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18話




事が起きたのは8月、彼らにとって最後の全中があった時。

私は、ひどい悪夢を視た。

キセキの世代にとっては最後となるIH…の、準決勝戦。
そこには、テツヤが何年も望んでいた萩原君との再戦の舞台が用意されていた。

…本来なら、それは輝かしい明日となるはずだった。

でも、そんな幸運とすらいえる機会も…肝心の味方がもはやバスケを"ただの勝利のための道具"としか捉えていないせいで、簡単に不幸に転じてしまう。テツヤはギリギリまで、それこそ"最後のお願い"と言わんばかりに真剣勝負をしてくれと訴えていたようだったが────もはやキセキの世代に、そんな"友情・努力・勝利"という真っ当な青春の物語を聞き入れるだけの慈悲はなかった。

────結局、その時の試合結果は今までで一番残酷なものとなってしまったのだ。

自殺点を入れた上で完成したゾロ目スコア。
もはや勝利をすることは当たり前。そんなことよりも"どう面白く勝つか"ということに、キセキの連中の意識はシフトしていた。そこには相手のプライドを尊重する心も、仲間のひたむきな想いを汲む心も、全くなかった。

ああ、ここまでか────
ここまで彼らは、堕ちてしまったのか────

視えた明日にここまで絶望したのは、流石に初めてのことだった。

だから翌日、私は勇気を出して赤司に直談判しに行くことにした。
赤司のことはずっと怖い人だと認識している。できることなら衝突は避けたいと、ずっと思い続けていた。
でも、そんな最悪な未来が視えてしまった以上、その時ばかりはそんな未来を看過することなどできないという気持ちの方が勝ってしまった。幼い頃から知るテツヤを贔屓目に見ていたことは否定しない…が、それにしても彼らの明日の試合は、どう考えてもスポーツマンシップの精神に反するものとしか思えなかった。

だってこんなの、誰も幸せにならないじゃないか。

どれだけ面白く勝とうとしたところで、どれだけ他者を踏み躙って自分のストレスを解消しようとしたところで、結局常軌を逸している彼らが辿り着いた"ただのお遊び"としてのバスケじゃ、決して彼らを心から満足させることはできない。むしろ自身の虚しさを更に助長してしまうだけだ。

どうせどんな風にプレーしてもつまらないというのなら、彼らが自分自身の強さに覆せない"諦め"を抱いていたというのなら、その上でせめて相手の気持ちだけは…そしてチームメイトの気持ちだけは、理解してあげてほしかった。
対戦相手の弱さに失望させられてしまう彼らの心情も、できることなら理解したいとは思う。でも現状、それを打破する策が見つからないというのなら、多少彼らに我慢を強いることになったとしても、せめて最後まで彼らには"スポーツマン"としての矜持を守っていてほしかった。

だってここは、本来キセキの世代のような圧倒的強者が集うべき場所ではないのだから。もっと強い相手と対戦したいのなら、それこそ非公式でも大学生やアマチュアの社会人チームと戦えば良かったはずだ。少しばかり現実離れした話にはなるかもしれないが、外国人のチームとの親善試合という形を組もうとしたって良かったはずだ。
自分の力に心が追い付いていない彼らではあったが、それでもそんな彼らに少しばかりの余裕を与えてくれる道は、他にもいくらでもあったはずだった。

型にはまった"中学生"のバスケの域を超えてしまっていることはもうとっくに全員自覚してるはず。それでも彼らがなお、今更すぎる"学校の名誉"を守るために、あるいはその責任を背負った圧倒的支配者の赤司に従うために、あえて"同じ中学生"という立場の人間が集まる場に参加するというのなら────それ相応の誠意は見せるべきだと思った。それは、バスケというスポーツに向き合う人間が最低限持つべき"スポーツ"へのマナーだとすら、思っていた。

