[本日の予定:紫原と氷室となぜか浅草巡りをすることになった。せっかくスカイツリーに昇ったのに、そこから見る夜景は天候のせいで微妙なものだった。だらだらとホテルに戻る前、1人コンビニに入って行った私を、氷室だけが外で待っていてくれた。]
[進捗:060%]

14話




事前に知らされていた通り、スカイツリーからの景色は率直に言って悪かった。曇っていたせいであまり街並みも空も見えなかったのだ。

「つまんない…てか下にあったカフェ俺気になっててさぁ、そろそろ夕飯時だしもうそっち行かね?」
「カフェオレ?」
「室ちんってたまにクッソダルいこと言うよね」
「アツシはいつも手厳しいなぁ」

それにしても、この2人はいつの間にこんなに仲良くなっていたのか。紫原の好き嫌いの激しさは言わずもがな、氷室も誰か特定の相手とつるむようには見えなかったので、些か私は彼らの距離感に意外性を感じていた。

「────氷室君はいつも紫原と一緒なの?」

展望台から降りる前にと紫原がお手洗いに立った時、話題に困ったこともあってそんな風に訊いてみた。氷室は少し考えた後、「ええ、一緒にいることが多いですね」と答える。

「水影さんこそ、アツシのことを前から知っているようですけど…」
「紫原から聞いてない? 私も帝光…紫原と同じ中学の出身なの」
「ああ…それででしたか。短い付き合いでもアツシがここまで誰かを慕うことが珍しいっていうことは感じていたので、時間が長いか…あるいは濃度の高い付き合いをされてたんだろうなぁとは思ってました」
「同じこと、私もあなた達に対して思ってたよ」

なんとなく気恥ずかしい気持ちがリンクしたのか、お互い控えめに微笑んだ。

「アツシは水影さんの未来視のことは?」
「知らないよ」

まあ、彼も私が"勘が良い"ことくらいなら知っている。
ただ勘が良いという観点から見た場合、うちには赤司という誰よりも勘が良い、というより先読みに長けた(それこそ頭でも強く打ったんじゃなかろうかというほどの)存在があったお陰で、私の発言がスポットライトを浴びることはそうそうなかったのだ。…まあ、当の赤司の目を除けば、という話になるのが皮肉なのだが。

「だから秘密にしておいてね」
「もちろんです」

当然のように頷いてくれる彼の表情に、まだ心からの安心はできない。彼の善意を疑うつもりはないが、人の口に戸は立てられないというのが世の常。私はまだ心のどこかで、勘付かれたからといって安易に真実を話したことを少し後ろめたく思っていた。

「…俺は、幼い頃魔法使いになりたいと思っていました」

俯く私を少しの間だけ見つめて、氷室はそれまでとは関係のない話を切り出す。どこへ向かっているのかわからないその話題に耳を傾けながら、私はぼうっと遥か遠くの地上を眺める。

「空を飛んだり、何もないところにあるものを作り出したり。奇跡のような力を当たり前に使って、自分も周りも幸せになれるような魔法使いに。…まあ、そんなの絶対無理だっていうことは早々にちゃんと理解してましたけど」

そんなもの、私だってなれるものならなりたかった。こんな変な力じゃなくて、もっと役に立つ力が欲しかった。

「でも、あの公園で水影さんが子供を助けた時、なんだかあの頃の夢を思い出しちゃったんです。いるわけない、って思ってた魔法使いが目の前に現れたみたいで、とても感動しました」
「………」
「…他人のために、そして何よりあなた自身のために秘密のままにしていたいと言うならそれはもちろん守ります。でも、少なくとも俺は、そんなにあなたの力はそこまで忌み嫌われるべきものではないと思ってます。っていうのを…忘れてしまう前に、いつか言いたかったので。すみません、ちょっと勿体ぶった言い方になってしまいましたね」
「………そんな大層なものじゃないよ、何度でも言うけど」
「水影さんが必要以上に引け目を感じてる間は、俺も何度だって言いますよ」

無条件に肯定されることの表現し難い恐怖感を、この男は知らないんだろう。それが私を余計に不安にさせていることなんて疑いもせず、ただ誠実に、まっすぐに、偽りのない受容の言葉を投げてくる。

私はこの男が、いやそれ以上に自分の感情がどんどんわからなくなっていっていることを感じていた。確かに嬉しいのだ、私の特異性を正しく把握した上で他の人と何も違わないように扱ってくれることが。それなのに、ずっと望んでいたその待遇が、どこか居心地悪い。

