[本日の予定:久々だ。朝起きて、ただ惰性で授業を受けて、だらだら福井と喋る。平和が一番。]
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29話
「昨日紫原の誕生日パーティーがあってさ」
「あ、氷室君から写真もらったよ」
「また氷室!」
氷室の名前を出した途端福井の声のトーンが一段階上がった。もはや最近それ自体が面白くなってきてしまったので、積極的に彼の名前を出すようになったまである。
「で、結局のとこどうなんだよ。本当に進展何もなし?」
「ないよ」
「あんだけ一緒にいておいて?」
「いやそりゃ最近お誘いもらえる回数が増えたかも…とは思ったけどさ、これ私の方が意識しだしたから誘われてる記憶が鮮明に残ってるだけじゃないかなとも思うんだよね。どう?」
「いーや明らかに頻度激上がりしてる。これじゃどっちが恋してんだかわかんねーってくらいお前誘われてる。お陰で俺、いつも除け者」
「じゃあ次は福井も来れば良いじゃん。声掛けるよ」
「だからなんでお前はそう自分の恋愛感情に鈍いんだよ」
好きな奴とせっかく2人で過ごせる時間に他人が入っちゃときめきが半減するだろ、と言われた。私は福井がときめきという言葉を発したことの方が面白かったので、その辺りの問題について考えることを早々に放棄していた。
「望めば望むだけ辛くなるんだよ。…って意味では、今なら福井の気持ちもちょっとわかるかもしれない」
「あ?」
「好きな子には全然その気なんてない、でも自分は好き。だから何も望まず穏やかに、ただ好きなままでいる。それで良い、それが良い────って、あの時はなんでそんな無欲ぶってるのって思ってたけど、私も今そんな感じだわ」
「…俺とお前は違うだろ」
私は今、あの時の彼のセリフをそのままなぞるような感情を持っているとばかり思ったのに。
意外なことに、その所感は一蹴されてしまった。
「何が違うの」
「可能性の話」
「可能性?」
「俺、お前の恋は叶うと思う」
「そりゃあさ、相手のこと知ってればそういう適当な慰めも言えるだろうさ。でも私は福井の好きな子のことなんて何も知らないから、適当に叶うよとすら言えないんだよ? それズルくない?」
「待ってくれ話が飛躍しすぎて全くわからん。何が適当だよ、何がズルいんだよ」
福井は頑なに好きな子の話をしてくれなかった。
私は氷室の話を福井に向けてあえて発散することで、すぐに首をもたげる欲望を解放しては空にするという作業を繰り返しているが、もしかしたら福井は誰にも語らず自分の中に溜め込むことで欲望に蓋をし、全て自己消化させていくタイプなのかもしれない。
そもそも恋とは、綺麗な感情だけでは終われないものだ。
もっと近くにいたい、もっと一緒にいたい、そんな純粋な願いはやがて"私の傍にきて"、"ずっと一緒にいて"という身勝手な欲望に変わっていく。私が一番怖いのは、そんな欲望を自分の中に宿すことだった。
恋のように一瞬で感情が大きく昇る現象には、必ず下降する時がくる。なんだって上がり続けることはないのだ。
そして激しい執着の末下降していった感情が着地するのは、離別という道の入口。
もちろんそうならない人達が世間にいることも、"どこかで聞いた話"としてなら知っている。しかしそんな幸せな結末は、私にとっては御伽噺と同じようなもので────"空想的"な選ばれし少数派の人間にしか叶えられないものだと思っていた。
そう思うようになったきっかけの────小学生の時の恋なんて、それこそ子供のおままごとじゃないかと笑われてしまうかもしれない。
でも、確かにキラキラと透き通って輝いていたはずの宝石が、些細な"化物"というたった一言で粉々に砕かれ砂と化してしまうあの時の気持ちを味わうなんて、もう二度と御免だった。
終わりのある感情なんて、無駄に育てたくない。