「赤司、今少しだけ時間貰っても良い?」
「ああ、少しなら構わない」
「…今日の、準決勝のことなんだけど」

珍しく私の方から試合の話題を振ったせいか、赤司の表情が僅かに凍ったのがわかった。

「…何か起きるのか?」
「結論から言うと、あなた達は組織として崩壊する」

正直、こうして彼らに────特に赤司に対して苦言を呈することに、まだ私は恐怖を抱えていた。
でも、やっぱり彼らのやり方は正しくないと思ったから。
だから私はこうして、精一杯の強気な態度を演出し、彼にきちんと忠告しようと思った。

赤司は少しの間、私の発言の意図を考えているようだった。
しかし────。

「………それに何の問題が?」

あろうことか、ただ彼は頬を緩め────そう言って笑ったのだ。
私がどんな思いで彼にその言葉を伝えたのか、きっと彼は正しく理解しているはず。それでもなお、こうして真正面から私の"最悪な未来"を当然のものとして笑い飛ばしてきた。

「もうこれが僕達にとっては最後の大会だ。これさえ終われば、あとは崩壊しようがどうしようが、それ以降の僕らの在り方なんて一切勝敗には関係なくなる。それに、仮に君が言うように準決の段階で…つまり決勝戦を前に組織として崩壊したところで、僕らの勝利は決して揺るがない。協調なんてしなくとも、僕らは個々人で相手のチームを完膚なきまでに叩きのめすだけの実力を持っているからね」

信じられない、と思った。
やはり赤司はある時点から明らかにおかしくなってしまっている。
倫理観がない、と言わざるを得ない。この大会がどれだけたくさんの人の純粋な想いの上に成り立っているのか、本当に理解しているのだろうかと思わず尋ねたくなってしまった。でもここでそこまで踏み入らなかったのは、きっと彼はちゃんと"他者にとってこの大会がどれだけ大切なものなのか"という"常識"を理解しており────理解した上で、それを簡単に潰そうとしているのだと、そんな意図を汲み取ってしまったからだった。

「…それで良いと本当に思ってるの?」
「元より僕が関心を持つのは勝利のみ。選手個人の人格など気にする義理もない」

赤司はそれだけを簡単に言うと、まるでこれ以上私の言葉なんて聞くに値しないと言わんばかりの非情な表情を向け、それきり背を向け去って行ってしまった。

「………なんでそんなにも…変わってしまったの…」

確かに彼は元から厳しかった。
でも昔は、そんな風にチームメイトまでもを道具扱いするような人じゃなかった。

彼の中に"彼"が2人いる、と言った緑間の指摘はどうにも正しいようだった。
しかし…だからといってそれをどうしたら良いのか、私にはもうわからない。

「冬子さん、今日の試合も応援よろしくお願いします」

唇を噛みしめる私の後ろから、心なしか顔色の良いテツヤが声を掛けてきた。彼の頭の中も準決勝────萩原君のことでいっぱいのようだった。

「────……」

どうしよう、ここで未来の話をした方が良いんだろうか。残酷な確定事項を伝えた方が、もしかしたら受ける傷は少ないんじゃないだろうか────。

「……頑張ってね、応援してる」

────そんな一瞬の迷いを経た末、結局私は何も言えなかった。
テツヤのことを悲しませたくない。もしかしたら未来だって変わるかもしれない。
色々な言い訳をつけて自分を納得させようとしたが、なんのことはない、最初から最後まで私はただの腰抜けだったというだけだ。

結局その日の準決勝は、昨日のうちに視ていた通り、試合中にテツヤが負傷したことにより、彼抜きで終わりを迎えることとなった。
せっかくの再戦の場だったのに。せっかく最後の希望を持てる日が来たというのに。
未来というものはつくづく残酷だ。帝光中の中でも唯一"中学生らしい心"を失っていたなかったテツヤが、戦線離脱してしまうなんて。

