35話




冬子が未来を視ることのできる人間だなんてことは、とっくの前からわかっていた。
もちろん最初はあいつに対して何の関心もなかったし、仲良くなって初めて未来視の存在に疑問を持った時にも"ちょっと珍しい特技だな"とか"やけに偶然が重なるな"くらいにしか思ってなかったけど。

────忘れもしない半年前、"決定的な証拠"を見てしまった俺は、それ以前からずっと抱いてきた自分の仮説が正しかったことを知ったのだった。すなわち、それは特技でも偶然でもなく、れっきとした"異能"なのだということを。

冬子に初めて会ったのは、去年の9月のことだった。
影の薄い転校生が来たな。そんな程度の第一印象。
バスケとか試験とか、目の前のことに一生懸命になることの方が大事だった俺は、別にその女子に積極的に関わるつもりなんてなかった。

…というかむしろ、あいつの方が周りと関わりたがってないように見えてたし。

物珍しさからだろう、あいつは転校してきたばかりの頃、クラスのあらゆる女子に話しかけられていた。
なんとなく遠目でそれは見てたし、特に女子の甲高い声は耳に入りやすい。だから俺は、あいつがどんな話にも興味を示さず、どんな誘いも断っていることを、なんとなく知っていた。

とんでもない人間嫌いなんだろう。
この年の女子にしちゃ珍しいことだが、まあ別にだからどうってことはない。
俺には何の関係もない。

────だから、高校生に不釣り合いな高級腕時計がクラスで盗まれたって騒ぎになった時、謂れのない理由であいつが犯人に仕立て上げられそうになったのを擁護したのも、まあクラスメイトの…というか本当のことを知ってる人間としての当然の義理だと思ってた。

「そいつ、ずっと保健室にいたぞ」

クラスの険悪な空気の中でわざわざ声を上げるのは若干面倒だったが、俺は別に極悪人じゃない。
臆することもなく知っていることを全部話したら、あいつの容疑はなんとか晴れたようだった。

よかったよかった。
そう思っていたのに、だ。

その日以来、クラスの空気が一変した。

あくまで"表面的なオトモダチゴッコ"をしていた女子の間に、あからさまな深い溝ができているのを感じる。
昨日突然女子達が対立を始めた時はそりゃもう驚かされた。うまいこと付き合ってるように見せて裏ではいくつかの派閥を作ってることなら気づいていたが、まさか水面下でここまで憎しみ合ってる(もうあそこまで行くと"憎しみ"って言葉が一番似合うだろ)とは思っていなかったのだ。
まあ、そうは言っても別に俺ら男子には最初からたいした影響がないことなので、俺自身は特に何も思ってなかったが…。

あからさまな陰口や苛立ちを隠そうともしないうるさい物音。
女子全員がそれぞれ対立してるんじゃないかとすら思えるそんな笑える状況の中で────冬子は、どんどん教室に来なくなっていった。

人嫌いからすれば、まあそりゃこんな環境は地獄でしかないだろう。学校に来ないことで余計なストレスを抱えずに済むんなら、それも別に悪いことじゃないと思う。

要は単純に、まだその時点ではたいした興味がなかったのだ。
好きにすれば良い。せっかく転校してきた学校で孤立することに同情を覚えないわけじゃないが、だからといって俺がどうこうできるような話じゃない。
そんな風に、思っていた。

だからある日の数学の授業後、次回提出する課題用紙を保健室まで渡しに行ってくれと先生に頼まれた時は、心底面倒だと思った。
冬子は教室にこそ通っていないものの、こうして共通の宿題や特別な課題を直接教師とやりとりすることでなんとか授業進度にはついて行っているのだそうだ。普段であれば先生の方が冬子の元にに出向いているところ、今日ばかりは次の授業の準備が間に合っておらず、保健室まで行く余裕がないんだとか。
それで、一番雑用を頼みやすい"日直"の生徒に代行を頼むことになった、と。
そして今日の日直がたまたま俺だった、と。