「…いつか氷室君が自分に自信がなくなった時は、私が代わりに励ますからね」

まぁ、そんな時は来ないと思うけど。

「………嬉しいです」

氷室はいつも通り、優しく微笑んでいた。

「お待たせ〜、行こ」

────その時紫原が戻ってきて、私の緊張が解けたこともまた皮肉なことだった。私達は並んで階下に降り、近くのカフェレストランで食事を摂った。

「明日はどこへ行こうか」
「駄菓子バー行きたい」
「じゃあ渋谷にでも行ってみる? 氷室君、前にハチ公見てみたいって言ってたよね」
「はい、ぜひ」

…なんだかすっかり馴染んでしまっているなあ。
秋田に来た頃は、これ幸いにとキセキの連中と縁を切り、むしろ敵対すら辞さないつもりでいたのだが。

「影ちんのパフェおいしそう、一口ちょーだい」
「あげるからまずその口元のソース拭きな、さっきから髪につきそうで危なっかしい」

…どうにも、この雰囲気には毒気を抜かれるというか。

結局、明日の約束まで無意識に取り付けた上でホテルに戻るところまで同行することになってしまった。

「…あ、ちょっと飲み物買いたいから2人先に戻ってて」

帰り道のコンビニでそう2人に告げて、1人店内に入る。時計を見ればもう22時近くなっていて、昼から実に半日近く当たり前のように3人で一緒にいた事実を改めて思い知らされた。

居心地の悪さこそあったものの、それでも他の大多数の人と一緒にいる時のような息苦しさを感じずに済んだのは、きっと紫原の無関心さと氷室の心遣いがあったからなのだろう、と思う。人の目を気にしてこんな根暗人間になってしまった私だが、紫原から向けられる"そもそもあんたのことは好きでも嫌いでもない、どうでも良い"という視線に関しては却って安心感を生む原因になっているらしい。不思議なことだ。

ペットボトルの水と、小さなお菓子の袋をいくつか買い、店を出る。こうなると過去のことにばかり固執した態度を取る私の方が非常識なのだろうか、とすら考えていたところで、出口のすぐ傍に立つ氷室を見つけた。

店の壁に背を向けて、道を行き交う車を(あるいはその辺りの何かを)見つめる氷室。長い腕を組みまっすぐ立つ彼の髪が、断続的に向けられるヘッドライトの明かりを吸い込んできらきらと輝いて見えた。予定通りとわかっていても、つい見惚れてしまうほど絵になる姿だ。

「氷室君」

声を掛けると、はっとこちらを見て微笑む。

「明るいとはいえ、もう遅い時間ですから」
「待っててくれたの?」
「差し出がましいとは思ったんですが、心配で」

こういうことを、当たり前のようにやるのだ、この男は。

「…ありがとう」

この厚意にもいつか慣れてしまう日が来るのだろうかと思うとどことなく恐ろしいような気がしたが、かといって今彼の申し出を拒めるだけの理由もなく、私はただ情けなく、無力な子供のように彼の隣に付き従った。

「…微妙に、さっきの話の続きになるんですが」

氷室の声は、いつも静寂の中に響く鈴の音のようだ。他に何もない、ともすれば自分の存在すらあやふやになってしまうほどの静けさの中、唯一その輪郭を明確に保っているような人。

こんな都会の喧騒の中でさえはっきりとその声が耳に入る。雑音をシャットアウトしたようなその感覚に、私はいつだって無意識に惹きこまれていた。

「答えにくかったら無視してください。水影さん、ひょっとしてアツシのことが…苦手なんじゃないですか」
…それを聞いて、正直「まあそう見えるよね」としか思わなかった。元より意識して隠していた感情ではない。
嫌いというわけではないが、どう接して良いかわからない────持て余す、という言葉が正しいだろうか。私は確かに、彼への接し方を未だ掴みかねている。

彼の言う"苦手"という単純な単語に、私の感情はきちんと内包されているだろうか。肯定すべきか否定すべきか迷っていると、彼はその私の沈黙を"無視"と受け取ったらしい。「すみません、不躾なことを聞きました」とすぐに謝罪を寄越してきた。