その結果。

私の視た未来は、寸分違わずそのまま実現することとなってしまった。

111-11。

吐き気すら催すようなスコアが広がる。
非道なことをしておきながら、大して感情の動いてない帝光。
対して、あまりの仕打ちに立ち上がる気力すらない明洸。

────今更とはわかっていても、やはりそんな残酷な結末はとても見ていられなかった。

「…あれが本当にあなた達のベストだったとでも言うの?」

試合後、控室で私の問いを受けた赤司は心底理解できないという顔で私を見返した。

「ベスト…か。君はもう少し、最善の定義を正しく行えると思っていたが? 僕らは当然、僕らの名誉のためにベストを尽くしたさ。その結果、大差をつけて決勝戦へと歩みを進めたわけだしね。僕らは正当に勝利し、正当に優勝への王手をかけたんだよ。それだけのことに何の問題がある?」
「どれだけ大差をつけて勝ったところで、あんなやり方じゃバスケを続ける意味なんてもはやないでしょう」
「バスケを続ける意味なら大いにある。それこそ始めた頃であればバスケに執着する特別な意味がなかったとしても、現状として我々はもう"帝光のバスケ"に関わってしまっている。この強豪校の名を背負ってしまった以上、僕らはもう、どんな形であろうとも敗北を喫するわけにはいかないんだよ」
「…っ、みんなも同じ意見ってわけ」

私と赤司が言い争っていることが珍しいものに映っていたのだろう、他のメンバーは私がその怒りの矛先を彼らに向けるまで静観を貫いていたが、いざ非難を受けてたところでその表情が変わることはなかった。

「てゆーか水影っちの方が熱すぎるんすよ。なんでそんな怒ってるんスか? こんなんただのゲームじゃん、ゲーム。勝てばそれで良いってだけの楽な話なんスから、もっと肩の力抜いた方が良くねっすか?」
「ゲームって…意味が全然違うでしょ…」
「そもそもあいつらが弱いのが悪いんじゃねーか。遊ばれたくなかったらそんくらい強くなって出直せってことなんだから」
「青峰まで…!」

まるで会話が噛み合わない。
募るばかりの苛立ちを消化できるところもなく、言葉にならない感情を握り潰す。

「あなた達からしたら非力な赤ん坊の腕を捻ってるだけかもしれないけど…でも、ただ大差で勝つことと、相手のプライドと努力を踏み躙って勝つことじゃ全然意味が違うでしょう」
「────だからさ、イミイミって、じゃあその"意味"ってなんなの?」

私に張り合うように苛立った声を出したのは、紫原だった。

「逆にバスケやる意味って何? 勝つ意味って何? 俺らはただ求められた"勝利"を持って帰ってきただけ。そこに文句付けられる筋合いとかなくない?」
「それがわからない時点でもう破綻してるって、お願いだから気づいてよ…。チームでひとつのものを追いかけて、時間をかけて自分"達"のスタイルを築いて、勝利を掴んでいく…そうやって人生を懸けてきた人が集まる場において、あなた達のまるで人を傷つけることしかできないやり方は場違いでしかないんだよ…」

ねえ、どうしてあなた達はそんなにも恵まれた才能を持っているのに、わざわざ"一般的な中学生のバスケ"に拘ろうとするの。学校の名誉のため? それとも、単なる意地のため?

まだ彼らにバスケを主体的にやるだけの気力があるとするなら、それを向ける方向性は完全に間違っている。そう思って必死に訴えかける私の心を折ったのは、紫原の深い深い溜息だった。

「はぁ…つーかそもそもバスケをやったこともない部外者が首突っ込まないでくれるかな、ウザいから」

────部外者が首を突っ込むな。

私と同じように苛立っている様子の紫原の言葉を受け、思わず一瞬それまでの怒りが引き、背筋が凍りつくような感覚を覚える。

「あんたの言ってることって結局綺麗事なんだよ。俺達にとっちゃここに意味を求める段階はもうとっくに過ぎてんの。俺達に求められてるのは"勝利"だけ。なのになんも現実見えてないあんたが誠実にやれ、熱くなれ、って説教かましてくるなんて、見当違いも良いとこだわ。安全地帯から理想論を言うのはそりゃ簡単だろうけど、じゃあ俺達のことは誰が受け止めてくれんの? 勝手に傷ついてんのはあっちじゃん。勝手に負けてくのはあっちじゃん。俺達はフツーに"俺達の"バスケをしてるだけなのに」