事情があるとはいえ、自分の意思で保健室登校決め込んでる人間嫌いになんでこっちからわざわざ歩み寄んないといけねーのか、そんなことまで多分…あの時は思ってたと思う。
ただ先日の盗難(?)事件からロッカーでの管理は厳重になっていたのも事実だ。今のロッカーに、"当日中に使用するが常に持ち運ぶことに困難が伴うもの"…まあ言ってしまえば教科書類以外のものを置くことは、原則禁止されている。
どれもこれも仕方ないことだと思い、俺はその頼みを請け負った。

「水影いるかー」

保健室に入りあいつの名前を呼ぶと、弱々しい返事が聞こえてきた。
不信感に溢れた声。あまりに空気がイメージ通りすぎて、思わず笑ってしまったほどだった。
なにしにきたの、と尋ねてきたあいつに、俺は頼まれた通りの課題のプリントを突きつける。

「今日の日直俺なんだよ。で、ついでにこの課題を渡して来いって」
「ええ…わざわざごめん…。ロッカーとかに突っ込んでおいてくれて良いんだよ…」

気の抜けた声で、本当に申し訳なさそうに冬子はそう言った。あんな事件の、しかも犯人に仕立て上げられそうになってこれか。敏感なんだか鈍感なんだか、よくわからない奴だ。
しかも名前を呼んだ瞬間は怯えた感情に染まっていた声色も、今は若干和らいでいるような気がする。体調は確かに悪そうだが、精神的な不健康さ…例えばクラスの女子に対して見せていた警戒したり遠ざけたりするような、そんな敵意に似た雰囲気は感じられない。こちらが必要以上の干渉をしない姿勢で出向いたからだろうか。

この数秒に生じた僅かな差異を捉え、俺はそれを意外に思い────そして、とある予想を打ち立てる。

────あれ、結構こいつ喋れるんじゃね?

「この間から具合悪そうだな。元々あんま強くねえの?」
「うん…そんなとこ。情けない限りです」

ちょっと自虐ぶったコメントだって、なんだかまるで普通にクラスメイトと会話してる時と同じような感覚だ。

「心配ありがとう。ちょっと休んだらまた戻るから、もう大丈夫だよ」

人への気遣いも、強がりも、一人前に言える奴。その笑顔はぎこちないが、少なくとも強情に他人を拒絶するような意思は感じられない。
それは少し、俺のイメージしている"人間嫌い"とは離れた雰囲気だった。

…そういや、あいつが女子からの話題を避けてたのって、無駄な質問責めに遭ってた時だったっけ。転校生が物珍しいのはわかるが、かなりズケズケと無遠慮な質問も飛んでいたのを思い出す。

…ひょっとしてこいつ、人間嫌いっつーより…単に自分のことを話すのが苦手なだけなんじゃね?

それは大した根拠もないような、ただの"違和感"だった。

でも、人並みにあれこれ興味を持つ俺の関心を引くにはそれだけで十分だった。
ちょっと、もう少し話してみようか。
この"なんとなくの仮説"が正しかったら、俺の人間観察も結構アテになるんだぞ…ってバスケ部の奴らにも胸張って言えるような気がするし。

────冬子の所に通うようになったのは、そんな理由からだった。

実際結論から言うと、俺の勘は正しかった。
冬子は別に人を必要以上に嫌い、必要以上に遠ざけてるわけじゃない。人並みにものは喋るが、決してうるさいとは思わせない"適度な距離感"を保つのがめちゃくちゃ巧い奴だった。

ひとつ予想が外れた点を挙げるとするなら、冬子は単に自分の話をするのが苦手なコミュ障というよりは、人に自分の情報を開示することに何らかの恐怖を覚えているトラウマ持ちに見えるというか…この根暗さの原因は思ったより根深そうだ、というこれまた根拠のない印象を抱かせてきたことくらいだろうか。

それでも、その辺は少なくとも俺にとってはあんまり関係のないことだった。

そもそも最初から俺はこいつの何かを暴こうと思って近づいたわけじゃない。
どっちかっていうとくだんねえことを喋るのが好きだった俺にとって、冬子はマジで"ちょうど良い"聞き役だった。変に気を遣って色々話を振ったりしなくて良いし、会話自体を嫌っているわけじゃないとさえわかれば、あいつと話している時間は単純に楽しかったのだ。