どうしたって生まれてしまった"恋心"それ自体は、もう仕方ないと思う。私はそれを止める前に自覚してしまったから。殺す前に、産んでしまったから。
でもその後の"欲望"への進化なら、理性で止められるはずだ。まだ、間に合うはずだ。
"人との関わりを避けたい"という私の自己防衛措置は、案外強く働いているらしい。恋という強い衝動の前でなお、いつか訪れる別れの日を予想させ、頭を冷やしてくる。
そういう意味では福井といる時の方が楽だった。
もちろん友情なら終わりが来ないなんて、それこそ物語の上でしか実現できないことを盲信しているわけではない。でも、友情には恋愛のような利己的な欲がない。
何度か言ったかもしれないが、私は福井が幸せでいてくれるならその場に私がいようがいまいがあまり関係ないと思っている。
終わりを恐れずに済む関係、というのが一番近いだろうか。その終わりが喧嘩のような形でさえなければ良い。その上で今、こんなにも気を置かずに付き合えているんだから、この関係が一番心地良いに決まっている。下手に初期段階で神格化してしまったせいで恋はできなかったが、私はむしろそれで良かったと思っているくらいだった。
「あ、つーかお前、今度のWCは見に来いよ」
しみじみと友情の尊さに浸っていると、突然福井から爆弾が投げ込まれた。
────福井から直接「試合に来い」と言われたのは、これが初めてだった。
「えー、東京? やだよ」
「いや絶対来い」
しかもこの頑なさ。
…まあ、大方この間の話を聞いて何かしら思うところがあってくれたのだろう、とは思う。
「今まではなんでバスケを嫌ってんのかわかんなかったから誘わなかったけど、過去のトラウマが原因なら俺が全部それ取っ払うから。陽泉のバスケを見に来い」
ほらね。
正直、どこかで一度見に行こうかとはずっと考えていた。
福井や氷室(と、あと少しだけ岡村)の存在のお陰で、それまでも東京にいた頃と比べればかなりバスケ自体への嫌悪感が薄れていたのは感じていた。しかし先日紫原と口論した時────私は本心から、陽泉バスケ部を────"バスケに人生を懸ける人の価値観"を擁護した。
そしてその時に自覚した。嫌悪感が薄れたなんてレベルではなく、私はバスケのことが、そしてそれに全力で打ち込む彼らのことが、また性懲りもなく好きになってしまっていたのだと。
私が嫌いなのはバスケじゃない。"スポーツ"を捨てた当時のキセキの世代だった。
頭では理解しつつ、心の方がなかなか受け入れようとしていなかった自分の認識違いを、ここでようやく完全に正すことができた。
するとどうだろう、今度はもっと純粋な気持ちが芽生えてきた。
唯一の友人と、恋をした人と────何度ぶつかっても見捨てきれない後輩の戦う姿を、間近で見たいと。
「……私、大丈夫かな」
でも本当にバスケを見に行ったとして、私はちゃんと最後まで見れるだろうか。
また関係のないトラウマを引きずり出して勝手に恐怖を覚えて、他でもない母校の試合を投げ出したりするようなこと、ないだろうか。
「大丈夫だよ」
何の根拠もないくせに、福井はそう言った。とても優しい声だった。
さっき「絶対来い」と強気で言ったのは、あれくらい強く言わないとお前は来ないだろ、という意思と、それでも隠し切れない彼の優しさがごちゃ混ぜになったが故のものだったのか、とそこで改めて彼の不器用な愛を感じる。
大丈夫っていう言葉は、別に未来を約束するために言う言葉じゃない。
その時その人を安心させるためだけに使う言葉だ。
いつか自分で自分に言ったそんな皮肉が、今になって返ってくる。
そして私はそんな持続時間の短い薬に────確かに、安心感を覚えた。
「…うん、じゃあ最後の試合なら見に行くよ」
「おう、決勝だな。任せろ」
苦し紛れに与えたプレッシャーなんて、鼻で笑い飛ばされてしまった。
────福井にとってはプレッシャーにしかならなかった"最後の試合"という言葉だが、きっと私はその日がいつになろうと予知できる。本当に、その日がいつ来ても見に行くことができる。