「好奇心とか、そういうつもりじゃないんです。ただ、もし俺にも気遣えるようなことがあればぜひ聞かせてほしいと思って」
「…ううん、大丈夫」

なんにせよ、これ以上の何かを求める気はない。迷いのない私の返事に、氷室は躊躇いがちな口角を持ち上げた。

「苦手…って言って良いかわかんないんだ。正直私が紫原に向けてる気持ちがマイナスのものなのかどうかも、あんまりわかってなくて。ただ…ちょっと、そう、わかんないの」

なんて要領を得ない答えになってしまったんだろう。わからない、という言葉は確かに私の中では一つの正解なのだが、それにしたってあまりに拙すぎる。

人とのまともな付き合いを忌避してきた結果がこれだ。言い直そうにもどこをどう修正すれば良いのかこれまたわからない。

「それは、中学が同じだったという…そこに原因があるんですよね」

氷室は私のたどたどしい弁解など気にも留めていない様子でそう囁いた。

「うん」

長く話すだけ墓穴を掘ると判断し、短く頷く私。横目に私の首肯を確認した彼は、それから小さく嘆息した。

「…勝手なことを言うんですけど…俺、アツシのことも水影さんのことも好きで、仲良くなりたいって思ってました。だから、もしかしたらこれからも今みたいに…遠慮しないで2人の間に入ってしまうかもしれないんですが…」

私の前で紫原の話をしたり。
紫原と遊びに行く計画を立てる時に私を誘ったり。
氷室が言う"2人の間に入る"とは、"3人で一緒にいたい"という意味に聞こえた。

…私にとって、それがどれだけの大きな意味を持つかも知らずに。

他者と同じくらいに仲良くしたい存在だ、と思ってもらえた試しなんて、これまでほとんどなかった。同級生達の疎ましげな視線でもなく、キセキの連中の利用する気しかない利己的な視線でもなく、それはただひたすらに友好的な種類の眼差し。

しかも彼は私の気持ち悪い性質を知っていて、なおそう言ってくれるのだ。

「…私、一緒にいてもあんまり楽しくないと思うんだけど…気持ち悪いし…」

一般的にこういうことを言ってしまうことがそもそも楽しくない人間たる所以だということは薄々自覚している。それでも確認せずにはいられなかった。

たとえそう言われた相手が、内心どう思っていても"水影さんと一緒にいるのは楽しいですよ"としか答えられないとわかっていても、卑屈な唇は閉じてくれない。

「……」

氷室は少し驚いた顔をしていた。

「…誰がそんなこと言うんですか」
「誰がって…今まで関わってきた人と…あと自分…?」
「何をもって楽しいとするのかは人それぞれだと思いますけど…言いましたよね、俺はあなたが好きだって」

いつもの優しい笑顔。私の苦手な、何もかもを無条件に肯定する表情で、彼は恥ずかしげもなく言葉を重ねる。

「一緒にいると新しい発見があって、いつも冷静でいてくれるから安心感もある。ワイワイはしゃぐような楽しさとは少し違う種類だとは思いますが、俺の感じてる気持ちも楽しいということに変わりはありません」

よくもまあ、そんなに言葉がすらすらと出てくるものだ。熱意に圧されかけながらも一生懸命冷静な顔を保つ。

「…氷室君さえ良いなら、私は気にしないよ。紫原とセットでも大丈夫」

その時私はうまく笑えただろうか。彼の厚意を受け取れるだけの度量があると、示せただろうか。内心困惑を極めていると、気取られずに済んだだろうか。

「良かった…でも、気になることがあればいつでも言ってください。可能な限り力になりたいので」
「氷室君は本当に良くしてくれるね、ありがとう」

私の下手な笑顔なんて霞んで消えてしまうほど、氷室の微笑みは優しくて、痛かった。

ほどなくして私達の宿泊するビジネスホテルに着き、鍵をフロントから受け取る。7階のシングルルームだ、と言われた。

「氷室君は紫原と同室?」
「ええ、10階の部屋でした」

流石に部屋が隣り合うとかそんなミラクルは起こり得なかった。本当に良かった。そう思ってエレベーターに乗り込んだ時、唐突に頭が痛み出す。

なんのことはない、明日がまた視えるだけ…いつものことだ。

壁に手をつき、落ち着いてゆっくり呼吸をしながら目を閉じる。少しだけ前傾姿勢をとって、動きを止める。

「水影さん!?」

…あ、そうか、氷室はこの習慣を見たことがなかったんだっけ。

「大丈夫…」

心は元気なのに、声がうまく出せない。そうしているうちにも脳裏には明日のビジョンが映し出される。

渋谷でスクランブル交差点に驚いている氷室。周りの人々に驚かれている紫原。
それから、ランチは駅前のカフェでとって…移動した先は、そこからいくらか歩いたストリートバスケのコート。どうやら何かのイベントを開催しているらしい。

見学しようということで近づいた私達だったが、そこにいたのは同じ世代の少年達。ああやだなぁ、鳥肌立っちゃう。紫原と氷室が誰か…赤毛の強烈な存在感を放つ人と話してるのが見えるけど、知り合いだろうか。

