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38話




「未来が視えない…ですか?」

翌日、氷室と行きつけのカフェで落ち合う。実のところ彼はあの深夜帯にでさえ今すぐにでも行きますと言ってくれていたのだが、今度こそ現実的に無理だったので明日会ってくれないかと頼んだのだ。
正直、あんな時間に自分本位な相談のため電話をしてしまったことを後から少しだけ悔いた。しかし会った時の氷室の心配そうな顔と────「一番に頼ってくれて、嬉しいです」という言葉に、私はまたしても救われた。

「ここ一週間なんだけど…どれだけ待っても明日が視えなくて」
「一週間っていうと、ちょうどアツシを庇ってくれたお陰で怪我をしてしまった日ですよね」
「うん。ちょうどその日から」

氷室は何事かを考えているようだった。その様子に何か思い当たる節でもあるのかと、私は縋る思いで彼の言葉を待つ。

「……だいぶ前の話になるんですが」

ようやく口を開いて出た言葉は、そんなものだった。

「前の話?」
「覚えてますか? 水影さんが初めてその個性の話をしてくれた時、俺は友人の言葉を借りて"脳にショックを与えればその力はなくなるかもしれない"と言ったこと」

ああ…もうあれは半年以上前の話になっていた。
最初の頃はそれを信じて無駄に私を驚かそうキャンペーンなんてやってたっけ。いつの間にかその話は自然消滅していたので私もすっかり忘れていたが、氷室はそこにヒントを見出したようだった。

「水影さんがその力を手に入れたのは、幼い頃交通事故に遭ったからかもしれない、って仮説がありましたよね。そしてそれと同じレベルの衝撃を加えれば、脳はまた今まで通りの…何の力もないただの人間に戻るかもしれないとも」

────そうか、そういうことか。

期せずして人生二度目の交通事故に遭ってしまった私。しかもあの時は、何を考える暇すら与えられない本当に危機的な状況の中にあった。

脳に過度な負荷を与えるには、十分すぎる条件が揃っている。

「もちろん友人の言葉は未だ憶測の域を出ません。これという根拠もないし、ただ彼は脳の構造からそうかもしれないという弱い仮説を立てただけです。だから俺もそこまで本気では言えないんですが…」

でも、タイミング的にはぴったり合う。
本当に、私はあの事故をきっかけに能力を失ってしまったのだろうか。

「しばらく様子を見てみましょう。それでなくともここ最近、水影さんにとってはストレスの多い出来事が増えてましたし…一時的に脳が休みたがっているだけ、という可能性もあります」

彼の言うことは正しいように思えた。
きちんとその言葉のひとつひとつを噛み締めながら、神妙な顔をして頷く。

「…今、どんな気持ちなんですか?」
「え?」

彼の言葉に納得しているところだが。
少し飛躍した彼の質問に、私はすぐ答えを返せなかった。

「俺、今まではその力がなくなったなら水影さんは幸せになれるんだって思ってました。俺からしたらあなたのその力は他にない素晴らしいものだと思ってましたけど、そのせいで何度も苦しめられてきたあなたの話を聞いていたら、疎んで当然だって。だから俺もあなたと一緒に、その力を消し去る方法を考えてきました」

うん、それはよくわかる。
彼はいつだって誰よりも私の理解者で、協力者だった。

「でもなんだか…今、あんまり嬉しそうじゃないなって思ったんです。昨日電話をくれたのも、俺は嬉しかったですけど…水影さんは電話の時間帯とかかなり気を違う方でしょう。それなのにあんなに焦って心配そうに未来が視えない、って言ったあなたから、幸せそうな気配は全く感じられませんでした」

…氷室の言うことは、正しかった。

そう、私はずっと嫌っていた未来視を失って、今とても不安になっている。
明日がわからない。未来がわからない。
ずっと求めていたはずの"当たり前"は、私にとってはすっかり"異常事態"になってしまっていた。

「…もしかしたら、この間紫原を庇ったせいかも」

それは、長い長い積み重ねの末に手に入れた小さな希望だった。

未来は思っているより不確かで、だからいくらでも変えられてしまう要素があって。そんな不安定な足場の、たった一歩分でも私が知ることができていたなら、私は初めて"誰かのために"その呪われた力を使えるかもしれないと、そんなことを考えていた。

