[本日の予定:日中はいつも通り、福井とだらだら喋りながら義務的に授業を受けるだけ。そのまま平和に終わってくれれば良いものを────どうやら私は放課後、学校を飛び出すまでに時間がかかったせいであの紫頭と遭遇してしまうらしい。]
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2話




「お前結局昨日怒られてたな」

朝から面白そうに面白くないことを言う福井。昨日入学式に出ずに教室で時間を気することもなく居眠りをしていたところ、式典から戻ってきた担任にあっさりと見つかってしまい、帰りのHR後にご丁寧に呼び出されてまで怒られた。

「ずっとあの中庭にいりゃ良かったのに」
「いや…それがなんか精霊に会っちゃってさ、学校案内してたら戻る気失せちゃった」
「…………頭の病院紹介しようか」

要領を得ない私が悪い、悪いのだが、あまりに失礼なその物言いについ反射的に福井にデコピンしてしまっていた。大して痛くもないくせに逃げることもせず「いでっ」と間抜けな声を上げてくれる福井はなんだかんだいってお人好しだ。

「そっちこそどうだった? 放課後ミーティングして紫原と会ったんでしょ?」

どうせ私が言い出さない限りまた気を遣って絶対話題になどしないだろうと思っていたので、あえてこちらから会話を切り出してみた。キセキのことは確かに苦手だが、福井のことは大切な友人だと思っている。唯一の友人がいるチームのことなら、少しは知っておきたい…というか、その友人が何より好きな話題を過剰な気遣いで封じてしまいたくはなかった。

「あー…なんつーか…………手ぇ焼きそう」

紫原といえば、良くも悪くも無邪気という言葉のよく似合う人だった。
バスケに関しては完全に悪い意味での無邪気さが目立っていたが、普段の姿はなんてことない小さな子供のようだとよく思っていたことを覚えている。おそらく手を焼きそうと言った福井の言葉の意味も、そこにあるはず。

「お前、キセキとの関わりはあったんだっけ」
「んー…有名人だしね、一応知っちゃあいるよ」

微妙に答えになっていないことは自覚しつつ、嘘にならないぎりぎりのラインで曖昧に濁す。賢い福井はその僅かなズレに気づいたはずだが、話の本題はそこではないからだろう、私の答えに言及することはなかった。

「ま、それならお前も知っての通り実力は一流だし、正直うちはあれがいなくても自由人の寄合所みたいなとこあるからな。手は焼きそうだがやってけないわけじゃねえさ」

こういう時、全国区チームの副主将の名は伊達じゃないと思う。言うほど楽なことではないはずなのに、彼が口にする言葉はどれも信憑性の高い安心できる未来に思えるのだ。

「頼もしいじゃん」
「まあな。どうせ責任とんのはゴリラだし、こっちは言うだけタダってもんだ」

そんなことを言う福井だが、そのゴリラ(福井の口からしか彼の話を聞かないので、実は主将であるという彼の本名を知らない)一人に重たいバスケ部の名声やプレッシャーを背負わせる気がないことなんて、こっちも最初からわかっている。大切な試合の前にはいつもぴりりと電流が走っているかのように感覚を研ぎ澄ませ、鋭く繊細な気を放っている彼のバスケプレーヤーとしての顔を見てきただけに、彼のそんな脱力した軽口はゴリラに対する信頼と親愛あってこそのものなのだと私もつい顔を綻ばせてしまう。

「そんなことより俺はお前の精霊サンの話聞きてえんだけど」
「何さ、さっきは頭の病院とか言ってきたくせに」
「んなの冗談に決まってんだろ。普通に気になるわ」

あえて話すほどでもないけど、別に隠すようなことでもない。思い出せる限りを話しながら────特に氷室の容姿や仕草がいかに洗練されていたかについて詳細に話してみせると、福井はまるで甘すぎる砂糖菓子を無理矢理口につっこまれたような顔をした。

「……気味悪いくらいに出来た奴だな」

その糖度の高さに胸焼けを起こす気持ちもわかるが、事実そうだったのだから仕方ない。私が彼の素性が人間だと理解してもなお精霊と呼びたがる理由もわかってもらえたことだろう。

「で、なに、そんな超絶イケメンが夏に編入してくるってわけ?」
「彼がここを選べばの話だけどね」

「お前がそこまで言う程ならいっぺん見てみてぇな」と、福井は案外この話に興味を持ったようだった。しかし残念なことに彼はまだここの生徒じゃないし、なんなら今後もここには来ない可能性がある。せっかく関心があるのなら一度会わせたいとも思ったが、それは余程の奇跡でもない限り叶わないだろう。そんな奇跡、別に起こらなくても良い。

「でもお前、そういう奴苦手だと思ってた」
「苦手だよ。僻み屋だもん私」
「の割には手放しで褒めてね?」
「事実と感情は無関係でしょ」

そう。私がどれだけ氷室に苦手意識を持っていたとしても、彼が人当たりの良い紳士的な美男子だということは誰の目から見ても明白な事実。
私にとってそれは当たり前のことだったが、福井は「お前のそういうとこ偉いよな」と褒めてくれた。
福井に褒められるのは、少しむず痒かった。

