[本日の予定:日中はいつも通り、福井とだらだら喋りながら義務的に授業を受けるだけ。そのまま平和に終わってくれれば良いものを────どうやら私は放課後、学校を飛び出すまでに時間がかかったせいであの紫頭と遭遇してしまうらしい。]
[進捗:070%]

3話




彼を最初に見て思ったことは、「しまった」だった。人混みから逃れるのに必死で、当初の目的であったはずの"彼との出会いを回避する"ことを忘れていた。

「えっと…そうだ、立てるー?」

紫原敦、キセキの世代の一人。彼はぶつかった私を案じて優しく手を差し伸べてくれた。
思わず無防備に顔を上げてしまったところで、彼の目が僅かに見開かれる。

「…影ちん……?」

ああ、逃げられなかった。
"予定通り"私は彼に出会い、そして彼も私のことをしっかり覚えていた。

「……ひ、さしぶりだね、紫原」

仕方なく、溜息をつきたいのを堪えて言葉を返す。紫原の驚いたような表情は一瞬で砕け、嬉しそうな満面の笑みに変わった。

「うん久しぶりー。陽泉にいたなんて知らなかった、すげー偶然じゃん。えーと…今3年?」
「そう」
「懐かしいなぁ。黒ちんとは会ってる?」

構える暇もなく出てきたのは、やはり聞きたくなかった過去の知己の名前。

中学の頃から、彼は私がついてほしくない部分を狙ったかのように鋭利な針でつついてくる子だった。私が彼を良くも悪くも無邪気といったのはこういう意味でもあるのだ、すなわち彼のそういった言動には全く悪意がなく、だからこそ性質が悪いのだと。

「……会ってないよ、全然。あの子は元気にしてる?」

黒ちん…いやテツヤの話は絶対にしたくなかった。"いろいろあった"キセキとの確執の中でも特に"いろいろあった"この話は、思い出すだけで新鮮さを失わないままあの時と同じように心をしくしくと痛めつける。
しかし私のそんなささやかな機微になど気づくはずもなく、紫原はううんと首を振った。

「黒ちん、3年の全中が終わった頃からあんま学校も来なくなってたし、一応卒業式では話したけど正直わかんない」
「そう………」

再会を純粋に喜んでくれているらしい紫原は、口角を上げたままずっとにこにこと笑っていた。そんな顔をしてくれている人にまさか"あなた達のことが苦手なので早く解放してください"なんて言えるわけもなく、私は自分の心を誤魔化したまま彼の笑顔を自分の表情に反射させる術を模索していた。

「俺、影ちんが秋田行っちゃうって聞いてちょっとだけ寂しかったんだよー」
「ああ…ごめんね、父の転勤が急に決まったから」
「俺らが入部した時、影ちんはちょうど一軍のマネージャーだったじゃん? そんで卒業した後も赤ちんのサポーターだっけ、とにかくよくうちに来てたじゃん? だから俺、もうすっかり影ちんは俺らとずっと一緒にいるもんだと思っててさぁ」

ああ、嫌なことばかり思い出させる。ここに福井がいなくて本当に良かった。それだけが救いだ。

そうだ、私は帝光時代、バスケ部のマネージャーだったとも。

しかも彼らの入学年に私が担当していたのは一軍プレーヤー。
軍が上がればそれだけ練習が過酷になっていくプレーヤー同様、私達マネージャーの仕事もそれに比例するように増えるので、私達は私達で軍ごとに始めから担当領域が決められていた。
彼らが入学してきた時の私の担当が、たまたま一軍だったのだ。
しかしそれは別に珍しいことなんかじゃない。さつきちゃんのような特技を持つ者は別として、一番手慣れてテキパキ仕事をこなせる3年が一軍の担当になるのは全員納得の上で慣習化していたので、私と彼らが顔を合わせるのは彼らに才能がある限りむしろ当たり前のことでさえあった。

イレギュラーがあったとすれば、紫原が今言った通り────卒業後も私が顔を出していたということ。
普通ただのマネージャーが卒業後にまでプレーヤーの練習にああだこうだ口出しをするようなことはまずない。それはもうマネージャーを超えた、それこそ"コーチ"とでも呼ぶのに相応しい者だ。
しかし私は、卒業後も呼ばれてしまった。

今後も週一で構わないので顔を出していただけませんか。

3年が卒部していくタイミングで掛けられた、最初から拒否させる気など微塵も感じさせない絶対王者の言葉が脳裏を掠める。
私はただ、ただの一般マネージャーとして与えられる仕事を黙々とこなしていただけなのに。迷惑にならない範囲で、目立たないよう"普通の地味で何の取り柄もない人間"にちゃんと擬態していたはずなのに。

何の因果か、私は卒業した後も…それこそ彼らの最後の全中が終わり、秋田への引っ越しが決まるそのタイミングまで、私は彼らのマネージャーを務めた。

"キセキは有名人だし知ってる"なんて、そんな生温い関係じゃない。
私は"一番近く"で、彼らの成長と────崩壊を、見て来ていた。

ああもう、こっちに来てからは"帝光出身ですがキセキのことはよく知りません"ってスタンスでやってきていたのに、これじゃあ全部台無しだ。
せめてうちに来てくれたのが緑間とか赤司みたいな話の通じるタイプだったらまだ良かったのに…いや、やっぱり赤司は嫌だな。怖い。

