33話
別にさ、俺も嫌いじゃなかったよ。
最初の印象なんてもう覚えてない。
有象無象の中の一人、しかも選手ですらない女子の顔なんて、覚えられるわけないじゃんって思ってた。
認識し出したのは、入部してから半年くらい経って、赤ちんがあの人に目をつけた時くらいからだと思う。
「彼女には何かあるな」
そう独り言を言って、何がって訊く前に赤ちんはもう行動してた。
試合前に、やたらあの人に話を聞きに行くようになった。
メンバー編成とか他校の分析のこととか、全部1人でやってたことを、あの人と2人でやるようになった。
赤ちんが誰かを頼るなんて初めてだったから、よく覚えてる。
なのに本人と話してみるとびっくりするくらい平凡だったから、余計によく覚えてる。
「すごい手が大きいね、バスケットボールがお手玉みたい」
「馬鹿なの?」
思えば、意味のある会話なんてしたことがなかったような気がする。
"選手"と"マネージャー"としての、必要最低限のやり取りだけ。
3年同じ仕事をしてるってだけあって、確かに他のマネージャーより痒いところに手が届くみたいな感じはあったけど、でも、俺達の間に大した交流なんてなかった。
ああ、でもあの時は違ったかも。
多分、中学2年に上がるか上がらないか…時期としては、その頃。
「なんで影ちんはいつも赤ちんと一緒にいるの?」
いよいよ本当に赤ちんがあの人を頼ってるってことがハッキリし出して、俺はただ純粋に「なんでだろう」って思ったから、ちょっとそんなことを訊いてみた。
「うーん…なんでだろうね?」
「ほんとはすげえ頭良いの隠してたりとかする?」
「しないよ」
「黒ちんも影ちんのこと大好きじゃん、なんで?」
「あー…あれは幼馴染だから。別枠」
「じゃやっぱ赤ちんがそんなに影ちんのことを呼ぶのはおかしくね? 赤ちんは凡才をわざわざ隣に置いて時間を割くようなことしないよ」
「…勘が良いから、かな」
何回かはぐらかされた後、やっとあの人はそれっぽいことを言い出した。
「勘?」
「うん。よく当たるんだよね。明日雨が降りそうとかそういうのもだし、この選手なんか怪我しそうで危ないなー、とか、ここでこの選手入れたらうまく噛み合いそうだなーとか」
俺はよくプレーの外では鈍いって言われてたし、勘が当たった試しだってなかった。
だからあの人の言ってることは、言葉の上ならよくわかってもその意味までは正直あんまし理解できなかった。
まあさっちんみたいにめちゃ分析スペックが高い人もいるし、勘が鋭いって意味ではそれこそ赤ちんの右に出る人はいないと思ってるくらいだし、こういう人もいておかしくはないか。
そのくらいの、認識だった。
「でも私、本当はあんまりみんなにあれこれ言いたくないんだよね」
「なんで? 勘が当たって試合がうまくいくんなら良いじゃん。使えるもんを使える時に使わねーのって勿体ないの通り越して馬鹿じゃね?」
「いやそれは私もわかってるから一応手伝ってるけどさ…なんか当たりすぎて気味悪いっていうか。正直、私の言葉なんて何も聞かずに好きなようにプレーしてほしい気持ちの方が強いかも」
俺からすればまあ珍しいけど、"探せば普通にいる"程度の特技に恵まれた人。
でも、あの人にとってはどうもそうじゃなかったみたい。
そう言ってた横顔がすごく寂しそうだったのだけは、覚えてた。
だから、俺は2年に上がってしばらくした頃────
やけにあの人が俺達の事情に口を出してきたことを、どうしても理解できなかった。
卒業した後も、あの人は赤ちんが呼ぶからっていう理由で何度も体育館に来ていた。来たところで、別に仕事はしない。ただ何かを見てて、赤ちんといつも話してるだけ。それで良いのだと、それが必要なのだと、いつか赤ちんは言ってたっけ。
「なんであそこで手を抜いたの?」
「なんであんな危ないことしたの?」
「試合に出ないなんて…やめてよ、そんなこと言うの」
あの人は何度かそう言って練習後に俺を引き留めた。何も仕事しないで赤ちんと話してれば良いものを、なぜかあの人はわざわざいつも隣まで来て早く帰りたい俺を…俺だけじゃなく、キセキのみんなのことを呼んだ。
手を抜いた理由? つまんなくなったからだよ。
危ないことした理由? そっちの方がなんか面白くなりそうだったからだよ。
試合に出ない理由? 相手が弱いからだよ。
勘がよく当たるとか言ってたあの人は、少し考えればわかりそうなそんなことですら責めるような言い方でわざわざ言葉にしてきた。
自分の言葉なんて聞かず好きにプレーしてほしいとか言ってたあの人は、何度も私の言うことも聞いてと、そんなプレーしないで、とお願いしてきた。
何、言ってんの?
