[本日の予定:講習後、図書館で氷室に会った。その流れで彼とお洒落なカフェに腰を落ち着けることになるようだ。穏やかで結構。]
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21話




福井達とベーグルを食べに行った翌週の、とある講習後。
借りていた本を返しに図書館へ行くと、氷室がちょうど本を借りようとしている場面に出くわした。

「あ、氷室君」
「あっ、…こんにちは」

一瞬の間があって、氷室からの挨拶が返ってくる。なんだろう、何か私、変なこと言った? …って氷室君としか言ってないのに変なことも何もあるものか。

「あれ、今日は部活の日じゃないよね?」
「ええ。課題に必要な本を返しに来たところなんです」
「そうなんだ、ちゃんと計画的にやってて偉いね」
「水影さんは夏期講習ですか?」
「うん。でももう終わったから帰るだけだよ」
「…そうですか。……じゃあ、あの、水影さん」

私を呼び止めた氷室の表情は、やはりどこか強張っている、ような気がした。

「ん?」
「その…良かったら、この後少しお茶しませんか」

まあ、違和感はあるものの一応予定通りのことなので、特に断る理由はない。
二つ返事で承諾し、2人で図書室を出た。










氷室とこうして一緒にいることはそう私にとって珍しいものではないのだが、よく考えればそのきっかけは全てしょうもない偶然だったような気がする。
だからだろう、改めて誘われて席を共にするということが、なんとなく私にとってもむず痒かった。

入ったのは小洒落た小さな喫茶店。実際に行くのは初めてだったが、看板が大きくて明るい駅前のチェーン店などにはないその静かな佇まいが、ちょっとした安心感を与えてくれる。学生にはちょっと入りにくいよねという他の生徒からの噂もたまに聞いていたが、そのお陰か却って見知った顔がいないのもありがたい話だった。

「こういう所、よく来るの?」
「はい、たまに」
「氷室君っぽい」
「水影さんっぽいなと思いますよ、俺は」
「え、なんで」
「大人っぽくて上品な感じが」

全く同じ言葉をあなたに返しますよ。

「…それで、何か相談事?」

誘われた理由がわからなかったので、頼んでいたアイスティーが運ばれてきたところでストレートに聞いてみた。ずっと緊張しているようだったので、何か余程のことがあったんじゃかなかろうかと心配すら覚えてしまう。
しかし氷室は私の問いを受けてしばらくきょとんとしてみせ────それから緩やかに首を振った。

「いいえ、そういうことじゃないんです。ただ────」
「?」
「幸運にもあなたと会えたので、もう少し一緒にいたいなと思って」

…またこの男はすぐにそういうことを言う。
ていうか、え、そんなこと? あれかな、私があんまり進んで人付き合いをしないタイプの人間だから、断られるんじゃないかって思っていたのかな。

「私なんかで良ければ、いつでもお貸しします」

別にもう、今更彼の誘いを断るような理由なんてないのに。

「ふふ…嬉しいです、本当に」

はにかんだ笑顔が可愛らしくて、ついこちらの顔まで綻んでしまった。

氷室は、福井とは全く違った意味で私の心にするすると入り込んでくる人だった。
私にはそれがまた恐ろしくて、でも抗いきれなくて。

氷室はあまりにもまっすぐに私と向き合おうとしてくる。弱い部分も狡い部分も全てを暴いて、そして抱擁してくる。
だからこそ彼は、福井も知らない私の力や過去のことを知っている。正直信頼していればしているほどこの話はできなくなるものだと思っていたので、全てを知る存在というものは本来私にとっては異質を通り越して脅威なもののはずだ。

なのに、私は今もこうして氷室と一緒にいる。
それは彼が私と必死に向き合おうとしてくれているのがわかっていたし、彼もまた、私に全てを曝け出そうとしていることが伝わっていたからだ。

福井に嘘をついているわけじゃない。見栄を張っているわけでもない。
福井といる時間だって確かに私にとってかけがえのないもので、とても安心感のあるものだ。

だからどちらが良いと一概に比較することなんてできない。
でも────それを前提とした上で、氷室といる時の私は、完全に素の自分でいられるのだった。

好きになりたい自分じゃない。楽しい自分じゃない。
ここにいるのは世界の全てを呪って、自分を憎んで、明日には消えてしまえと願っているような私。
"普通"を演じ、"普通"に馴染む強い私は、この場にはいない。

だから例えば、氷室と一緒にいる時は福井のようにぽんぽん会話が弾むということがない。そこにあるのは穏やかに静かに流れる時間だけだ。きっと私の表情も、福井といる時のようにころころと変わることはないのだろう。

そして私はそんな凪いだ時間が、存外好きだった。
そんな変化を恐ろしいと未だに思っていたりもするけれど、もう最近は受け入れた方が早いのではないかと思い始めている。

「そういえばこの間のストバス、あの時はなんか流れで言えなかったけどすごかったよ。氷室君ってあんなバスケするんだね」
「あんなバスケって…どんなバスケですか?」
「うーん…喩えるなら、シルクとかかな」
「…シルク?」
「軽くて柔らかくて滑らかで上品で…何より美しいの」

我ながら良い喩えだったと思う。
こんなたくさんの表現を一言に詰め込めるんだから、シルクとは言葉としても優秀だ。

「…水影さんの言葉は本当に魔法のようですね」

だというのに、氷室の感想は随分とおかしな方向から飛んできた。

「…なにそれ」
「いや、前から思っていたんですけど…水影さんが言うことって、ひとつひとつがキラキラしてるなぁって」
「よくわかんないけど褒められてる?」
「褒めてます。多分俺が水影さんだったらもっと上手に褒められてたとは思うんですけど…」

