[本日の予定:紫原と2人きりで話す未来。最悪。その後氷室に何か詰め寄られているらしい。もっと最悪。]
[進捗:100%]
27話
秋の夜は好きだ。
遠くでひぐらしが鳴いている声が聞こえる。まだ暑いけれど、涼しい風が吹いているお陰で不快感はない。特に今日なんて、綺麗な三日月が夜の闇を明るく照らしてくれていた。
さっきまで隔てていた世界は、再びここへ戻ってきてくれた。
さっきまであんなに醜いものと思っていた世界は、再び美しく輝いていた。
私は時間をかけて、公園のブランコに腰掛けながら自分の過去の話を福井に聞かせた。
誠凛にいる黒子テツヤが幼馴染であること。
帝光在学時代、バスケ部のマネージャーを務めていたこと。
キセキの世代が入部する頃には一軍レギュラーの担当にもなっていたこと。
そして間近で彼らの成長と崩壊を見せつけられ、決裂したこと。
決定的な事件が、全中三連覇を懸けた最後の大会の準決勝後に起きたこと。
テツヤにバスケを教えてくれた荻原という少年が、他でもないうちのチームに心を壊されてしまったこと。
それを責めた私の言葉はもはや"イイコチャンのご高説"でしかなくなってしまい、最後には彼らとまともに会話することすらできなくなっていたこと。
そこから逃げ出した私の前に、私より絶望した顔のテツヤが立っていたこと。
その時のことを話すとどうしても心が痛み────そして目の前の福井も、同じように顔をしかめていた。
────真実を話すとは決めたが…私はやはり、彼に自分の未来視の話までもをする気にはなれなかった。
そもそも今回過去の話をしているのも、基本的には"半端なところまで聞かせたせいで却って心労をかけてしまった"ことに対する贖罪であり、大切な人に自分の話をしたくないという私の意思の根幹は何ら変わっていない。
だから、この話をするのには少々頭を回す必要があった。
私が未来を視ていると知らない者からすれば、テツヤの「なぜ事前に教えてくれなかったのか、自分が無理にでも試合に出ていれば何か変えられたかもしれない」というあまりに痛い正当な非難は、それこそただの錯乱による八つ当たりになってしまう。
「────あの子は、何よりまず自分の無力感に絶望してた。それから次にチームメイトと…私にも、絶望した。私の言葉は、最後にはあの子にすら届かなくなっちゃった」
結局、そんな簡単な言葉でまとめることにした。
信頼していた人から裏切られたような気持ちになり絶望する。それは私も彼も、同じように抱いた感情であり、そこには確かに嘘などなかったのだから。
「私はそこで、自分の価値観に疑問を持ったの。疑問は恐れに変わって、そうしたら人っていう生き物のことまで丸ごと怖くなったの。ああ、人ってこんなにも変わってしまうのかって。人の正義ってこんなにも脆いのかって。…私は、誰ともわかりあえないのかって。そんな気がしたから────私は、最終的に何もかもから逃げたんだ」
キセキから。帝光から。そして、バスケから。
それからの事情はご存じでしょ、と言うように両手を広げてみせる。
福井は納得したようにちらりとこちらを見て、それからまた地面を見つめた。
「お前が帝光の元マネとはね…道理でバスケの話が通じやすいと思った」
「ごめんね、隠してて」
「ああ、怒ってる」
福井は素直にそう言った。
表情に怒りは見えないし、氷室は彼の様子を見て"怒っていなかった"と言ってくれたけど、彼は彼自身の口で"怒っている"と言った。
「そりゃ訊かれたくないことは訊かないって言ったのは俺だし、この怒りだってお前に対して持ってるわけじゃない。でも────そんな大事な話をしてもらえないくらい、俺は頼りなかったのか? …って、自分にムカついた」
…は?