ああ────足場が崩れていく。

親しい友人だと、別にそんな風に思ったことはなかった。

でも、本気で応援しているつもりだった。

楽しそうな彼らを見ているのが、好きだった。

一緒に走れなくても、何かの形で支えになれればと────その一心で、卒業後もここにいたのに。

ああ────私は────そうか────

中学バスケという狭い世界しか知らない彼らに、"学校の名誉のための勝利"という重たい責務を背負ってしまった彼らに、私が言えることはもうなくなってしまった。
そうだ、考えてみれば────彼らには最初から"中学バスケ界"という場しか用意されていなかった。もっと強い相手を探せなんて、自分の成長スピードにすらついて行けていない彼らにそんなことを望む私の方が場違いだったのだ。新しく得た力を活用して新たにバスケを楽しむ、そんなことより前に"強くなった責任"を押し付けられてしまった彼らに、そんな今更すぎる青春を問いかける方が馬鹿だったのだ。

部外者だと言われたそのことが、思った以上に私の脳を強く揺さぶっていた。
別のフィールドで戦おうとすれば良い、なんて、自分のことで精一杯な彼らにそんなことを強いる権利は私にはなかった。余裕のない彼らにそんな長期的で広い視野を持てという方が、最初から無理な話だった。

彼の言う通り、私の言葉なんて"安全地帯から偉そうに言っている楽観論"でしかなかった。そのことに気づかされたのは、悲しいことに散々自分の持論を押し付けてしまった後のことだった。一度言ってしまった言葉は取り消せない。
私はこの時、今度こそ明確に"彼らの領域から外されてしまった"のだということを実感した。

「………わかった、ごめん。それならもう私、二度とここには来ない」

だから、遂に限界を迎えた私が最後に言えたのは、そんな不本意な別れの言葉だけだった。
彼らの冷たい目が恐ろしくて、もうここに自分の居場所がないのだと思い知らされることが苦しくて、私はその場を逃げ出してしまった。

そう、彼らの言うそれは、"彼らから見れば"確かな正論だったのだ。
やり方が良くなかったとしても、残酷なことをしているとしても、現実として彼らの想いを受け止めてくれる人はそこにいなかったから。彼らが全力でぶつかっていけるような人は、もうそこには誰もいなかったから。彼らの燃焼しきれない想いを汲んでくれる人は、"彼らの今まで知っていた世界"にはもう存在していなかった。

────彼らもまた、孤独だったのだ。

だからといって彼らのあの言動はしょうがないものだった、とはやはり思えない。
でも────私の言葉が100%正しかったとも、思えない。

だってそんな閉鎖的な空間に閉じ込められてしまった彼らに"空気を読め"と言ったところで────それこそ、私が本来最も嫌っていたものだったはずじゃないか。
並みいる人の中で自分だけ特別枠に入ってしまうその恐怖を誰よりも知っていたはずなのに、私は彼らの孤独を理解できないまま、耳が痛いだけの"一般論"を浴びせてしまった。皮肉にも部外者だからこそ言えてしまった、"もっとどうにかできる方法はあったはず"などという"理想論"を掲げてしまった。

もっとどうにかできる方法があったのは私の方だ。
私は自分の価値観に囚われて、きっと彼らに掛ける言葉を、間違ってしまったのだろう────。

悲しみに圧し潰されそうになりながら控室を出た瞬間、そこに立っていた人影と正面衝突してしまった。不幸とはこうも重なるものなのか、と思いつつ、思い切り派手に尻餅をついた私が謝りながら見上げた視線の先にいたのは────