俺は昔も今も、好きなようにやってるだけだよ。
ただそのやり方に、周りがついて来れないだけじゃん。
好きなようにやったらなんか周りが勝手に萎えてるだけじゃん。
弱い奴らを前にして萎えてる俺と、やる気出した途端萎えてくあいつら、何が違うの?
あんただってここに立てばわかるよ。
俺とおんなじ目でここを見ればわかるよ。
どんだけ期待をしてみたって全部裏切られること。
どんだけ努力をしてみたってそれが却って裏目に出ること。
どんだけ好きなようにしてみたって必ず誰かが嫌な思いをすること。
俺だって、自分が急に強くなってることの異常さくらいはわかってる。
周りを簡単に置いていけるくらい自分が速くなってることのヤバさくらいはわかってる。
でもさ、そんなの"探せば普通にいる"特技のひとつじゃん?
俺とあんた、一緒じゃん?
なのになんで?
なんでそんな、怖いものを見るような目で見るわけ?
そんなに怖いならこっちに来てみれば良いじゃん。
勘がよく当たるんだって言うなら、俺のこの自分でもついてけないくらいの成長だって、もっと早くに気づいてくれれば良かったじゃん。
なのにあの人はいつも遠くから理解のできない一般論ばかり言ってくるだけだった。
わかってるよ、あんた達から見た俺達が十分おかしいのは。
でもさ、俺達から見たらもうあんた達のほうがおかしいんだよ。
ねえ、あんたの見てる世界はこっち側じゃなかったの?
その自分で散々嫌ってる目は、一体いつも何を見てんの?
そうして俺は段々と、誰の言葉を聞いたら良いのかわからなくなっていった。弱い奴の言うことが全部、負け惜しみの戯言にしか聞こえなくなってきた。
だから、もう自分より強い人の言うことしか信じないことにした。
最初はそれで赤ちんにも反抗するつもりだったけど、なんかよくわからないうちに気づいたらものすごい勢いで負けてた。確かに途中までは簡単に捻り潰せてたはずなのに、どっかのタイミングで赤ちんは別人のようになってしまった。
元々オトモダチゴッコをしてたつもりなんてない。チームのみんなは嫌いじゃないけど、別にそこまで好きでもない。
でもなんか…ちょっと赤ちんの無茶苦茶な変わりようが、俺は怖かった。
それ以来、俺は本当に…本当に、バスケってちょっと楽しいかもって思えてたあの頃のことを、もう思い出せなくなっちゃった。
続けてたのはただの惰性。チームメイトもおんなじように強くなってたし、ちょっと意地もあったかもしんない。
勝利という結果こそ全て、過程はどうでも良いって言われてたから、その惰性と意地からくるストレスをちょっとでも発散しようと、俺達はみんながみんな自由に、自分のやりたいようにやってた。
ねえ、これがあんたの言ってたこと?
好きなようにプレーしろって、このこと?