もちろん彼は私の未来視なんて知らない。だから当然のように"決勝"という言葉がその口から出てきたわけだし、私も彼らの最後の試合が決勝になることを祈っているが、それが中間日の試合になることも一応覚悟はしておかなければならないかもしれない。
まあ、そんな半端な日に顔を出したところで、何も知らない彼は「お前これが最後と思ってんのかふざけんな」とそれさえも原動力にしてくれることだろうが。
うん、そうしよう。
最後に福井の勇姿を見届けて、今度こそ私はきちんと過去を清算しよう。
WC予選まであと1ヶ月。
どうか彼らがボールと向き合える日が1日でも長く続きますようにと願うばかりだ。
「ところで最近紫原は? 元気してる?」
「あーしてるしてる。相変わらず練習には出たり出なかったりで何も変わんねえよ。安心しな」
私と紫原の確執を知ってから、福井の口から紫原の名が出る回数が減ったように思った。
なんだかそれは気を遣われているようで居心地が悪かったので、時折こうして私の方から話を振ることにしている。まあ、それでも反応はいつだってこんな雑なものだが。
「まあ、未だにお前の話にだけは絶対乗ってこないけど。マジ子供だな、あいつ」
「はは…」
────まあ、それも予想はしていた。
きっと私から歩み寄らない限り、彼が心を開いてくれる日は来ないだろう。私の言っていることはきっと彼に刺さっている、と氷室は言っていたが、いやそれならなおのこと、彼は絶対に自分の主張を曲げたりはしないはず。そのうち喧嘩の原因すら忘れて意地だけ張っている状態になるんじゃないか────本当に子供みたいな様になっている紫原の様子を想像して、そのあまりのリアルさに少しの寂しさを覚えながらも笑ってしまった。
「大丈夫か? 紫原とぶつかるなんて、お前にとっちゃトラウマ再来みたいなもんだろ」
「うん、思ったより大丈夫。どっちかっていうと、私の言葉で追い打ちかけてバスケ部辞めるとかいう話になったらどうしよう、ってそっちが心配だったから…。私があの子に苦手意識持ってたことも実は知ってたみたいだし、落ち着いて状況を考えてみれば、この半年でお互いの関係を無理に詰めようとしてた方が不自然なことで、今回はそれが自然にただ元の距離まで戻っただけのことなんだと思う」
だから、紫原との関係自体はそこまで私にダメージを負わせなかった。
「はー…毎回思うけどキセキと対立するマネージャーって字面が強えよな…」
「弱かったよ私。言ってること片っ端からバキバキに否定されたし」
「でも結局卒業後まで面倒見てたんだろ? しかもあの赤司の命令で。プレーヤー経験もないただのOGを卒業後まで呼び出すって、相当だぜ」
「うーん、なんでだろうね」
まさか私の異能を買われていたからだなんて言えるはずもなく、知らないふりをして濁す私。そのせいで、福井の中では私のマネジメント能力値が理不尽に上がり続けているようなのだが、彼は"バスケ嫌い"の私をバスケに関わらせようとするほど無神経な男ではないので、別段訂正することもなく理想が誇大化していくのを黙って見ていることにした。
「そんなことがあっても紫原に歩み寄ろうとしたお前は偉いよ、ほんと」
そうしてこの話はいつもここに帰結する。
福井曰く「ある程度時間が経てば、紫原は自分の"それが悪意だなんて全く思わないまま発した明確な悪意"のことなんてけろっと忘れて、平気で話しかけてくるはず」とのことらしいので、「逆にいつまでも小さいこと引きずってウジウジしてそうなお前が、そこで逃げなかったのは本当に偉い」のだそうだ。
褒められているのか貶されているのかはわからないが、とにもかくにも結論として福井が偉いと言ってくれるのだからまあそうなんだろう。と思うことにする。
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