[本日の予定:氷室から、紫原の誕生会の写真が送られてきた。彼の中で私との喧嘩(?)がどう処理されているのかはわからないが、ひとまず部の人達とは楽しそうにやれているようで良かったと思った。]
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28話
「水影さん、覚えてますか、ロスの友人…未来視について研究している奴のことですが」
10月の上旬。
それは、氷室から誘われてついて行った、行きつけになりつつあるカフェでの話。
好きな人から誘われるというのはこんなにも嬉しいものなのか、とどこか客観的な新鮮さを感じながら、私は帰りしなにささっとトイレで髪型を整えてから昇降口の待ち合わせ場所に向かった。
カフェで注文した紅茶が出てきた後に氷室が言ったのが、これ。
もちろん覚えている。最近とんと話に出てこないので、逆に私の方が忘れられているかと思っていた。
「彼には定期的に水影さんのことを相談し続けていたんですが…最近、こんな返事が来て」
そう言って、彼は携帯のメール画面を見せてくれた。
…それはありがたいのだが、私はその文章のほとんどが読めなかった。
一応これでも受験生、ある程度の難文でも粗方の意味を汲み取れるくらいの読解力は身に着けたと思っていたが…。
これ、流石に専門用語が多すぎないか?
「ええと…私が…断片的にしか、未来を見られない…理由?」
「はい。あ、代読しましょうか」
そこでようやく文化の差に気づいてくれた氷室がそう申し出た。
恥を捨て即座に頷き、彼の美しい声がメールを読み上げてくれるのを聞く。
要約するとこうだった。
まず、私が視る未来はいつも"断片的すぎる"のだそうだ。
明日のことまでしか視られないのは、複雑に絡み合う過去から一定の未来をより先々まで視ようとすると、人間の脳が先に処理能力の限界を迎えてしまい強制的にシャットアウトされてしまうからではないか。そんな仮定は、以前からなされていた。
────ただ、その仮定を以てしても、私の場合その"限界"を迎えるタイミングがあまりに"早すぎる"と思われたようだった。
理論上、"明日まで"という時間的な制約があれば…いやむしろそこで一定の制約がかかるからこそ、ほぼ確定しているそんな近い未来はもう少し長く視えるはずだ、というのが彼の元々の考えだったらしい。
しかし最近、私の事情を氷室から聞いていた彼は、帰納法的にある新しい仮説を思いつくに至った。
もし、未来は人が思っている以上に複雑だったら…?
人間にでさえ観測可能となるほど確定されているはずの"明日"が、本当はもっと不確定なものだったとしたら…?
「つまり、私が視てるビジョンはあくまで未来の一部分…つまり"確定している部分"だけであって、視えないところは全て不確定ってこと? 些細な行動でどうにでも変わってしまうって…そういうこと?」
「ええ…"行きつく未来が視えてるビジョンに帰結する"ことそれ自体は真理だとしても、そこに至る過程次第ではその後…これは何も数日後なんて遠い未来ではなく、その"直後"の未来にでさえ、無限の"可変性"をもたらすんじゃないかと、そう書いています」
これには少しばかり驚かされた。幼い頃から当然のように未来を視続けてきた私にとって、"未来"とは"少なくとも前日にはその全てが確定しているもの"であり、"当日にどう足掻いても変えられないもの"とばかり思い込んでいたからだ。
仮に"みんなが未来を視ることができる"のであれば、確かに"未来を変える"…いや、おそらくそれより今の行動を全員が意図的に変えることで"望んだ未来を作る"形を実現させることはできるのかもしれない。
しかし、そんなことはまずありえない。
"未来を視ることのできる人間が私ひとり"である以上、他人の"何気ない行動"はどうしたって不可変な未来を編み出してしまい、私一人の力でそれをどうこうできる範疇などあっさりと超えてくる。それはあまりに明白で残酷な"現実"だった。
誰もが未来を予測できない以上、彼らのリアルタイムで起こした行動は(しかもそれさえも事前に決められていた未来のレーンをなぞるだけだ)、そこで決定づけられた"新たな不可避の未来"を生み出す。
"不可避の未来"の先にあるのは、"更に実現性の高まった不可避な未来"のみ。
たとえ私にその全貌までは視えずとも、時間は止まることなく"全てが決められた未来"を辿るだけだと思っていた。
しかし…もしその研究者が言うように、私が視ているビジョンは特定の因果が結びついて"どうあってもそうとしかなれないもの"のほんの一部に過ぎないとして────その他の未来は全て他の人が思うように"今の行動でどうにでも変えられるもの"だとしたら────?