もうわかんない。
わかんなくて、全部嫌になって、何もかもがつまんない。
そんな俺に投げつけられたのは、
「…あれが本当にあなた達のベストだったとでも言うの?」
あの人の…なんであんたが傷ついてんのって言いたくなるくらい、悲しい言葉だった。
中3の夏、全中準決勝の後。せめて何かしらのエンタメをと思ってゾロ目スコアを出して勝った俺達を待っていたのは、完全にスペックは"こっち側"なのに無理に"あっち側"の顔をする、あの人だった。
「あんなやり方じゃバスケを続ける意味なんてもはやないでしょう」
キセキのみんなと言い合いをしてるあの人の姿は、どっからどう見てもブザマとしか言いようがなかった。
「てゆーか水影っちの方が熱すぎるんスよ。なんでそんな怒ってるんスか? こんなんただのゲームじゃん、ゲーム。勝てばそれで良いってだけの楽な話なんスから、もっと肩の力抜いた方が良くねッスか?」
「ゲームって…意味が全然違うでしょ…」
「そもそもあいつらが弱いのが悪いんじゃねーか。遊ばれたくなかったらそんくらい強くなって出直せってことなんだから」
「青峰まで…!」
ねえ、なんでそんな偽善者ぶってんの?
普通の感覚がわかんないって、あんた俺達より先に悩んでたよね。
何今更なこと言ってんの?
なんで同じものを持ってんのに、同じ場所に立とうとしてくんないの?
何もしてくれないくせに、なんでそんなに俺達に色々求めてくるの?
「あなた達からしたら非力な赤ん坊の腕を捻ってるだけかもしれないけど…でも、ただ大差で勝つことと、相手のプライドと努力を踏み躙って勝つことじゃ全然意味が違うでしょう」
────限界だった。
「だからさ、イミイミって、じゃあその"意味"ってなんなの?」
外側の安全地帯からさ、偉そうに。
「逆にバスケやる意味って何? 勝つ意味って何? 俺らはただ求められた"勝利"を持って帰ってきただけ。そこに文句付けられる筋合いとかなくない?」
「それがわからない時点でもう破綻してるって、お願いだから気づいてよ…。チームでひとつのものを追いかけて、時間をかけて自分"達"のスタイルを築いて、勝利を掴んでいく…そうやって人生を懸けてきた人が集まる場において、あなた達のまるで人を傷つけることしかできないやり方は場違いでしかないんだよ…」
誰よりもわかってくれるはずなのに、誰よりもわかってくれない。
そんなに辛そうにしてるのに、絶対こっちに踏み込んできてくれない。
そんな半端に苦しむくらいならさ…もういっそ、
「はぁ…やったこともない部外者が首突っ込まないでくれるかな、ウザいから」
俺達から離れてよ。
そっちの方があんたはきっと、幸せだよ。
結局その後、あの人は煙みたいに消えた。
赤ちんは何も言わなかった。
峰ちんは興味なさそうだった。
黄瀬ちんはたまーに気にかけてたけど、何も知らなかった。
ミドチンは「俺達とは相容れなかったんだろう。もう二度と顔を合わせたくなかったから誰にも行き先を告げなかったんじゃないのか」って言った。
黒ちんは…何度も「僕のせいだ」って悔しそうに言ってた。
俺は…よく、わからなかった。
あの人がいなくなって寂しいとかはあんまり思わない。いてもいなくても、別に一緒。
でも、ちょっとだけ…何か、もう少し…話せたことはあったんじゃないかなって思った。
そうしたら、高校に進学した先でなぜかあの人と再会した。
秋田みたいな僻地の高校でたった一人の知り合いにもう一回会うって、相当な確率じゃん。ちょっとだけテンションが上がって、つい話しかけてしまった。
でも俺は再会したその瞬間に、ミドチンの言ってたことが正しかったってすぐ気づいちゃった。
あの人の笑顔、めっちゃ固かった。さっさと俺から離れたがってるの、ミエミエだった。
だから別に俺だってあの時、無理にあの人に執着する必要はなかったんだ。
俺にもう関わりたくないっていうんなら、もう絶対理解し合えないって思うんなら、さっさと俺達は他人のふりをしてれば良かった。
だけど────だけど、なんかやっぱり、モヤモヤしてて。
あの人がどっか遠いところに行ったあの日の気持ちが、どうしても残ってて。
何か話せることがあるんじゃないか、俺はあの人に何か言うべきことがあるんじゃないか、そんな疑問が何度無視しようとしてもその度に消えてくれずに俺の頭に残るから、どうしてもうざくてうざくて仕方なくて。