「テツ────」

絶望しきった顔の、テツヤだった。

「冬子さん………」

この顔は、全てを見ていた顔だ。
試合に出ていなくても、結果だけは見ていたんだ。

ああどうしよう、こんなことになるならやっぱり試合前にこの未来を話しておけば良かった。どうにかなるものじゃないとわかっていても、彼に心の整理をさせるだけの時間は与えるべきだった。
それに何より、あんな空気の控室なんかに彼が入って行ったら────「どうして────」

ぐるぐると自分の発言や彼らの発言を思い返す。
テツヤはそんな私に対し、震える声で名前を呼んできた。

「冬子さん…どうして、黙っていたんですか」
「……」
「萩原君のこと、知っていたはずです。なんで教えてくれなかったんですか! 頑張れなんて期待を持たせるようなこと言って、なんで…!」

珍しく声を荒げるテツヤからは、怒りより悲しみの感情の方がより強く流れ込んできた。

「…ごめん………どうしても、言えなかった…」
「こんなの…あんまりです…! 知っていたら、何か…変えられたかもしれない…無理をしてでも僕が出ていれば………」
「…それは…っ」

未来は変えられない。知っていたところで、あの結末はどうしたって実現してしまう。
だから言えなかった。心の整理をする時間があったかもしれない、などと思いつつも、私は最後までその勇気を出すことができなかった。

「こんな形で萩原君と別れることになってしまうなら、たとえどんなに危険でも僕は出ました! できないとわかっていてもやらなきゃいけないことはあるんです!! こんな形で彼を失望させることになってしまうと、もし…もしもっと早くにわかっていたら……!!!」

わかっていたら、何か変えられた?
あんな風に、誰も幸せになれないような結末を、回避できた?

私はそうは思わない。何より、たった一試合のために彼の選手生命が絶たれてしまったら元も子もないんじゃないだろうか。
彼がどれだけこの試合を待ち望んでいたかは知っていた。でも、回避できない未来に加えテツヤの選手生命が絶たれる可能性と、"いつかまた違った形で荻原君と対戦できたかもしれない"というあまりに都合の良すぎる未来を天秤にかけ、結局後者を優先させてしまった。

未来がどれだけ絶望的なものなのか、わかっていたはずなのに。
刹那的な衝動の前に動いてほしくないと、変えられない未来のために自分を犠牲にしてほしくないと、そう思ってしまったのだ。

「それはきっと、萩原君も望まないはず────」
「あなたに何がわかるんだ…!」

キセキと衝突した直後だからか、いつも以上に余計なことばかり考えていた私の心に、ぐさり、と彼の言葉がまっすぐ刺さった。

いつも、私のことを一番に理解してくれていた人。
私を慕い、彼を理解しようとしていた私のその気持ちを常に受け入れてくれていた人。

彼から出たそんな言葉は、予想以上に私にショックを与えた。
傷だらけのテツヤは、私の声を遮ると、最後の力を振り絞るように掠れた声でこう言った。

「…バスケなんて、始めなければ良かった…」

彼の涙が、私を窒息させる。
手足が痺れてうまく動かせない。

テツヤは、何も言い返せなかった私を一瞥して、悪意のない悪魔達が蔓延る控室に入って行ってしまった。

「…………はは…」

感情がうまく処理できない。よりによって出てきたのは、乾いた笑い声だった。

情けない。
安全地帯から理想論を言ってるだけ、ああ、その通りでしかない。

彼らの苦しみを理解しきれなかった。
彼らには彼らの正義があり、苦悩がある。
それなのに私は────私には何の才能もないから、才能のある人達の気持ちが理解できないと思い込んでしまった。

だから彼らにただ表面的に誠実であれとしか言えなかった。
そのための具体的な方策を、提示できなかった。
彼らが背負ってしまった"帝光"というあまりに重い責務を取り払ってあげることなど、私にはとてもできなかった。

才能がなくても、特別であるということが必ずしも幸運でないことそれ自体なら、私はよく知っているはずだったのに。
彼らの行動が理解できなくても、賛同できなくても、その根底にあったはずの孤独感なら、誰よりも私が理解できたはずなのに。

────でも、理解できたところで何ができた?

