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43話




パーティーの場でも、うちのバスケ部面子はよく目立っていた。
岡村は「レギュラーみんなで会いたかった」と言っていたが、諸先生方はもちろん、様々な参加者から声を掛けられていた彼らは(実績も見た目も華やかなのが多いので目立つことにはもう疑問すら覚えない)、あっという間に散り散りに引き裂かれ、ようやく彼らが落ち着けたのはパーティーが始まってから一時間も経った頃になってようやくのことだった。

「すごいですね…こんなに注目されたのは初めてかもしれません」

未だに視線を集めながら、些か疲れた面持ちの氷室が体育館の隅にいた私の隣にやって来た。私は最初から彼らが解放されるまでここで待っているつもりだったので、彼の方から私を見つけて来てくれたのは偶然と幸運に恵まれた結果だ。

「WCの時なんかプロの取材ですら入ってたのに?」
「いや彼らはプロですから…こう、距離感が…」
「ああ…下手に同じ学校の生徒だから嫌になるくらいグイグイ来るのね」
「まあ…その…ありがたいことなんですけど…」
「ふふ、良いよ。別に無理に良い人にならなくて」

確かにこうも辟易している彼を見るのは初めてかもしれない。わかりやすく困った顔をしながら、話しかける機会を窺う女子生徒の視線をわざとらしく躱す彼の姿は新鮮に見えた。まあこんな私でも一応女子生徒。ミーハー心だけで近寄ろうとする者にとっては、ある程度の人避け効果くらいは持っているのかもしれない。
不躾な視線だけは感じながらも、私達の間に割ってまで入ってくる生徒はいなかった。

「水影さんは、この春から東京に行くんですよね」
「うん」
「…教えてくれないんですか、どの大学に行くのか」

…正直、この瞬間までその質問が出てこないことの方が私にとって不思議なくらいだった。
今まで何でも────誰にも話したくないことでも────彼にだけは全て話してきた私から"進学先"という一見なんてことない"普通の情報"が出てこないことについて、彼は彼なりに"特別な理由"があるのではないかと、気を遣っていてくれたのかもしれない。

「言っても多分、わかんないよ」
「場所なんて調べればすぐに出てくるじゃないですか。俺も来年は受験生ですよ。IHとかもありますし、東京に行く機会はたくさんあるのにその時どこにいるのかわからなかったら…会いに行けないじゃないですか」
「………」
「────まさか、今日が最後だなんて言わないですよね?」

少しだけ彼の口調がきつくなる。私ならそんな不義理なことだってやりかねないと思っているのかもしれない。ご明察ではある。

でも例えばここで……「あなたのことが好きだから離れるんです」と言ったら、氷室はどんな顔をするんだろう。そんな考えが一瞬頭をよぎる。

上手に嘘をつけない自分が今日ばかりは憎い。最後じゃないよと笑って言えたなら、私なんかのことを慕ってくれた優しい子を安心させることができたなら、私もきっともう少し晴れやかな気持ちでここを去れただろうに。

「水影さん、好きです。これからも変わらず、お会いしたいです」

────黙っていたら、唐突に氷室はそんなことを言い出した。
私を引き留めるつもりなのだろうか。何度も聞かせてくれた"私を肯定する言葉"。人としての尊厳を自ら深い沼の底に貶めていた私を、水面まで引き上げてくれた言葉。

「ありがとう、氷室君」

あなたの"好き"と私の"好き"は違う。
違ってしまう以上、やはり私は彼と一緒にいられないのだと再認識する。

「氷室君に会えて、私、だいぶ変わったと思う。氷室君は私にとって何でも話せる、何でも託せる大切な人だよ。いつか福井と比べられたこともあったけど、私からしたら氷室君こそ誰とも比べられないくらい大切って思ってる。氷室君のお陰で私は未来を信じられるようになったし、昔ほど自分のことが嫌いじゃなくなった。だからすごく感謝してるの」

そして彼は、私が一生知ることのできないはずだった感情も、教えてくれた。

「っ…そんなの俺だって同じです。あなたがいたから俺は自分を嫌わずにいられた。あなたが俺を受け入れてくれたから、俺は"俺"でいられた。迷った時も、立ち止まった時も、あなたが俺を救い上げてくれたんです。感謝をしているのは、俺の方です」