「…また来たの」
「お前友達いねーから俺が構ってやろうと思って」
「体調が悪くて来てるだけなんだから、結果論で友達ができなくても気にしないよ」
「そんなこと言ってお前がいつか東京に戻った時『秋田の人間は最悪だった』なんて噂垂れ流されたら俺が困るんだよ」
「いつの話になるのよそれ」

俺が適当な冗談を言っても、すぐ同じ温度の返事が返ってくる。

「水影は冬休み何すんの」
「家で休むよ」
「椎茸生えそう」
「生えませんから。福井は何生やすの?」
「人間から生えたら終わりだろアホか。俺はWCで遠征だわ」
「毎度思うんだけどその掌返しはなんなの? WC…ってああそうか、そんな時期か、じゃ東京?」
「おう、嫌いなクセによく知ってんな。土産何が良い?」
「いぶりがっこ」
「秋田で買えよ!」

俺が適当なネタを振っても、すぐ同じ速度で乗っかってくる。

俺にとっては、それが何より心地良かったのだ。
こいつがどんな過去を持ってて、どんな気持ちで人を怖がってるのかが気にならないわけではない…が、話したくないっていうんなら、訊く気はない。

ただ、俺が楽しかったから。
そして俺と話す頻度が増えるにつれ、こいつも少しずつ笑顔を見せてくれるようになったから。
いつも悲しそうなこいつを笑顔にしたい、なんて寒いことを考えたことは一度もなかったが、それでもやっぱり、自分と過ごす時間がストレスにならず…むしろ笑顔をもたらせるほど楽しいもんになってくれてるなら、それより良いことはないだろうと思っていた。

そういうわけで、ただの興味で始めた保健室通いの時間は、2ヶ月も経つ頃には俺にとって部活の次くらいに楽しい時間となっていた。
適度な距離感で付き合えるというのが一番の理由ではあったものの、もしかしたらそこには"不気味な転校生"の素顔を唯一知っているというちょっとした優越感もあったのかもしれない。我ながら、約1年前のこととはいえ随分と幼い考えだったとは思うが。

友達がいないなんて散々からかっていたが、俺はとっくにあいつのことを自分の友達だと信じてた。
根暗だ根暗だって何度怒られても言うのをやめなかったが、あいつはただ冷静で感情の起伏が乏しいだけで、むしろ感受性豊かな明るい奴だって本当は確信してた。

だから。

冬休みの最終日、学校の近くであいつを見かけた時も、当然のように俺は足を止めた。
まさかこんな小さな神社で知り合いとエンカウントするなんて予想もしていないだろう。砂利道のせいで足音は消せないが、ちょっとばかり驚かせてやろうと声を出さず近づいてみたら────。

「…久しぶり、寒いね」

まるでそこにいるのが俺だと最初からわかっていたかのような自然さで、冬子は柔和に微笑み振り返った。

聞けば、出席日数が足りないせいでこの冬休みは補習の日々だったらしい。
…確かにこいつの境遇を思えば、むしろそっちの方が都合が良かったのだろう。

「………まぁお前にとっちゃそっちの方が気が楽か」

思ったように驚かせられなかった不満と、こいつはこいつで自分の生きやすい道をちゃんと生きてくれてるんだという安堵の狭間に立ってそう素直に伝えると、なぜか驚いたような顔をされてしまった。

いや、驚くポイントもう少し早く来てほしかったんですけど。つーか俺、まだお前が当然のように話しかけてきた驚きからまだ抜け出せてないんですけど。

「…気づいてたの、私が保健室にばっかり行ってた理由」
「────気づかない方がおかしいだろあんなん。登校はするくせに一度も授業に出ず保健室通いなんて。本当にそこまで体調悪いなら、家で休むなり入院するなりもっと良い方法があるだろ」
「…だって、体が弱いのかって最初の方言ってたじゃん。私もそういうことにしてたし」
「あれはだって最初の頃だけだろ。あの時はお前のこと何も知らなかったし興味もなかったし気にしなかったけど、もう2ヶ月以上それが続きゃ嫌でも他に原因があるのかって思うわ」