自分の発言を悔いながらも、冷静に反論してくる自分がいる。

その孤独を理解できても、埋めることまではどうせ私になんてできないじゃないか。
帝光の名を捨てて、自分の実力が思う存分発揮できる場所へ行けば良い、なんて無責任なこと、どうせ私には言えやしなかったじゃないか。

それにきっと、どんな言葉を掛けたところで、彼らはもう既に他の人の言葉を聞きいれることなどできなくなっているはずだ。

だって私もそうだったから。
散々孤独を味わった結果、もう全てが嫌になって、世界を締め出してしまったから。

皮肉なことだ。
誰よりも孤独を知っているはずの私は、その先にある"もう誰の言葉も聞かない"という悲しい末路のことまで、よくよく理解できてしまっていた。

わかりあえないものは、どこまで進んだところで平行線しか辿れないのだ。
わかりあえないものは、どこまでいってもわかりあえないのだ。

ああ────だから…だから私は、そんな一義的な感情に任せて、最後にあんな形でテツヤのことまで────わかりあえたはずの人のことまで、傷つけてしまった。

あんなにバスケを楽しいと言っていたのに。そんな彼のことを、誰よりも応援していたつもりだったのに。
一番の味方でありたいと願っていた私のせいで、彼の人生を挫いてしまった。
その罪は、一体どれだけ重たいことなのだろうか。

未来がわかってしまうから、一歩引いてしまった。
彼らのように、現実をリアルタイムで生きていくことができなかった。
未来はただの確定事項だからと、それを無機質になぞることしかできなかった。

だから私の言葉は薄っぺらになる。いつまで経っても彼らの感情を汲んだ言葉を、掛けられない。

キセキの世代が抱えてしまった責任。能力が著しく向上したことにより、彼らはよりその学校の名を世に知らしめる使命を負ってしまった。
最初から、彼らの実力がずば抜けてしまっていれば良かったのに。そうしたら、中学のバスケ部なんていうところに留まらず、最初から"彼らとも渡り合える"実力を持っている相手とも戦える場が用意されたクラブチームに入るなり、それこそ留学するなり、いくらでも方法はあったはずなのに。

だんだんと、孤独になってしまう感覚。
それがわかっていても、無慈悲な社会の構造から逃げられない閉塞感。

そのどれもが、私にはよく理解できる感情だった。
理解しすぎてしまったせいで、私には何もできなかった。

「………ほんとに、私って最低……」

どうして、"わかりあえないもの"と"わかりあおうとしてしまった"のだろう。
どうして、"わかりあえるもの"と"わかりあおうとしなかった"のだろう。

キセキの世代の皆のことだけでなく、誰よりも守ってあげたかった存在のことまで傷つけてしまった。
全部全部、私のこの悲観的な性格のせいだ。私をここまで悲観的にした、未来視のせいだ。

臆病なのに、偉そうで、自分勝手。
こんな生き物、さっさといなくなってしまえば良い。

もう誰とも関わりたくない。
こんな風に誰とも理解しあえないなら、こんな風に人を傷つけてしまうなら、私はもう独りで生きていきたい。

バスケが怖い。人が怖い。
自分という人間が、憎い────。

結局彼らと向き合う勇気を最後まで持てなかった私は、その後逃げるように秋田へと転校した。
秋田での生活が始まってからは、徹底的にバスケを遠ざけた。それ以外のところでも、極限まで発言を控えた。

人と関わることが怖かったのだ。
人に少しでも情が湧いてしまうのが、怖かったのだ。










「────というわけで、まさか今日テツヤの顔を見ることになるなんて思ってなくて、つい逃げてしまったというわけでした」

長い長い独白を終えて、目の前に座る氷室の表情を窺う。嫌われてしまっただろうか?