「え…私に怒ったわけじゃないの?」
「なんでだよ」
「秘密にしてたこととか…バスケから逃げてたこととか…それなのに他人事のように福井には頑張れって言ってたこととか…」
「いや、そんなことで怒ると思われてたことに怒りたい」
福井は初めて不満そうな表情を出した。
今の水影さんが福井さんを大事にしているのと同じくらい、福井さんも水影さんを大切に想っています。そんな人に対して、たったひとつの"過去"のせいで怒ったり軽蔑したりする人だ…なんて思い込んだら、むしろ報われないのは福井さんの方じゃないですか?
目の前の福井は、先程の氷室と全く同じことを言った。
「言ったろ、訊かれたくないことは訊かないって言ったのは俺だ。お前にどんな秘密があろうと気にしねえ。バスケから逃げたのだって、そんなことがあったんならむしろ自分が壊れる前に避難したお前は偉いと思う。紫原とかからもたまに聞くけど、全中三連覇の頃のキセキ、あんなんどう考えても正気の沙汰じゃねえぞ。あと俺に頑張れって言ってたのは、それが嘘から出た言葉だったら…まあデコピンする」
「嘘じゃない。私一回も、嘘でそんなこと言ったことない」
「なら良い。俺はお前には一切怒ってない。むしろ色々合点がいった」
合点がいった?
「転校してきたばっかの頃、お前すげえ…こう、怯えてたろ。まあ俺もその時はあんまお前に興味なかったから、名前とかそういうプロフィール的なアレは覚えてなかったけど、人と関わりたくないって思ってるオーラだけは妙に印象的だったから覚えてる」
「え…私そんなあからさまだった…?」
「だから腕時計の窃盗犯にされかけたんだろ」
「ああ…」
「あの時はなんでそこまで人嫌いなのか、そういう人間もいるもんなのか、って思ってたけど、まあ…今の話を聞きゃ納得だわ。ある日家で飼ってたチワワが突然腕食いちぎってきたら誰だって犬が怖くなるよな」
その喩えには賛同して良いものかと迷ったが、福井は福井なりに私の話を消化してくれているようだった。
「…つか、俺の方こそすまん。お前がずっと苦しんでたのに全然気づかなくて、昼の時だって…なんて声掛けたら良いかわからなくなってつい逃げちまった」
「…でも今こうして来てくれたじゃん」
「いや、自分が逃げ出してみて改めて思ったけど、やっぱお前すげえわ。お前は逃げた逃げたって言ってるけど、そんな状況の中でむしろ限界までよく立ち向かったと思うわ。それから────あー、その、ありがとな」
「…何が?」
「紫原のこと。俺が悩んでるのが見てられないからって、関わりたくもない奴の腕捕まえて一生懸命話してくれてたろ」
…なんだ、最初から見ていたんじゃないか。
「あの時は話してることの意味が全然わかんなかったけど、今話を聞いた上で思い返すとお前がどれだけの覚悟で紫原を引き留めてくれたのか、すげえわかるよ。ありがとな」
「……そんなこと…」
「ないって言うんだろ、もうわかったから。お前が自分で自分のことどう思っても良いけど、俺はお前にありがとうって思ってる。これで良いだろ?」
福井の優しさが全身に染み渡る。軽蔑されたのではないかという恐怖を、彼は瞬く間に安心で埋め尽くしてくれた。
ごめんななんて、言われる理由ないのに。
ありがとうなんて、言われる筋合いないのに。
「わたし…わたしね…」
口を開いた途端、一度止めたはずの涙が溢れ出してしまった。福井は一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに笑って傍まできてくれた。私の頬に伝う涙をひとつずつ掬ってくれる。
「福井達に…勝って、笑ってほしかったの…」
「うん」
「福井達が…頑張った3年間を…最高の形で締めてほしかったの…」
「わかるよ、ありがと」
「部外者ってわかってたけど…でも…紫原に何か言えるなら、私しかいないって思ったの…」
「お前は強いな、冬子」
「つよくない…」