だから俺は、あの時の喧嘩なんて忘れたふりをしてあの人に近づき続けた。
実際バスケさえ絡まなければ、あの人はフツーに面倒見の良い姉ちゃんって感じだった。やっぱり俺のことは嫌いみたいだけど、うん、俺はあんたのこと、最初から今だってずっと嫌いじゃなかったよ。
あの時何を言いたかったのかは未だにわかんない。でもバスケのない世界であの人と仲良くできるんなら、まあそれも悪くないかなって思ってた。
なのに。
なのに。
それなのに。
「あんまり、福井を困らせないで」
性懲りもなく、あの人はそんなことを言ってきやがった。
「…ずっと言わずにいたけど、IH欠場したこと、私…あまり良く思ってない」
「は? いつの話してんの」
「どういう言い訳をしたんだか知らないけど、あれ…本当は赤司に何か言われたんじゃない?」
知らねえよ。なんでバスケから離れたはずのあんたがまだそんなこと言ってんだよ。
バスケから逃げたくせに。俺達を恐れて去っていったくせに。
俺だって、あの人のためにバスケと関係ないとこで友達になろうって思ってたのに。
なんで自分が不幸になるってわかっててまだ首突っ込むの?
「陽泉は、あなたというキセキと渡り合える武器を手にした。なのにその武器を使うことすらできず天帝の眼に挑ませるなんて…あんまりだよ。絶望的に思えたこの年の大会に希望をもたらした"あなた"という存在を置き去りにして、十分な戦力が揃わないまま戦地に行かなきゃいけないあの人達の気持ちを考えただけで…私は胸が張り裂けそうなんだよ…」
そんなことわかってるよ。
でも過去に固執してるのはあんただって同じじゃん。
こんな人気のないところでしか本音を言えないカワイソーな女の子。
あんたはホントにダメな人間だと思うよ。
バスケが怖いのに、トラウマになってるのに、なんでまた友達なんかのためにその大嫌いな過去を引っ張り出してくんの。
俺はもうあの時の"ちょっと楽しかった気持ち"なんてわかんないんだよ。
なんであんたがそんなに泣きそうな顔をしてるのか、もうわかってあげられないんだよ。
さっさと諦めて離れてよ。
「本当はあんただって、バスケから逃げた自分にムカついてるだけでしょ。過去を振り払えない自分に嫌気が差したから、わかりやすくサボってる俺に怒りをぶつけてるだけでしょ。あのさ、そういう筋違いな説教やめてくれる?」
同族嫌悪とか、マジで無駄なだけだから。
バスケ部に入っちゃった俺はともかく、あんは過去からいつでも解放してもらえるじゃん。
俺の言葉に、あの人はとても傷ついた顔をしていた。何も言い返せないのを見て、俺の言ったことはきっとあの人にとっても理解されきった正論だったんだろうって、全部言い切った後で思う。
違うんだよ。
俺はさ、たださ、あんたに笑っててほしかっただけなんだよ。
もうあんまり覚えてないけど、俺達が楽しくプレーしてた頃、本当に嬉しそうにこっちを見ていたあの時の気持ちをさ、取り戻してほしいんだよ。
でも多分もうバスケじゃそれは叶わないから。
だからさ。
もう俺の前から消えてよ。過去を引きずるのはもうやめなよ。
結局その後昼休みが終わっちゃって、福ちんまで現れちゃって、あの人との会話はそれきりになっちゃった。
多分、あの人は自分の過去を福ちんには言いたくなかったんだと思う。その日の部活で福ちんは明らかに様子が変だったけど、また余計なことを言うのが嫌だったから、俺も何も言わずにおいた。
もう無理なんだよ。
楽しむとか挑戦するとか、なんかもうそういうの、よくわかんないんだよ。
だからこれ以上期待しないで。
ごめんけど、陽泉のチームにあんまし貢献できる気がしない。
だからもう何も見ないで。
福ちんと室ちんのケアとか色々考えちゃうかもしんないけど、それも卒業したら全部終わるじゃん。だからあと数ヶ月耐えてよ。
もう俺に何も望まないで。
俺だって、もう俺のことがわかんないんだから────────
そう、思ってたのに。
WC準々決勝の日の朝、ちょっと珍しく早起きしちゃったから朝の散歩をすることにした。
あんま周りのことを気にしないで携帯見ながら歩いてて────小さな交差点の影から車が出てくることに、俺は直前まで気付けなかった。
まずい、轢かれる────そう思ったのに、その瞬間背後からとんでもない力で突き飛ばされて、なぜか俺は携帯を落としながらも交差点の向こう側にしっかり追いやられてた。
え、今何が起きたの?