彼の言葉の真意はよくわからない。私はただ彼にもたれかかっていただけなので、そんな風に彼を助けられたなんて思えない。
でも、少なくとも嘘をつかないこの誠実な人がここまで言ってくれるなら────そんな彼が、そこまで思ってくれる程の何かをもたらせたというなら、それはとても嬉しいことだと思う。

「だから水影さん、はぐらかさないで聞いてください。俺はそんなあなたと、これからも一緒にいたいんです。そりゃあ、物理的に一緒にいるのが無理なのはわかってるんですけど…」
「…そうだね」

何がそうだね、なんだろう。

「秋田と東京っていう離れた場所でも良いです。なんならアメリカと日本ほど離れていたって良いです。俺は、これからも水影さんと色んな話がしたいです。色んな話を聞きたいです。強いところも弱いところも、全部お互いに腹の内をさらけ出して、綺麗なところも汚いところも見せあって、笑ったり泣いたり────今までみたいに、そうやって変わらずこれからも傍にいてほしいんです」
「うん」

私も、そうしたいとは思ってるよ。

「水影さんは俺にありがとう、って言ってくれてますけど、俺からしたら水影さんからもらったものの10分の1もまだ恩を返せてません。伝えたいことの100分の1も伝えきれてないんです。だから────」

別に、あなたとはこれきりだなんて、私からあなたには一度も言ったことがないんだけどな。

「────俺の前から本当にいなくなるなんて、どうかそれだけは言わないでください」

それでも彼は、そんな私の心の内なんてとっくに想定していたようだった。

「…うん、言わない」

ごめん、ずるいのはわかってる。嘘をつけない私が、嘘じゃないギリギリのラインで本音を隠してしまうそのことを、許してほしいなんて思わない。

だから。

「実は進学先はまだ福井にも話してないんだ。後で3人で少し話そうか。とりあえずごめん、ちょっとお手洗いに行きたいから、その間にまた人混みに紛れちゃったら適当に福井と合流してて」

そんな優しい願い事を、私のような人間にかけないでほしい。

"誰にでも優しくできる"あなたの時間を少しでも私のために割いてくれた。それだけで十分だ。
どうかもう、私のような人間と過ごしたつまらない一瞬のことは、早々に忘れてほしい。
彼の大切な人生の中に、これ以上私の存在を残したくない。

"私と違って"永遠の愛を抱けるあなたには、"私じゃない誰か"とその愛を契る方がきっと幸せになれるはずなのだから。

────本音を言っちゃえばそんな未来、想像したくなんてないよ。
私だって一緒にいたいよ。彼が私だけを見ていてくれたら良いのにって何度も思ったよ。

でも、そう"思ってしまった時点"でもう私は自分で決めたラインを越えたことに気づいてしまった。

やっぱりダメだ。私は自分の欲を相手にラッピングして渡せるほど美しく昇華させられない。この不均衡はいずれ、私自身を滅ぼす。きっと私はまた、自分のことが大嫌いだったあの頃の私に戻ってしまう。

最後まで自分本位だったままの私を、いっそ嫌いになってほしい。
私は勝手に綺麗な思い出にするから、あなたはその思い出を他のガラクタと一緒に部屋の隅にでも放っておいていてほしい。

ぐっと、覚悟を決める。
その話を出されたら"終わり"だと、はじめから決めていたから。

まだ何か言いたげだった氷室に半ば無理やりジュースの入ったグラスを押し付けると、私は早々に会場を出た。

"後で話そう"、その"後"がいつ来るのか、私は結局彼に言えなかった。

向かう先はもちろん、お手洗いなんかじゃない。

「────もう行くのか」

体育館を出てすぐ左手にあるトイレを素通りし、着替えを置いた家庭科室の方へ向かおうとするその道中、廊下の反対側からそう声をかけてきたのは福井だった。

「…福井」
「参加してない後輩からちょっと呼び出しくらってたんだわ。ここでお前と会えたのは良いタイミングだったな」

福井の様子はいつも通りだった。怖いくらい冷静で、平坦だった。

「…うん、もう行く」
「氷室は?」
「会場に残してきた」
「何か言われただろ。あいつがそう簡単にお前とサヨナラするとは思えねえんだけど」
「…ごめん、アフターフォロー任せた」
「はあ?」