本当に、鋭いのか鈍いのかわかんねえな。

今はもう、あの頃とは何もかもが違う。
確かに何の縁も義理もないクラスメイトの事情を全て察しろ、なんていうのは無理な話だ。
でも、それが"友達"ならまるっきり話は変わる。
毎日話してる仲の良い奴が何に悩んでて何を嫌がってるのかなんて、別に核心をつかなくたってなんとなくわかる。

友達って、そんなもんだろ。

「あ、言っとくけど俺別に"だからお前を連れ戻そうとして保健室行ってた"とかそういうわけじゃねーからな。俺は別にお前が保健室にいようが不登校になろうが中退しようが、全部どうだって良いんだわ。ただお前が面白いくせに根暗で友達できねえのがもったいねえなーって、同情してるだけ」

でも念の為、"友達"のなんたるかをよくわかっていない様子の冬子に下手な勘違いされないよう、冗談も交えてそう言っておいた。
俺がこいつのとこに行ってたのは…そりゃ最初は義務感とちょっとした興味からだったけど、今は普通にこっちが楽しんで行ってるだけだから。

こいつのことが、フツーに大事だったから。

そうしたら、冬子はいきなり泣き出した。
過去の話は聞いたことなかったけど、相当人間関係で嫌な思いをしてきたらしいことはなんとなく想像していた。こんな良い奴なのにそんな人と拗らせるような真似、一体どうしたらできるんだよって訊きたい気持ちは山々だったが────どうあれ俺の言葉で泣かせてしまったことに、その時はひたすら焦っていた。

「え、お前何泣いてんの!? ちょっと待て、え、いや、同情は言葉が悪かった! 椎茸生やして友達がいなくても俺はお前と喋ってるの楽しいぞ!? なかなか喋んないだけで見た目もちゃんと明るく見えるし、友達も別にあんな最悪な空間で無理に作んなくても良いじゃんって思ってるだけで────」
「っははは…!」
「…………はぁ?」

どうしよう、泣き止んでくれ。
悪かったって、言いすぎたって────そう思いながら一生懸命慰めたら、今度は笑われた。

なんなんだよこいつまじで。
普段あんなに能面なのに。言葉の勢いだけは強くても、あんなに平坦な声しか出さないくせに。こんな風に表情を変えて、年相応に泣いたり笑ったりすることもできるのか。

何があったのかは知らないが、きっとこいつはもっとこんな風に素直に生きたかったんじゃねえかな。
だって、泣けるじゃん。笑えるじゃん。
話だってできるし、冗談だって飛ばせるじゃん。

でもきっとその"何か"があったせいで、こいつは自分の心に蓋をしないとやっていけなくなっちまったんじゃないかな。
ああ────それって、すげえもったいない。
こいつに辛く当たったのが"人間"なのか"世界"なのかは知らねえけど、せっかくこんなに良い顔してくれるような奴なのに。

正直で、繊細で、世界の甘さも残酷さも全部吸収しちまうような奴。
こんなに不器用で、悲しくなるほど優しい生き方をする人間を、俺は他に知らない。

関われば関わるほど、冬子という人間の面白さが見えてくる。
もっとこいつのことを理解したい。
もっと色んな顔を見てみたい。

何より、"人間が嫌いだ"というこいつが俺だけには心を開いてくれているのだとしたら、俺はそれに全力で応えたい。

────思えば、俺はその瞬間に、冬子に恋をしていたんだと…そう思う。






「福井は好きな人いるの?」
「………いるよ」
「え…いや、ごめん、そうなんだ、知らなくて…私、福井となんかすごい馴れ馴れしくしちゃってたけど…うわごめん、好きな子いるのに他の女子とあんま仲良くしてたら悪いよね」
「つかそいつ全然俺のことそういう目で見てないから、俺が誰と何を話してようが表情一つ変えねーよ。心配すんな」
「…何それ、辛いだけじゃん」


冬子、お前はそう言ってたけどさ。
好きになっちまったもんは仕方ないだろ。



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