状況がよく掴めなくて、とりあえず後ろを振り返る。
────血の気が引いた。
なんで、なんで────────この人がここにいんの!?
俺の代わりに車にぶっかったこの人は、大怪我こそしてないもののめちゃくちゃ痛そうな顔をしてた。足が折れてるかも。バンパーが脇腹にぶつかってるし、なんか肋骨とかよくわかんないその辺もやられてるかも。
一瞬で頭の中をいろんなことが駆け巡った。
なんでここにいんの? なんで俺のこと庇ったの? なんで俺の代わりに怪我してんの?
何してんのこの人マジで?
混乱しながら脇目もふらず駆け寄った俺に、この人はたった今事故に遭ったなんて信じられないくらい強い声で俺に話しかけてきた。
「私は、未来を視ることができるの」
は? なんの話? それって前言ってた勘が鋭いとかいうあの話? てか怪我してんのに何言い出してんの? 頭打った?
「…多分、なんとなく勘づいてると思うけど…卒業後も赤司の傍でずっとあなた達のことをサポートしていたのは、私が明日を視る人間離れした力を持ってたから。未来は変えられない。未来は全て確定してる。…だから私は、視える未来を赤司に告げて、ずっとあなた達の試合を先読みしてきた。何も秀でたものがない私が、それでもずっとあなた達の傍にいたのは、そんな異能のせいだったんだ」
────無理して俺達に説教垂れてたあの時、この人はどんな気持ちでいたんだろう。
未来が視えるっていうその意味はよくわかんない。でも今この人がここにいるっていうのなら、この人はきっと、俺がここで事故に遭いかけることを本当に知ってたのかもしれない。
「昨日…あなたがここで事故に遭う未来を見たから、急いで来たの」
それだけで来たの? 死ぬかもしんないのに、そんなことのために金も時間も命も懸けてこんなことしたの?