「…ところで、紫原はなんで外から学校に戻ってきてたの?」
「ああ、ちょっと忘れ物しちゃって。下校中に戻ってきたの」
「成程ね……。じゃあ私はもう帰るけど、紫原も帰りは気をつけて。あんまり買い食いばっかりしちゃ体にも財布にも良くないからね」
「はーい」

母親の言うことを素直に聞く子供のようだ。紫原の背中を見送りながら、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じていた。
────本当のことを言えば、彼ら個々人の人間性が嫌いなわけではないのだ。
ただ私は、彼らのいる世界が、彼らの迷い込んだ道が、自分の思う正義と相容れないというそれだけの理由で、彼ら…"キセキの世代"という概念を疎んでいる。
天才には天才の苦悩があるというのはよく聞く話だ。きっと彼らにも私には理解しえない主義主張があるのだろう、ということは頭でなら納得している。

しかしそれだけでは、私の感情までは納得してくれなかった。私の感情はそんなことよりも、過去の記憶を繰り返し再生することで私に彼らへの嫌悪感を抱けとしきりに促してくる。

…これから同じ学校に通うのに、あまりネガティブな感情ばかり増幅させたくはないのだが。頭を振ってなんとかそれ以上の悪口を思い浮かべることはやめ、必死で明日の課題のことを考える。しかし勉強のことになど大して集中できるはずもなく、気づけばすぐに私の頭は先程まで会話を交わしたあの鮮やかな紫に染まるのだった。

なんとなく自分に失望しながら重たい足を引きずり帰路につく。
紫原がバスケ部に入部したら、どこかのタイミングで十中八九福井に私のことを話すんだろうな…。福井がなんとなく私に事情があることを察してくれているのはわかるが、それにしても過去のことはあまり知られたくなかった。
あの頃はみんな、幼すぎた。"わかりあえないものたち"はどこまで行っても"わかりあえない"という、ただそれだけの単純なことを私は理解できていなかった。

今もまだ、私と彼らが決定的に決裂してしまった日のことをよく覚えている。
そう、私達は最後まで"わかりあえなかった"。
これでも最初の方はうまくやれていたと思う。でも、残酷な才能はそんな私達にいつまでも優しい顔をしていてはくれなかった。
周りを置き去りにしていくほど加速度的に覚醒していく5人の後輩達。その技術の成長速度には、周りだけでなく彼らの心でさえついていけていなかった。
動いてしまう体に精神が追い付かない。自分のことで精一杯になり、他の誰かを気遣えない。チームスポーツであるはずなのにその肝心な"チーム"が瓦解していく様を、私はずっと"外側"から見ていた。

あの時、彼らに何と声を掛ければ良かったのだろう。そのことが、今でも悔やまれる。
私達がようやく言葉を交わし合ったのは、もう全てが壊れた後のことだった。もう取り返せない、何も元には戻らない、そんな行き着く先まで行ってしまった後で私達は意味のない言い合いをした。お互いの正義を、お互いの是とする価値観を、リンクすることなどないとわかっていながらぶつけあった。その様の、なんと哀れだったことか。

結局そんな無意味な口論が丸く収まるわけなどなく。
喧嘩別れのような形のまま、私は結局東京から離れてしまった。

だから、もう二度と彼らに会うことはないと────そう、勝手に思っていた。

もそもそと夕飯を食べ、だらだらと風呂に入り、ベッドに倒れ込みながらこれからの暗い未来を憂う。
紫原の調子は、まるであの時の確執なんてなかったことのように軽やかだった。
彼はいつもそうだ。散々悪意のある言葉をぶつけておいて、時には暴力的なやり方さえ持ち出しておいて、時間が経つとけろりと忘れているのだ。最初から彼にとってそれは"悪意"ではなく、ただ"その時思ったことを思ったまま言っただけ"でしかないから。

私はこれから、彼とどう付き合って行けば良いのだろう。

溜息をつきながら目を閉じると、そのタイミングでずきずきと切り傷が広がるような痛みが頭に走った。

「…」

呼吸がだんだんと浅くなる。体を伸ばした姿勢だと辛いので、私はベッドの上で丸くなってその"頭痛"に備えた。
痛みの中で、閉じた眼裏に浮かぶのは、何枚もの写真を連続で視ているかのような"イメージ"たち。

最初に視えたのは平凡な授業風景。外の桜は早くも葉がつき始め、私はそれを寂しく思う。福井はいつも通り元気で、他にもたくさん友達がいるのに境界線のこっち側へ来てくれる。放課後になれば私はまた一人で帰宅して、大人しく課題をやり、眠りにつくのだ。

まるで短い動画を切り貼りしたかのような映像が頭の中に広がると、それは煙のように消えた。
目を開けた時にはその残像も余韻もない、痛みすら嘘のようになくなっている。

明日は特に何もない一日になりそうだ、と私は安堵を禁じ得なかった。一昨日、昨日とあまり良い"未来"が映されなかったせいで、翌日が来ることを嫌がり寝不足気味になっていたのだから。





────そう、私が実際に話を聞くより早く紫原の入学を知っていた理由。今日彼と会うことさえわかっていた理由。

そして、凡夫だったはずの私が卒業後にまでマネージャーとして呼ばれ続けた理由。
そもそも私が人との付き合いを疎んでいる理由。

その全てが、今視たこのイメージに起因している。






………私は、"未来"が視える人間だった。



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