「もし彼の仮説が正しいとしたら、水影さんはもう少し未来に希望を持てるようになりますね。今を生きる意味を…今を信じるだけの意味を、持てるようになるんですから」
氷室はまるで我が事のように嬉しそうに笑ってくれた。その気持ちがもう嬉しくて、つられて笑みを浮かべる。
「ありがとう、教えてくれて」
「いえ、また何か新しい話があればすぐお伝えしますね。今日の話も、少しでも期待できるものであれば嬉しいです」
「うん、ちょっとわくわくする」
────実を言うと、彼の話がそれなりの意外性を私に与えてくれたことは事実だが、そんなに期待していないという気持ちに変わりはなかった。
たとえ本当に未来のほとんどが不確定なものだったとしても、結局私にはあまり関係ない。多少驚くことが増えるかもしれないが、この18年は私をすっかり事なかれ主義へと成長させてしまった。今何をしようが未来なんて変わらない。変わったところで、今の行動がどう未来に作用するかなんてわからない。
だから未来の不確定要素が増えたところで、そう心が大きく動くようなことはなかった。
そうだな、この異能が完全に消えるとわかったら、その時は本当に心から喜べるかもしれないが…どうあれこの要らない力がある限り、私が"普通"になれない事実は変わらないのだ。
だからどちらかというと、その"わくわく"は今この時間に対する感想といった方が正しかった。好きな人と一緒に過ごせるこのなんでもない時間が、とても楽しいのだ。もちろんそんなことは言えないので、あくまで彼の話に希望を持ったような言い方をわざとしてみせたのだが。
────恋をして気づいたことが、ひとつあった。
なんだか世界がやたらと美しく見えるのだ。
元々あらゆる現象に対する感受性は豊かだったように思う。しかしここ最近は、それが一層高まっているのだ。木々の葉の擦れる音がまるで歌のように聞こえ、月の光がまるで私の心を映したかのように霞を纏って地上を照らしているように見える────と言ったら、福井には真っ先に「お前のクソデカ感情はいつも重い」と言われ頭の病院を紹介されたけど。でも、そう思えてしまうんだから仕方ない。
「そういえば水影さん、最近少し変わりましたね」
氷室にさえそう言われてしまった。一瞬自分の気持ちがバレたのかと思いドキリとしたが、別段彼の表情には変化がなかった。
「…どう変わった?」
「元から綺麗な方だなとは思ってたんですが、最近殊更お綺麗に見えます」
「…お上手ですね」
もう彼の賛辞にはいい加減慣れた。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、それは別に"私が本当に綺麗だから"言っているのではなく、"彼の目を通した世界が綺麗だから"言っているに過ぎない。私自身に、特別な感情はないのだ。恋を自覚してから、そのことをむしろ少しだけ寂しく思うようになってしまった。いやいや、何も求めないと決めた以上それで良いのだが。
「本当ですよ。表情が明るいというか…何か良いことでもあったんですか?」
「…ちょっとバカな話なんだけど…。最近ね、世界がとても美しく見えるの」
「世界が?」
「うん。木の葉の擦れる音は歌に聞こえるなとか、月が自分の心みたいに鈍く光ってるなとか、前より増して外界の情報が私に染み渡ってくるのを感じるの。風が楽しそうとか、太陽が優しいとか、そんなことでさえちょっとだけ嬉しくなったりして…その…ごめん、頭おかしいよね」
福井にした話を同じように氷室にもする。理由はとても言えないが、とにかくあの日から私の見るもの全てがより綺麗になってしまったのだから、事実としてそれは仕方ないだろう。
「…いえ。俺は、そうやって世界を全身に感じてる水影さんの言葉が一番心地良いですよ」
氷室の返答はこうだった。
別に福井の返答に不満があったわけじゃない。
福井はあれで良いのだ、あれだから良いのだ。
だけど。
好きな人に自分の感性を好きだと言ってもらえるのは、とても光栄なことだと思った。本当に眩しそうに、優しげな微笑みを浮かべる彼の笑顔にまたしても救われる。
「ありがとう、こんな脳内お花畑の戯言を聞いてくれるのなんて氷室君くらいだよ」
「本当ですか。だったら役得ですね」
ほら、ちょっとの謙遜に余りある誉め言葉が即座に被せられるところだって。
その言葉の巧さに、以前一時だけ私より彼の方が詩人向きなのではないかと思った日もあったが────
実は彼の感性は、至って単純だった。
抜けるように青い空を見て感動している私の横で「あの雲ちょっと飛行機に似てません? これが本当の飛行機雲…みたいな」と言ってみせたり。
長く伸びるようになってきた夕暮れに落とされる影を見て「見てください、影が長いですよ。水影さんも巨人ですね」と言ってみせたり。
着眼点は同じなのだ。その時点で十分感性は豊かなのだろう、が────。
彼の場合は、回りくどく幻想を取り入れたがる私なんかよりずっと素直だった。まるで子供のように、そこにあるものを見て喜んでくれるのだ。
そんな彼の感性が、私はたまらなく好きだった。彼が私の見てる世界を詩的で神秘的と言ってくれたことがあったが、私は逆に在る形そのままを切り取れる彼の世界がとても優しいものだと思っていた。
「────そういえば、今日アツシの誕生日パーティーをやるんです。多分写真を送ると思います」
「あ、うん。承知済み」
「良かった。順序がおかしいですけど…そういうわけで、アツシは俺達と変わらず仲良くやってるので、安心してくださいね」
そもそもは、自分の言葉が却って紫原を追い込んでしまわないかと悩んでいた私を安心させたいがために送ってくれる予定だった写真。送られる前にその様子を知るというパラドクスが起きたせいで早々にネタバレが行われたが、私は特にそれについては何も思わず、ただ氷室の底抜けの優しさに感謝しているだけだった。
「じゃあ、そろそろ行きます」
「うん、楽しんでね」
「はい。またお誘いしますね」
「ありがとう」
次の約束をしてくれようとしている。それだけでこんなに嬉しい。
恋とは愉しいものだ。余計な希望を持たなければ、ただただ楽しいだけだ。
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