なんで? あんただって、俺達のこと嫌いだったはずじゃん。バスケの試合だって、あれから一回も見にきたことなかったじゃん。
なんで、とそう口にした俺への返事は、
「…勝ってほしいからに決まってるじゃん」
そんな、シンプルなものだった。
「過去から逃げてる私とあなた、すごく似てるから…心配だったの。私は、あなたのこと嫌いなんかじゃないよ。ただ…変わってしまっていくみんなを見てるのが怖かっただけ。私は私の力が嫌いだった。私自身のことも嫌いだった。そしてそんな風に思わせた世界のことや、周りの人のことはずっと怖いと思ってた。だから今まで、人との関わりそのものを敬遠してた。────でも今は心からあなたに過去を超えてほしいって思ってる。好きとか嫌いとかじゃなくて、そんな面倒なしがらみは関係なくて、ただ単純にあなたが楽しそうに笑っているところを見たい。ただ勝ってほしい。陽泉のみんなと、勝ってほしいの」
────不意に、昔のことを思い出した。
好きなようにプレーしてほしいって。楽しんでる俺達を見てるのが楽しいんだって。
だから、俺達がその気持ちを忘れていくことが怖かったんだ。
どうして同じ場所に来てくれないのって思ってた。
でもそれは違った。
この人は最初から、俺達のずっと傍にいてくれたんだ。
突き放したのは、俺達の方だった。
「この間はきついこと言ってごめんね。確かに八つ当たりにしか聞こえないよね、あんな言い方じゃ。でも…私、あなたにああ言ったこと、後悔してないよ。ただいつか、私が本当に言いたいことを伝えたいっていう気持ちだけはずっと抱えてて────それでこんな未来を見ちゃったもんから、もういてもたってもいられなくて秋田を飛び出して来ちゃった。未来も、なんか知らないけど初めて変えられちゃった」
いつも苦しそうにしていながら、それでもこの人は最後の大会までずっと俺達を助けてくれていた。
赤ちんがこの人を必要としていたのは、この人が望まない力を持っていたからだ。
望まない力を持っていたせいで、それを望まれてしまったせいで、この人はずっと俺達を怖がりながら、それでも必死で同じものを見ようとしていたんだ。
過去を引きずってる、って数ヶ月前に罵ったことを今更ながら後悔した。
多分本当にトラウマになっていたんだろう。バスケのことを考える度、俺達の狭い視野のせいでぐさぐさと刺され続けた言葉の刃の傷が何度も疼いたんだろう。
でも、この人は来てくれた。
過去を断ち切って、来てくれた。
「だからさ…お願い、戦ってきて。それで勝って、最後まで勝って、赤司も打ち倒して、それで────笑って」
そしてあの時と────同じことを、言ってくれた。
笑って、って。戦って、って。
その時唐突に俺はずっと"何か言いたいはずなのはわかるのにそれが何なのかはわからない言葉"に気づいた。
俺も、同じだったんだ。
笑って。
ねえ、影ちん。笑ってよ。
影ちんは救急車に乗せられて病院に運ばれて行った。車に乗るその直前、手を振っていた。
"任せたよ"
そんな声が聞こえたような気がして、俺はそれに頷いて答えた。
多分、どこかで気持ちが落ち込む瞬間は来ると思う。もう一度バスケを全力で楽しむためには、俺はちょっと腐りすぎた。
でも、でもさ。
せめてまず、コートには立つよ。
影ちん、だからさ、最後まで俺がやれたらさ、その時はまた笑ってよ。2年前までの、あの頃みたいに。
その後ホテルに戻った俺は、影ちんとの約束通り朝起きたことを福ちんと室ちんにだけは話さないと言い聞かせ続けていた。
「どうした、顔色が悪いぞ」
なのにアゴが、目敏く俺の動揺に気づいた。
…この人なら大丈夫か。
「…今朝、影ちんに会った」
「水影さんに? 東京に来てるのか?」
「は!? 冬子こっちにいんの!?」
近くにいた福ちんが即座に反応する。その顔があんまりにも驚いているようだったから、事故の話なんてしたら本当にヤバいことになりそうっていうのは流石の俺でもわかった。
「うん。ちょっと早目に来て直接見たいってさ。俺こないだまで影ちんと喧嘩してたからちょっとふわふわした気分になってたけど、もう大丈夫。仲直りした」
「そうか、それなら良いんじゃが…」
アゴの方はそれで納得したようだった。
でも福ちんは、ずっと顔をしかめてた。
「…冬子が…東京に来てるのか…」
ぶつぶつ言ってたけど、深い事情を聞かれなくて良かったって思った。
とにかく今は、目の前の試合に出るのが第一の目的だ。さすがに試合が終わったら、福ちんにも室ちんにもちゃんと事情を話してあげようとは思うけど。
俺の中で、ずっとずっと長い間積もってたなんかよくわからないムカつくわだかまりが少しだけ…消えているような気がしていた。
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