悪い予言ばかりをして嫌われた私。
大切な結果を伝えられなかった私。
自分の"個性"を受け入れられず、逃げてきた私。

そんな私でも、誰かを笑顔にできる日が来るかもしれないなんて…そんな明るい夢は、あの日生まれて初めて見たのだ。

だってあの日、私が一瞬でも足を竦ませていたら紫原は事故に遭っていた。
結果は確かに変わらなかったかもしれないけど、陽泉のみんなは全員それぞれの思いを抱えながら全力で走り切れた。

別に、彼らの努力に私が貢献したなんて傲慢なことを言うつもりはない。
でも…でも、少なくとも私は"変えられる未来"を視過ごさずにいられた。"行動次第で未来は変えられる"と言ってくれた周りの言葉を、ようやく信じられるようになった。

そのお陰で、私は────自分の力が、前より確かに好きになれそうだと、そう思っていた。

今まで誰かを傷つけてしまった分、今度は誰かを救えるかもしれないと。
今まで視過ごしていたあらゆることに、目を向けられるかもしれないと。

そんな都合の良い未来を、こともあろうに私自身が思うようになってしまっていたのだ。

だから、未来が視えないという事実は私にとって、それまであったものがなくなったことによる"未知への恐怖"なんて単純な範疇を超えた不安と失望をもたらしていた。

…まさか自分でもこんな風に思う日がくるなんて、予想もしてなかったけど。

「…あの日初めて自分の力が役に立って、私、自分の力ともちゃんと向き合っていけるかもって思った直後だったから…」

ああ、と氷室は悲しそうに嘆息した。

「…そうですね」

ずっと彼は私に言ってくれていた。それはただの個性だと。どれだけ私がこの力を疎んだとしても、その分まで彼は受け入れてくれると。
そんな彼の言葉を疑ってはいない。だからこそ、私のこの心境の変化を本当なら誰よりも喜んでくれるはずだったこの人に、今こんな顔をさせてしまっていることが嫌だった。

「ごめんね、ずっとあなたが私を肯定してくれたことの意味がやっとわかったのに…私、全部失っちゃったかもしれない」

あまりにも彼の表情が沈痛だったので、そう謝らずにはいられなかった。
いつも私はそうだ、何をするにも遅すぎる。気づいた時には全部取りこぼして、何もかも戻せないところまで来ていて────ああ、それも今後なら変えられるかもって、そう期待していたのに。

「…いえ」

しかし氷室は微笑んでくれた。
その笑顔はまだ少し悲しげに見えるような気もしたが、

「どんな力があってもなくても、俺は水影さんのことをずっと尊敬してますから。あなたは最終的に、未来が視えて何もかも諦めたって仕方ないような時でさえそれを変えようとしてくれた。そんな強い人が今更未来を視られなくなったところで、きっとあなたの行動は変わらないと思います。…というか、俺が推測だけでこんなに言うのも失礼なんですけど、むしろ未来が視えないくらいの方が、あなたはあれこれと動いてくれるかもしれないなんて…ちょっとそんな気さえしてます」

────初めて出会った時からずっと変わらない、嘘偽りの気配が全くない綺麗な声でそう言ってくれた。

「…そうだね。私もそんな人になれたら良いなって思うよ」

わからない未来に向かって行くには、また更に時間がかかってしまうかもしれないけれど。
見えている未来に向かって行くほど、現実を冷静に受け止めきれないかもしれないけど。

「なれたら良いな、じゃなくて、俺から見たら水影さんはもうそういう人です」
「っ……ふふ、ありがとうね。本当に」

私こそあなたのことをいつだって尊敬してたよ。
99%わかりきっている未来の中にある、誰も知らない1%の可能性を無条件に信じて努力してきたこと。
特別になりたかった彼の前でも平気で"普通になりたい"なんてほざいた私の手を、それでも優しく取ってくれたこと。

そうだよね。変えられない未来を知っていてもなお私は動けたんだ。
それなら、変えられるかもしれない未来に囲まれた私は、もっと身軽になれるかもしれない。

「…それにしても、普通の人はこんな暗闇の中を歩くような感覚で毎日生きてるんだね。明日何が起きるかわからないって、望んでたとはいえ結構怖いな。常時ドッキリをしかけられてる気分というか」
「あはは、水影さんは人一倍警戒心が強いですもんね。あ、そういえば昔の話ついでに思い出したんですけど、水影さんを驚かせられたらスタバの新作奢ってもらえるって話、しましたよね。あれ明日からまた試みても良いですか?」
「え、だめだよ。あれは未来が視える私をそれでも驚かせられたことへの最上級のご褒美なんだから。未来を知らない私なんて道端から猫が出てきただけで絶対飛び上がるよ」
「またまた。最初から断片的にしか視えてなかったって言ってたじゃないですか」
「断片的でも18年それを続けてればだいたいの流れは掴めるものなんです」