夜は少しだけ背伸びして、素敵なレストランで食事。SNSに載せたら反響を呼びそうな感じの、おしゃれで可愛い店だった。
それから…「水影さん!」

頭から冷水をかけられるような感覚だった。ひとつの声が耳から脳へまっすぐ伝わり、未来のビジョンにノイズが入る。一昔前のテレビで見た砂嵐のように乱れる視界。ただひとつクリアなのは、私の名前を呼ぶ声だけ。

一拍遅れて、現実世界に戻る。

「………」

頭痛の名残がまだ頭蓋にいる感覚。重たくて、気分が悪い。
こんな風にビジョンが途中で切れたことなんて今までになかった。強制的に引き戻されるとあんなにも私の頭は混乱するのか。

目の前には、不安そうに顔を歪めて私の手を握っている氷室。

「呼んでも反応がないから…大丈夫ですか、救急車…」
「大丈夫、いつものことだから」

まぁ確かに、話しながら隣を歩いていた人が急に呼吸の調子を変えて体を屈め、目を閉じたまま動かなくなったら一緒にいる人は怖いだろうな。見た目ほどの痛みや苦しみはないのだけれど。

今までこの現象が起きる時、決まって私はひとりだった。外でこの現象が起きても、私はひとりで座り込み、その数秒が過ぎていくのをただ待つだけだった。
道端でそれを見た人がいたところで、私のこのザマは"ちょっと貧血を起こしてふらついた"程度で済まされてしまうもの。親切な人が声をかけてくれる前に私は再びいつも通り立ち上がって何事もなかったように歩いていたので、"未来を視ている"時間をこんな風に邪魔…いや、心配されたのは、初めてのことだった。

だから、今彼の前で"いつも通り"にしすぎてしまったことは確かに浅はかだったと言わざるを得ない。だってこれが氷室だったから良かったものの、この時私は事情を何も知らない他人と一緒にいたらどう言い訳するつもりだったのだろう。

私の隣に誰かがいる、ということに慣れないせいで、余計な醜態を晒してしまった。

「いつものって…こんなことをいつも?」
「うん、いつもこうやって明日を視てるの。だいたいいつも夕方から夜くらいの時間が多いかな」

氷室がぐっと黙り込む。

「ごめん、見た目だけはすごい辛そうっていうのは自分でもわかるんだけど、実際そうでもないから。立ちくらみに似てるっていえばわかる? だから心配要らないよ」

立ちくらみだったら1日1回じゃ済まない人もいっぱいいるし、慣れもする。私の問題がそう重くないことを伝えるには良い言葉だと思ったのだが、氷室の表情は全く和らがない。

「そんな風に軽視できることじゃないでしょう」

言葉が荒くなっているのは、無意識のことだろうか。普段見ない彼の…これは、怒りだろうか。丁寧で、優しくて、いつも微笑みを絶やさなかった氷室でもこんな顔をするのか、と私は反論の言葉を忘れて、彼の怒っていてもなお綺麗な顔を阿呆のように見つめてしまう。

「痛くなくとも、様子が明らかに異常だったんです。心配するなって方が無理ですよ…」
「…ごめん」

呟くような反射の謝罪は、ちゃんと氷室の耳に届いたらしい。さっと彼の顔色が変わり、自分の言葉がまるで失言だったとでも言いたげに気まずそうに視線を逸らす。

「いえ…俺の方こそ、少し驚いてしまったもので…すみませんでした。今は、なんともないんですか?」
「うん、むしろああいう姿勢とってれば楽だから本当に大丈夫。びっくりさせたよね」
「びっくりは…ええ、しました。まさか未来を視る時にあんな風になるなんて想像してなくて…でもそうですよね、普通に考えて脳への負担が大きくかかっているのに体に何の影響も出ないはずないですよね」

私に確認しているというよりむしろ、自分に言い聞かせているような口ぶり。私は私でさっき氷室が見せた表情に対する驚きがまだ抜けていないのか、ちょっとだけ心臓の拍動が速くなっていた。

「部屋の前まで送ります」
「いや良いよ、今のは1日1回だけでもう今日はこれ以上ないから」
「心配なんです、俺が」
「ええー…」

随分と過保護な後輩だ。いつかこれは真面目に、私が親切にされることを苦手としている話をするべきだろうか、なんて失礼なことを考えて、もうそんな話は以前に何度もしていたことを思い出した。

それでも良いと、それでも優しくしてくれるのだと、彼は言った。

「…じゃあ、明日は9時に。体が思わしくないようであればすぐに言ってくださいね」
「大丈夫だって、ありがとう」

部屋の前で別れ、扉を閉めるその瞬間まで、氷室は不安そうな顔をしていた。



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