「…………………ちょっとアツシを一発殴ってきます」
「わ、ちょっと、待って、お願い」

部屋を出て行こうとした氷室の腕を引っ張って止める。流石に本気ではなかったらしく、大人しくすぐに椅子に戻ってきてくれた。

「…仕方ないんだよ。こればっかりは価値観の違いだから。私は彼らの行動を理解できなかったけど、彼らからしたら私の言ってるなんてとっくに聞き飽きたウザい説教でしかなかったわけだし。最初から、わかりあえない生き物だったの」
「…………でも」
「紫原を見ればわかるでしょ、みんなあんな感じだったの。みんな、全く悪意はなかったの。これ自分も含めるの結構自惚れてるけど、結局誰も悪くなかったんだよ。私達みんな、未熟だったの。それだけ」
「…………」

明確な反論がない辺り、氷室も理屈ではそれが妥当な結論なのだと理解しているようだ。それでも私を正当化するような言葉を探してくれているのは、彼の優しさ故のことだろう。

「だから、なんとかしなきゃいけないのはむしろテツヤのことの方なんだよね。実はあの後、あの日は言い過ぎたって手紙をくれたんだ」

私の気持ちを考えもせずに一方的に責めてごめんなさい、という丁寧な手紙。
図書館で回収した後は、きちんと封筒にしまい直して、今は机の一番上の引き出しに入れている。

テツヤの方があの日は傷ついていたはずなのに、そんな風に言わせてしまったことに私の罪悪感はまた大きくなったことをよく覚えている。

「でも…ちょっとまだ、返事を出せるだけの勇気がなくて。だから、会うなんて…とても、考えられなかった」

テツヤは私にとって、ずっと慕ってくれていた唯一の味方だった。可愛い弟のような存在だった。
だから、尚更ショックだったのだ。声を荒げられたこと以上に、優しいあの子にそこまで言わせてしまった自分の無神経さが。

「テツヤは許してくれた…というか逆に謝ってくれたけど、また同じように気づかないところで傷つけてしまうんじゃないかって思ったら、もうこのまま関わらない方が良いんじゃないかって思っちゃって」
「水影さん…」
「わかってる、こんなのただの言い訳だよね。弱虫な自分の気持ちが一番悪いのはわかってる。でも…だめなんだ、どうしても」

普通の感覚が、理解できない。
未来がわからない人がどう生きているのか、想像が及ばない。

かつて私は未来を知らせたことで嫌われてしまった。
なのにあの時の私は、未来を知らせなかったことで大切な人を傷つけてしまった。

「努力しても努力しても、私は普通の人になれない。どれだけ望んでも、どう行動しても、結局誰かを不快にしてしまう」

私だって、こんなもの視えなくて良かったのに。

「普通の人が羨ましくて、気が狂いそうになる…」

それもこれも、私が弱いせいだ。

氷室は完全に言葉に迷っているようだった。しばらく黙っていた後、おもむろに立ち上がり私の前に立つ。

「…手に、触れても良いですか」
「え? あ、はい…?」

突然のことに驚きながらも、おずおずと片手を差し出す。氷室は大きくて美しい両手で私の手を包んだ。

「すみません。俺も、表面的にしかあなたのことを見られていませんでした」
「…え」
「自分のことが嫌いだと言ったあなたに、俺はあなたのことが好きだと言いました。それは単に、あなたが性格的に自己肯定感の低い方だからだと思っていたからなんです。繰り返し、無条件に肯定していればいつか自信をつけてくれるんじゃないかって…そう、簡単に考えていました」

氷室は眉根を寄せ、懺悔するように私の手を握りながら言葉を繋いだ。

「でも、今こうしてその考えの背景にあるものを聞かせてもらって────改めてやっぱり、俺はあなたのことが好きだと思います。人のことを想うあまり竦んでしまうところも、誰に対しても誠実であろうとするところも、尊敬できると思っています。だから────」
「ちょ、ちょっと待って」

