
その"好き"がどんな意味に捉えられたって良い。決してそのどれも間違いじゃない。だから────とにかく、好きだというそのことだけを、シンプルに伝え続けようと思った。

水影さん、自分に絶望するその気持ちだけは、俺にもよくわかります。
だから俺が認められない俺自身の分まで、あなたは認められてほしい。
俺が好きになれない俺自身の分まで、あなたを好きになりたい。

その時にはもう、誰がどう見たってわかるほど、俺はこの人に惚れ込んでいた。










「それにしても全っ然気づきませんでした…水影さんまでもが俺のことを好きだったなんて」
「それはまあ、うん。あいつは元々わかりにくい奴だしな」
「なんで福井さんは知ってたんですか?」
「本人が言ってきたからだよ」
「えー…」
「つーかさ、あいつそのこと、どのタイミングで言ってきたと思う? マジでバカだと思うんだけどよ、紫原と喧嘩した日あったろ。俺ともちょっと気まずくなった日」
「はい」
「あの夜に言ってきやがったんだよ。俺が怒るんじゃないかってビビッてたくせに、仲直りした途端"私、氷室君のこと好きみたい"って────いやそんなことだろうとは思ってましたけどこのタイミングですか? って危うくマジレスするとこだった」
「……成程、そういうことだったんですね」
「何が成程なんだよ」
「実はその直前、水影さんには好きな人とかいないんですか、って問い詰めてたんです」
「何してんだよお前、人が悩んでる間に」
「いや…すみません。その頃にはもう落ち着いて、明日になったらちゃんと福井さんと話す、福井さんならわかってくれる、って言ってくれてた後だったんで…ちょっと気になったついでに訊いてしまって」
「まあ良いや。んで、あいつそれになんて返した?」
「急にしどろもどろになって、結局教えてくれませんでした」
「自爆してんじゃねえか…」
「まさか俺のことなんかを好きになってくれるとは思わなかったので…」
「お前も大概自己肯定感低いよな。なんつーか、"事実"としてスペック高いのは認知してるけど謙虚が過ぎるっつーか…? 俺、たまにお前と冬子は似てるなって思ってた」
「……そうですね、そういう意味では俺もそう思いますし…そのお陰で俺はあの人に助けられてばかりでした」
「…と、いうと?」



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