「わかったわかった、強くなくて良いよ。わかったから泣くな」
「私、福井のことすごく大切にしてるよ……大切すぎて、恥ずかしい過去を話せなかったんだよ、それだけだよ、ほんとに、ほんとだよ」
「もうそれもわかってるから、チル、チルだ冬子」
困ったように、でも笑いながら福井はそう言った。
1年前、同じように神社で泣き笑いしてしまった私を戸惑いながら慰めてくれた福井の姿が、どこか重なる。
「お前、全然泣かなさそうなのに一旦決壊するとひでえよな」
「なにが」
「赤ちゃん返りが」
「18歳ですが」
「いや流石に知ってるわ」
ひとしきり泣いた後、いくらか落ち着いた気持ちで冗談も言えるようになったところで、ようやく福井は安心したように息をついた。
「ごめんね、心配かけて」
「いやもうお互いやめよう。なんか際限なくなる気がする」
それがあまりにも福井らしいものだから、私もつられて笑いながら「そうだね」と返す。
ああ、良かった。私はまた、救われてしまった。
自分で崩しそうになってしまった足場を、固めてもらってしまった。
本当に良い友人に恵まれたと思う。
"話にならない"、"理解し合えない"、そんな過去のトラウマを引きずっていた私に、話し合って互いを理解できる相手がいることは────本当に、何度それが同じことと言われてもその度にありがたいことだな、と思ってしまう。
「────あ、そういや、氷室は変なこと言ってなかったか?」
会話が途切れたところで、福井は些か不安そうにそう尋ねてきた。
「氷室君?」
「俺が怒ってないって話をしてくれたんだろ。その…」
「ああ、落ち込んで監督にしこたま怒られたってやつ?」
「だあああああ! もうあいつは言わんで良いことを…!」
副主将ともあろう者が集中力散漫で怒られるなんて、相当な恥だったのだろう。
でも私からすれば、それだけ私のことを案じてくれていたということ。ありがたいと思いこそすれど、それを恥だなんて全く思わなかった。
「あ、そういえばね福井、私からも話があって」
そうだ、恥といえば、氷室といえば。
私の人生最大の恥ずかしかった氷室に関する話を、何が何でも一番にこいつにしなければ。
「あ?」
「どうしよう、私、氷室君のこと好きみたい」
「…は?」
福井は心底わけがわからないと言いたげだった。
脈絡がない話を唐突に始めてしまった自覚はある。でも今のは、それにしたってあまりに本気が過ぎる「は?」だった。
「おっ…お前こないだ俺が同じ質問した時はわかんない、考えたこともないって言ってたじゃねーか!」
その口調は、さっき怒っていないって言ったのは本当だったのか、なんて気の抜けたことを思わせてくるくらいには怒っているように聞こえた。
すごい、語気が荒い。福井のこんな声、随分久々に聞いたような気がする。
「いや、その時はわかんなかったんだけど…いやわかんなかっただけで多分あの時から…」
そう、言葉にできなかっただけで、あの頃からずっと私は無意識に彼に惹かれていたのだろう。
ごにょごにょと言い訳を連ねていると、福井は深い溜息をついてしまった。
「っあー…俺もあの時ゃお前にしちゃ珍しい濁し方するもんだから、もしかしてとは思ってたけど…あー…サイアク」
「なんでよ」
わざと不満を隠さず訊くと、そんな私のささやかな反抗は福井のじろりと睨みつけてくる容赦ない眼光にあっという間に黙殺されてしまった。
「……」
少しの考える間。
それから、
「ポッと出の男なんぞにお前はやらんぞ」
とまるで親のようなことを言い出した。
「ポッと出じゃないよ。半年近く一緒にいるじゃん」
「あー? うるせえよ、俺は俺が認めた奴しかお前の彼氏として認めねえからな!」
「うるさいな父さん」
「誰が父さんだこちとら旦那だぞ!」
「旦那の前に彼氏を持ってくる嫁がいる?」
もう何を言われているのかよくわからない。
そもそも福井の言っていることが無茶苦茶なので、勢いだけでも負けないようにと返す私の言葉も支離滅裂だ。