「おーい、福井ー」

その時、廊下の向こうから他クラスの男子が福井を呼んでいるのが聞こえた。

「おう! じゃな、冬子」

会話が一段落していたこともあり、福井は律儀に私にそう言うと、さっさと男子の元へ走っていった。
今更その軽やかさに寂しさを覚えたりなんかしないけど、毎回思うのはやっぱり私の周りには薄いけど高い壁があって、福井だけがその間を行ったり来たりしているんだっていう、そんなイメージ。誰も入ってこないこの世界にわざわざ自ら足を踏み入れてくれる福井をこんな狭いところに閉じこめたいなんて思わない。ただ私は、自分から世界を狭めている自分がとても嫌いだということと、それでも私なんかに付き合ってくれるただ一人の友人の優しさに感謝しているということを、彼が境界線を越える度に強く強く感じるだけなのだ。

────放課後になると、私はさっさと帰り支度をして教室を出た。
普段から教室に長居するタイプではないが、今日はなんとしても早く学校を出たかった。

「あ、水影さん、ちょっと良い?」

…だというのに、図ったように廊下を歩いていた女教師が私を呼び止める。急いでいる私の足取りになど全く気づかない様子で、うちのクラスで国語を受け持っている村上先生はいつも通りの間延びした動作で鞄から私のノートを取り出した。

「あのね、この間の古典の課題のこれなんだけどね、先生あなたの訳がとても気に入ったの。特にここのあはれ…あはれってほら、なんとでも言えちゃうじゃない? 趣深いとかしみじみとするとか簡単に言えるところをあえてこの場面にかけた比喩を持ってきた上で最後に全身に染み渡るまで感じ入るって締めるやり方がね────…」

どうやら先日出た古文を現代文に訳す課題について褒められているらしい。私の無駄な空想力が評価されているのは大いに喜ばしいことだが、今はそれどころじゃない、というか今じゃなくても正直こんな往来のど真ん中で講評会を開かないでほしいという気持ちの方が大きい。

「だから、次の授業でこれを返す時、模範解答として水影さんの訳文を紹介しても良いかしら?」

ゆるり、ゆるりと言葉を紡ぐ彼女の口調はまるで歌うようにのどかで、確かにイメージする古典の世界を生きる雅な人そのものだ、と思っている。しかしこの時ばかりはその喋り方のためになかなか解放されず生徒がどんどん私達の脇をくぐり抜け下校していくのを見て、げんなりした顔をしないよう表情筋を保つのに精一杯だった。

「ああ…私のなんかで良ければ、光栄です」
「良かったわ、それでね………」

……結局その後たっぷり10分は掴まり続け、私が校舎を出る頃にはそこかしこで部活の勧誘をかける賑やかな声と色とりどりの部活着が溢れていた。

怪訝な顔をしていた福井を振り切ってまで急いだ意味が全くなかった。溜息をつきながらもできるだけ存在感を消して歩く。しかしその存在感を消そうとこそこそしている様が"慣れていない初々しい感じ"とでも捉えられたのか、何人かの同級生や下級生が私にまでチラシを差し出してきた。

「吹奏楽、やりませんかー!」
「今熱いのはやっぱ将棋でしょ!!」
「水泳やろう、水泳!」

いちいち「3年なので」と訂正するのも面倒で、ただひたすらに伸ばされる手をかいくぐりながら校門を目指す。しかし邪魔ばかりされているからだろうか、やけにその道のりは遠く感じられた。
ああ、だから人の輪の中っていうのは苦手なんだ。飛び交う大声、交差する感情、楽しいとかいうより先に根暗な私はそれをうるさいと感じてしまう。うるさい、面倒くさい、早く逃げてしまいたい────

やっとの思いで校門まで辿り着き、ここさえ越えればもうこの人の群はなくなるんだ、と若干の安堵を覚えた時だった。

突然目の前に大きな壁が現れ、まさに門を越えようとしていた私はしたたかに体をぶつける。その反動でつい尻餅をついてしまった。

「…………?」

どうして突然こんなものが、と混乱する頭で壁を見上げると、それは壁なんかじゃなく────うちの制服を着た男子生徒だった。そう、壁なんかじゃない、人だ。

「あれ、今ぶつかった?」

ゆっくりとした声が遥か頭上から降ってきて、私の姿を捉える。それと同時に、私も首を更に上へと向けて、その声の出所を捉えた。

「───────っ」

────人混みの中でも一際目立つ、鮮やかな紫。

「……あらま、大丈夫?」

その、大きな体とのんびりとした口調、そして他の誰とも違う、紫色。

間違いようがない。

「…………紫原…」

確かに一番会いたくなかった、キセキの世代の一人が、そこにいた。



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