────知り合ったばかりの頃は、気を遣った距離感のある会話ばかりしていた。
あれこれと事情を知られた後は、いつも私の湿っぽい話にばかり付き合わせてしまっていた。

優しいこの人のことだからきっとそんな日々でさえ「楽しかったですよ」と言ってくれるのだろう。でも、今こうして何の気もなく軽口を叩き合えることが、私は予想以上に嬉しかった。

本当に不思議な人だ。
昨日まであんなに不安だったのに、あんなに怖かったのに、彼の言葉と表情のお陰で今はそれすら希望に変わっていっているのを感じる。
特別な専門的知見で、とか、明確な根拠を持って、とか、そんな説得力があるわけではないけど、それでも。
私にとって、彼の存在はまるで魔法のようだった────

あ、そういえば。

「ねえ、氷室君」
「はい」

いつだったか、それすら私のためだったと思うが────氷室が言ってくれた言葉を、思い出す。

俺は魔法使いになりたかったんです。奇跡のような力を当たり前に使って、自分も周りも幸せになれるような魔法使い。

多分、私を慰めるために言ってくれたことだったんだろうとは思う。
でも、誰だって幼心にそう思った時はあったんじゃないだろうか。

キラキラしたものを見せて、周りの友達が喜んでくれたら。
怪我をしている人を、一瞬で病院まで飛ばせたら。
寒さに凍えている人に、温かい毛布をぽんとその場で出せたら。

「…あのね、私は氷室君のこと、魔法使いみたいだなって思ってるよ。私がどれだけ沈んでても一瞬で幸せにしてくれる、一番素敵な魔法を使う魔法使いみたい」

そっと微笑みかけてくれるだけで、心の重たいものを流してくれる人。
こんなに意固地で根暗な私のことを、根気強く救い上げてくれた人。

あなたの優しい言葉は魔法のように温かかった。
あなたの綺麗な声は魔法のように心地良かった。

あなたの顔を見るだけで、私は幸せになれた。

それを魔法と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。

いつも私に魔法をかけてくれた人。
私は、あなたみたいになりたかった。
あなたみたいな、強い心の持ち主になりたかった。

「────…」

氷室は黙り込んでしまった。やはり、去年の夏の話なんて忘れてしまっていただろうか。

「────────もしかして、夏の話のことですか」

あ、覚えていてくれた。

「俺が魔法使いになりたかったって話…覚えててくれたんですか」
「覚えてたというよりは…今あなたのこと魔法使いみたいだなあって思った時に思い出したというか…」

嘘をついても仕方ないので本当の経緯を話す。
氷室は思った以上に面食らっているようだった。
あれ、ちょっとクサかった? 私を慰めようと必死に告げてくれた言葉をこんなところで返すなんて、場違いだった?

「…ありがとう、ございます」

でも、氷室がようやく口を開いて発したのは、お礼の言葉だった。

「俺………いつも自分のためにばかり生きてきたから…。そりゃあ物事がうまく進むようにあちこち気を配ったりはしてました。友達のことだって、大事にしてた…と思います。でも…こう、本気で誰かのために何かをしたことって、なかったんです」

とてもそうは思えなかったので、今度言葉を返せなくなったのは私の方だった。

氷室が? まあ空気を悪くしないよう上手に立ち回っていたというのはなんとなくわかる。でもこの優しさの塊でできたような人が、本気で誰かのためを思ったことがないなんて、そんなことあるのだろうか? 逆に本気で誰かに何かをしたいと思っていないような世渡り上手な人が、ここまで人の厚意を受け取るのがへたくそな…対極の存在のような私の心を溶かしてくれることなんて、そんなことありえるのだろうか?