いきなりそんな風に言われても困る。というか恥ずかしい。

「?」
「?、じゃないよ、どうしたのそんないきなり…」
「…あなたが自分を嫌うほど、あなたは嫌われるべき人間じゃないっていうことを伝えたかったんですが」
「いやそんな真顔でさらりと言わなくても」
「ふざけて言うことじゃないでしょう」
「そうじゃなくて…ああもう…」

こんなに戸惑っているのは私だけだ。氷室は至極真面目に私と向き合ってくれている。
今の話を聞いて、どこに私を尊敬する要素があったというのだろう。むしろ軽蔑されるんじゃないかとすら思っていた私にとって、この反応は正直困ってしまう。

「無理にそんな受け入れてくれなくて良いんだよ…責められて当然のことなんだから…」

息も絶え絶えにそう言うと、氷室はまた少しの沈黙の後、

「────俺は、カッとなると割とすぐに手が出るんです。そのせいで人とぶつかったこともよくありました。あなたの耐えてきた過去とは比べられるものじゃありませんが…誤解が誤解を生んですれ違う気持ちは、少しならわかるつもりです」
「………」
「だから、俺はあなたを責めません。無理にじゃなくて、当たり前に受け入れます。その価値観の違いも、その弱さも」

そう言って、私の手を包んだ自分の手ごと額にそっと押し当てた。

「…………優しいね、氷室君は」

彼はもう、何も言わなかった。苦しくなるほど美しい微笑みで、私を見つめるだけ。
包まれた手は温かい。彼の全てが私の全てを肯定してくれているような感覚に、罪悪感を抱きながらも心地良さを感じてしまう。

…私だけが救われるのは、フェアじゃない。
いつか必ず、彼にも…テツヤにも、きちんと向き合わなければ。

でも、こうして触れ合っていて思う。
────やっぱりさっき、公園で着信を受けた時に感じたあの安心感は、嘘じゃなかったんだ。
あれだけ人が怖いと思っていたはずなのに、私はまた懲りずに心を許そうとしている。

────いけないな、ちゃんと、自分を律さないと────

そう思いながらも、私は自分の心の中でひとつの願いが芽生えていることに、薄々気づいていた。

私がこうして少しずつ彼に救われているのと同じように、どうかこの優しい人が心の内に抱えている苦しみも、いつかきちんと解放させてあげられますように────と。

表面的にしか相手のことを知らなかったのは私も同じだ。彼は恵まれた才能と弛まぬ努力で確固たる実力を手にし、楽しんでプレーしているとばかり思っていた。
いや、もちろん楽しいのだろう。バスケのことだって、心から好きなんだろう。
でも────さっき火神という子の話をしてくれた時に浮かべていた彼の表情を忘れない。嫉妬と憎悪、そしてそれを手放しにしておけないだけの深い愛情。いくつもの相反する感情の狭間で、彼は苦しんでいる。

そんな彼に、こんな私ができることなどきっとないのだろう。
今までの行動が全て裏目に出てしまっている私には、彼を救うだとか励ますだとか、そんな大層なことをする勇気なんてない。

でも────こうして救われるばかりでは、あまりに申し訳がなくて。
何をしたら良いのかなんてわからない。何を言うことが正解なんて、もっとわからない。

まだ私には、人としての経験があまりに浅すぎるから。
だから────きっとそんな日が来たとして、それはもっとずっと遠い先の話になるのだろうが────。

私は、過去に犯してしまった自分の罪を、いつか必ず償いたいと思っていた。
傷つけてしまった人に謝るとか、わかりあえなかった彼らの価値観を受け入れるとか、それこそそんな表面的な形じゃなくて。
こんな人間などいなくなってしまった方が遥かにみんな幸せになれるはずなのに、それでもそんな私を受け入れてくれたこの人に。害しか振り撒けなかった私にそれでも優しさを分け与えてくれていた人達に。

いつになるかはわからないが────でも、それでも生きている間に必ず、恩返しをしたいと────彼の温かい手に包まれながら、私は今更すぎるそんな贖罪の念を抱いていた。



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