まあわかるよ、私だってその辺の薄っぺらいことしか知らない、なんかこう…すごい…なんか…非道徳的な人とか…そういう人と福井が付き合うって聞いたらモヤッとするだろうし。ただ私の場合は、福井がそれで幸せだって言うんなら文句も言えずに受け入れようとしちゃうんだろうけど。
「でも氷室君は別に…悪い人じゃないと思うんだけどな…」
「……」
またこれ。不満全開の睨み。
「まあ、ゴリラとか言い出すよりはマシだ、と思うことにする」
「岡村君も頼りがいあって男前じゃん。どうすんの私が岡村君好きになったって言ったら」
「即半殺し。アイツの方を」
「…一応そこは半分で済ませるのね…」
「ゴリラこそ別に悪い奴じゃねえからな。慈悲だ、慈悲。許すわけじゃねえ」
福井はその後また深い溜息をついた。そんなに私に好きな人ができたのがショックだったんだろうか。さっき氷室に言われた「福井さんにとって水影さんは十分特別です」という言葉が今頃になって胸に響く。
紫原が評した「お母さんみたい」という私と福井の関係は、あながち外れていなかったのかもしれない。
「娘の成長を見守る感じでいてよ。どうせ何も起きないから」
「は? お前何もしねーの?」
「え、てかするつもりだと思ってたの?」
「せっかく仲良いんだからアプローチすりゃ一発だろ」
あのね、世界はみんな君みたいに恵まれた顔と頭と性格を持って生まれてはこないんだよ。
「氷室君は優しいから私にも平等に接してくれてるけど、これが恋に発展するなんて微塵も思ってないから。考えてもみてよ、氷室君みたいな神々しい人に私が恋をするまでにこんだけかかってるんだよ? 逆のことを起こそうとしたらそれこそ人生3周くらいしないと割に合わないって」
「どうすんだよお前それで今の人生がその3周目だったら」
「まあその時点で死ぬことも厭わない」
「命軽っ」
そうは言うが、私は本気で自分のこの拙い恋心をどうにかしようなんて思っていない。
目下の課題は氷室に対して今まで通りの態度で接すること。それさえ達成できれば、あとはこのドキドキを上手に抱えながら卒業するつもりだ。
とにかく拗らせることだけはしたくない。氷室は恋の定義に"独占欲"と挙げたが、私はあまり何かに対して執着したいと思わなかった。
執着すればするだけ、離れていった時のことを考えてしまうから。
だからこの感情も、後で過去を思い返した時に"青春してたなあ"ってひとり酒の肴にする程度の大きさに留めるつもりだった。
変化など求めない。進展など求めない。
この綺麗な恋心を植えてもらったことに感謝だけはしつつ、時が来たら私はさっさと彼の前から姿を消すつもりだった。立つ鳥は跡を濁してはいけないのだから。
「…お前、それで良いの?」
「良いよ」
私の心中をどこまで理解しての問いだったのかはわからない。
ただ福井は何度目とも知れない溜息をまたついた。
「でもこの興奮を伝えられる友達が他にいないから、たまに話聞いてね。ちょっとこれ、私にはレア感情過ぎてひとりで処理しきれる自信がない」
「やだよつまんねえ」
「福井の好きな子の話も聞くから」
「余計やだ」
福井は最後までむくれた顔をしていた。電車に乗って、別れる駅に着く時まで、ずっとだ。
彼は結構氷室のことも買っていたはずだが、やはりどこか気に食わないところでもあるのだろうか。
福井と仲直りができたことに加え氷室への恋心という新しい感情を知ったことによって、私の心は珍しく昂っていた。その夜視た明日のビジョンは、特に何もない平穏な一日。
紫原とのことをどうしようか、という問題は残っていたが、少なくとも彼をサポートしてくれる部員なら何人もいる。
どうか私の発言が更に彼らを煩わせてしまいませんようにとそれだけを願いながら、ベッドに入った。
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