どうやら、褒めたつもりが褒め返してもらっていたらしい。

「私の自己肯定感を上げようプログラムは続行中なんだね」
「今のはそういうつもりで言ったんじゃありません」
「嘘だよ、ありがとう」

拗ねたような顔がこれまた可愛く見えてしまって、私はつい吹き出してしまった。もちろんそんな顔は演技だった氷室も、つられたように笑い出す。

ちょっとだけその笑い声がいつもより大きく聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。

「────自己肯定感がどうとかそんなの関係なく、俺は水影さんと一緒にいるのが純粋にすごく楽しいんです」

この子は本当にいつも気持ちをストレートに伝えてくれるな。
もう今更その言葉を嘘だと疑うことはなくなったけど、だからといって気恥ずかしさが消えるわけじゃない。

「…氷室君は本当に上手だね」
「何がですか?」
「私の気分を良くしてくれるのが」
「別に良くしようと思ってるわけじゃないんですが、良くなってくれているなら嬉しいです」
「ほら、そういうとこ」
「だって本当のことですから」

しれっと言う彼の、アイスティーを飲む仕草は相変わらず目を奪われるくらい美しい。彼は私の言葉がキラキラしていると褒めてくれたけど、私から言わせれば彼の言葉の方が余程星のように輝いているように思う。
飾らない、何の影響も受けない彼だけの光。軽やかで混じり気のない音と一緒に私の心を温かく奏でてくれるのだ。

…なんだろうな、東京に行ったあの日、氷室がいてくれることの安心感を自覚してからというものの、私の心は幾分か素直に彼を受け入れるようになったらしい。以前のような居心地の悪さがなくなり、代わりにまるで立ち昇る煙のように細く、しかし何もかもを透かして天に届く温かさが流れ込んでくるようになった。

私が子供のように拒絶していただけで、最初から彼は嘘偽りのない好意をきちんと向けていてくれたんだな、と今更ながらに申し訳なくなってきた。

「…あ、そうだ、さっきは相談じゃないって言ったんですけど…ひとつ相談したいことを思い出して。良いですか?」
「うん、良いよ」

何かを思いついた様子の氷室を微笑ましく見つめながら何を言い出すのかと待っていると、彼は鞄の中から1枚のチラシを取り出した。

描いてあるのは、大きな花火のイラストと────

「…花火大会?」

少し離れたところにある河川敷で行われると謳った、花火大会の宣伝文句だった。

「来週の土曜か、もうすぐだね」
「はい。良かったら一緒に行きませんか?」
「うん良いよ。他には誰が来るの?」
「来ないです」

思わずチラシから顔を上げて氷室の表情を窺ってしまった。
笑っているけど、冗談を言っているようには見えない。心なしか、さっき図書室で誘われた時の緊張感が、この場に戻ってきたような気さえする。

「………ええと…良いの?」
「困らせてしまっていたらすみません。無理にとは言わないので、もし水影さんがそうしたかったらアツシでも福井さんでも誘ってください」

…むしろ下手に選択肢を与えられる方が困る…。

気まずい沈黙が続いてしまったが、氷室に「冗談です」と発言を取り下げる気配はない。
本当に、良いんだろうか?
私なんかと本当に2人で行くつもりなんだろうか?

「…いやまぁ…氷室君が嫌じゃないなら良いよ」

その時の氷室の顔ったら。
柔和な笑顔は浮かべていても、それはあくまでいつも"お上品"という域を出ないものだったのに。

その時の彼の顔は、曇り空に一気に日が射したかのような、そんな晴れ晴れとした笑顔だった。
そんな初めて見せられる表情に、不覚にもきゅんとしてしまうミーハーな私。

でも、本当に良いのかな。
承諾してもなお、どこかに迷いが残っていた。

だってこれ、見方によってはデートじゃない?
アメリカの方ではこれ普通なの? 文化の違いはよくわからない。本当にわからない。私ばっかりこんなに戸惑っているんじゃないだろうか、そう思うとどんどん本当にそんな気がしてきてしまって、余計に羞恥心が胸の内で育っていく。

結局その後、またなんということのない雑談をしている間も氷室の顔色をずっと窺い続けてみたが、誘いを受けた瞬間の太陽みたいな笑顔が一瞬覗いた後は、いつも通りの美少年スマイルが残っているだけだった。
アイスティーを飲み終えた後、駅前で別れるまで、彼はずっと"いつも通り"だった。
一方、私はカフェへ誘われる前に感じた氷室の緊張が伝播してしまったかのように、自分の言動がぎこちなくなっていることを自覚していた。

だって、こんな風に誰かと2人で遊びに行く約束なんて、したことなかったんだから。

きっと彼にとってはなんてことのない提案だったんだろう。
私がろくに友達との思い出を作れずにいたから。彼もまだ、日本の文化をよく知らないから。
そんな私達が一緒に日本の伝統行事を楽しむというのは、双方にとってメリットのある話。だから誘われたという、それだけのこと。紫原や福井に声をかけるより私に声をかけた方が、様々な事情を知る者同士お互い気楽だっただろうからという、それだけのこと。

わかってる。わかってるのに。
ああ、なんだか自分ばかりが意識しているようで恥ずかしい。



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