あからさまに嫌そうな顔をされたが────福井は、"全て受け入れてくれていた"。
そんな不機嫌そうな表情さえ、日常の中でよく見せるそれと同じものだったのだ。

私がバカなことを言った時、呆れたようにツッコむだけ。
ただそれだけのことと同じように、福井はこの瞬間も「めんどくせえな」と言う。

「極力無難に躱すけど、氷室がその後何しようが俺は知らねえからな」
「え…何それこわ…」
「うるせえよ。日本なんてアメリカ育ちのあいつには狭くて仕方ねえだろうし、見つかっても俺に文句は言うなよ」
「それはわかってるけど…」

口を尖らせながらも、あまりここで時間は使いたくないと冷静な自我が忠告してくる。
戻りが遅くなって、福井とも合流できずにいる氷室が外に出てきたら、今度こそ逃げられなくなる。

「とにかく、私はこれでもう氷室君のことは"思い出"にするから。福井は…またいつか、連絡するね」
「おう、待ってる」

福井もその意は汲んでくれたらしい。
まるで「また明日」とHR後に簡単な挨拶を交わすように、そう言って彼は会場の方へ歩き出した。

あ、でも、待って。

「福井」

少し離れた彼の名前を呼ぶ。

いくら"また明日"と言える関係だったとしても。
いくら"また会える"と信じられる関係だったとしても。

「あ?」
「…ありがとうね、1年半。福井があの時私を助けてくれたこと、ずっと忘れない」

この気持ちだけは、今ちゃんと伝えなきゃ。

「………何気持ち悪いこと言ってんだよ。そういうしみったれた感謝は同窓会の時にとっとけ」

福井はそう言って笑った。私の大好きな、たまに見せてくれるとても優しい笑顔だった。

「まあでも、俺もお前と一緒にいんのは好きだったよ」
「私も!」
「じゃ、気をつけろよな」
「うん、またね」

今度こそ、私は福井に────そして氷室に背を向けて、ひとり家庭科室に戻る。
さっき本物のお城のパーティーのようだ、と言われたそれが嘘のように、校舎内は静まり返っていた。
人の気配がないのは当然だ。今学校に残っている者は全員パーティーに参加しているし、参加していない者はとっくに下校しているのだから。

途中、職員室に寄り「忘れ物をしたので」と家庭科室の鍵を借りた。誰もいない教室に入り、暗い室内の電気をつける。
自分の名札をつけておいた段ボールを机の上に持ち出し、私は身に着けたドレスを脱ぎ始めた。

────これで本当に最後だ。

このドレスの出番もおしまい。靴を履くのもおしまい。思い出全部に蓋をして、私はまたイチからやり直していく。

ドレスを脱いで、制服を着る。この制服だって、今日帰って脱いだらそれでお別れだ。
全部、さようならなんだ。

これは私が決めたこと。寂しくないといえば嘘になるが、後悔はない。

そう思いながら最後に氷室からもらったイヤリングを外そうと左の耳に手を添えて────

「えっ…」

私は、つい誰もいない家庭科室で声を上げてしまった。

────────ない。

そこについていたはずの、水色のイヤリングがない。

慌てて右耳に手を当てると、そちらには軽やかなストーンの感触があった。
ひとまず片耳分だけでもあったことに安心しつつ、家庭科室内をよく調べる。段ボールをひっくり返し、横開きの扉の隙間にも這いつくばって目を凝らす。

しかし────左耳のイヤリングは、どこを探しても見つからなかった。

会場のどこかで落としたのだろうか。十分ありえる話だ。
ただ、あれを探すために戻ってしまえば今度は私が旅立てなくなる。

「………ごめん、氷室君」

せっかくこの日のために探してくれたのに。
私は彼の心のこもったプレゼントを、片方なくしてしまった。

…思い出さえ、全ては持って行けないのか。

仕方なく、私は右耳のイヤリングを外し、今度こそなくしてしまわないよう財布の中に大切にしまった。そうしてドレスと靴を、家から持って来た時と同じように大きい紙袋にしまい、半分になってしまった思い出と共に家庭科室を出た。

学校を出るまで、結局その後誰にも会うことはなかった。

校門を通る時、最後に一度だけ振り返る。
ここからでは体育館の様子はわからない。きっとまだ、談笑している生徒達の明るい笑顔で賑わっているのだろう。
福井は大丈夫だっただろうか。随分適当にフォローを任せてしまったので、後から氷室にあれこれ悩まされるようなことを訊かれていなければ良いが。

ごめんとか、ありがとうとか、いくら言っても言い足りない人達。
悲しいことも、楽しいことも、いくらでも思い出せる学校。

────そんなみんなに、さようならを。



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