「だから…水影さんが幸せだって言ってくれて、俺…すごく幸せです。それがただの言葉の綾でも、本当に嬉しいです」
「…だから私に優しくしてくれたの?」

誰かを幸せにする魔法使いのような人になりたいと願いながら、本気で誰かのために行動をしたことがなかった人。
もしかしたらそんな彼にとって私は、ただちょうどいい存在だっただけなのもしれない。

程良く面倒な過去を持っていて。
程良く複雑な力を持っていて。
程良く人のことを嫌っている、私。

近づくのは難しいだろうが、逆に懐に入れば私は"本気で語り掛ける"に十分値する性格をしていたと思う。というか、本気の言葉じゃないと多分聞いてすらいなかったと思う。
彼は自分の夢を、私で叶えようとしたのだろうか。
一瞬そんな予想が背筋を這い上がってきた。
私自身を思ってというより、彼がなりたい"彼の姿"を実現させるために、わざと私につきまとってきたのだろうか。





────でも別に、それならそれで良いよ。
それが私の答えだった。





だって、好きだし。
好きな人がどんな理由でも私の近くに来てくれるなら嬉しいし。
捉え方によっては"利用されただけ"という人もいるかもしれないが、利用した結果その人が幸せになってくれるなら結果オーライだ。何より当の私が何の不利益を被っていないんだから。

「だから…とは?」

氷室は心底わけがわからないといった顔で尋ねてきた。

「いやほら、私ってすごい最初みんなのこと敬遠してたじゃん。だからあえて近づいてきてくれたのかなって」

"ちょうど良いと思ってたのかな"というのは流石に失礼だと思ったので省略しておいた。

なのに。

「…今更そんな誤解をされるような関係を作ってきたつもりはないんですが」

彼は怒っているようだった。

「俺が"誰かのために何かしたいな、あ、あんなところにちょうどよく孤独そうな人がいるぞ、あの人を幸せにしてみよう"────そんな気持ちであなたに近づいたと思ってるんですか」
「い、いや、そこまでは…」

ごめん、一瞬思った。

だって誰かのために何かしたことがないなんて、目の前の彼にはとても似つかわしくない言葉だったから。そんな結局自己満足にしかならないような行動をとるほど彼は意地悪じゃないし、愚かでもない。それはわかってるよ。

じゃあ、でも、なんで?

「ただそれならなんで私に優しくしてくれたのかなあって、単純に疑問に思っただけ。言葉が足りなくてごめんね」

慌てて言い繕うと、彼の方もらしくない表情を露わにしてしまったことを恥じたようだった。「こちらこそすみません」と丁寧に謝罪を挟んでから、きちんと答える口を開いてくれた。

「ずっと言ってるじゃないですか。あなたのことが好きですって」

ああ、そうだったね。
そういえばちゃんと彼は私に伝え続けてくれていた。

あなたはすごい、あなたはそんなに嫌われるべき人じゃない、俺はあなたを尊敬してるって。

…少しだけね、それが私と同じ"好き"だったら良かったなあ、って思った日もあったんだよ。そして私と同じ"好き"なのかなあって、一人前に自惚れてみせた時ですらあったんだよ。

だって私達、あんなに一緒にいたし。
私が支えてもらうばかりだったけど、WCの直前に私のことを頼ってくれたの、未だに鮮明に覚えてるし。
私達は時間をかけていろんなものを共有してきた。過去のトラウマも、未来への希望も、そして────多分、今の感情も。

もちろん彼の"好き"が言葉通り単純に私のことを人として好いてくれているっていう意味だったら私だって素直に嬉しいよ。
でもさ、もし私の思っていることが自惚れじゃなかったとしたら────もしまだあなたが"好き"以上の言葉を続けるつもりなら────そんな悲しい感情、あなたには絶対抱いてほしくない。

まあきっとそんな予想なんてただの杞憂でしかなくて、彼にとっていずれ私は"そんな人もいた"くらいの認識になっていくことだろう。
だから願うとするなら、彼にとってはきっとなんということのない出会いと時間が、少しでも彼にとって…無意識にでも良い、善い未来をもたらしてくれたら嬉しいなという、それだけだ。

「ありがとう」

何度も言ってもらっているその優しさに、私も何度も同じだけの優しさをこめて返す。

「そういえば午後から初部活でしょ? お会計は話を聞いてくれたお礼に私が払うから、気にせず行ってね」
「あの、水影さん────」
「ん?」
「その……」

だって。

「…いや、すみません。何でもないです」
「ん? うん、わかった。突然呼び出したのに来てくれて本当にありがとう。またね」

卒業したら私はあなたの前から────いや、みんなの前から綺麗に姿を消すつもりなのだから。
あれ以上の願いは、傲慢になるだけだ。

どうかみんな、私のことなど早々に忘れて幸せになってくれますように。
どうかみんな、私と過ごした時間の中でもっと自分のことを好きになってくれますように。

思うのは、それだけ。そしてその意思は、今もこれからも、変わらない。



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