[本日の予定:夏期講習を受ける私。誰かと電話をしている私。母親と話す私。いつも通りの日常が過ぎていったはずなのに────なぜか私は、最後に旅行の準備をしていた。]
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13話




高校生最後の夏を戦っていたのは、福井だけじゃない。
私にとっても、今年の夏は戦いだった。

受験勉強という、孤独な戦いだった。

だから学校が終わった後も、私は毎日講習のために登校していた。予備校の講義と学校で開かれている夏期講習を併用していた私は、毎日塾と学校を行ったり来たりでそこそこ忙しい日々を送っている。
そういうわけなので私の予定は今日も明日も明後日も勉強に明け暮れる手筈となっており…間違っても旅行の準備をするような羽目にはならないはずなのだが?

『影ちんー、東京行こー』

…これか。

講義が終了した後、図書室へ向かおうとしていたところに入った電話を反射的にとってしまった自分を激しく責めた。着信は紫原から。何事かと聞いてみれば上の通り。前置きは一切なし、そしてこの調子、私の意思も一切お構いなしといったところだろう。

「…どうしてそうなるかな」
『室ちんが東京観光したいってうるさいから来週連れてこうと思ってて、んで、せっかくだから影ちんも連れてこうと思って』
「…私、受験生なんだけど」
『別に何週間もいるわけじゃなし、1日2日の息抜きはむしろ必要じゃん?』

…この末っ子め。兄姉の受験勉強の様子を見てきたからか全く動じる素振りもなく正論をかましてくる。

「私と氷室君と紫原の3人で東京観光?」
『うん』
「…女1人混ざったら色々やりにくくないかな」
『別に? 室ちんも良い案だねって言ってたよ』

アメリカじゃ普通なのか…? と一瞬納得しかけて、ここは日本だと思い直す。普通に考えて、別に仲良くも何もない男女混合の少人数グループで旅行をするなんて楽しくないに決まってる。

「…悪いけど、今回はお断りするよ。2人で楽しんできて」
『えー…しょうがないなー、福ちんも誘って良いよ』
「話聞いてる?」
『あ、やべ休憩時間終わるわ、じゃまたね』

電話はそこで切れた。
…部活中、なんだろう。でもそれと私の話を全く聞いてくれないこととは関係ないと思うのだが。

どちらにせよ何度でも断るしかないか、と気を取り直し、図書室へ向かう。
その日の勉強は案の定すごく…ものすごく捗らなかった。










「え」

その日の夜、突然母から打ち明けられた事実に私は間抜けな声を上げた。

「…黒子って、あの黒子? 東京の?」
「他にどの黒子がいるのよ。東京の黒子さんよ。テツヤ君のお母さん」
「…と、母さんが会うの?」
「そうそう」

ああ、頭が痛くなる。

────そうだった。
東京にいた頃、テツヤと私に帝光中で出会う前からの交流があったということは以前にも言った通り。当時黒子家と我が家は、いわゆる"ご近所さん"だった。
そのせいで、その頃から今も昔も彼の母親とうちの母は仲が良かったのだ。

「いつ?」
「来週の水曜。あなたにも会いたいって言ってたから、うちにお招きしてついでに一晩泊まってもらうことにしたの。日中はともかく夜はいるでしょ?」

冗談じゃない。あんな別れ方をしたテツヤに私はどんな顔をして会えば良いと言うんだ。本人どころかテツヤのお母さんにだって会いたくないのに。
名前を聞いただけで中学時代のことを色々と思い出してしまう。軽率だった私、絶望したようなテツヤの顔、無慈悲な赤司達の言葉────

うん。絶対、二度と会いたくない。

「…いや、逆に私がその日は東京いるから」

…そんなことを考えてしまっていたせいだった。
来週なんとかして家から離れる用事を作らなければと必死で考えていたせいで、最初に思い出した紫原からの誘いがひょいと口をついたのだ。

…我ながら、バカすぎません?

「え、そうなの?」

母親も驚いている。そりゃそうだ。

「いや…その、今のは…」
「なんだ、それならそう早く言ってよ。友達? 何泊? 泊まるとこは決まってんの?」
「えと…そう…友達と…1、2泊くらい…気分転換に…泊まるのは多分東京駅とかの近くのビジホ…」
「まだ高校生なんだからあんま変なとこ行ったり夜遅くまで遊んだりしないようにね。まあ高校最後の夏だしたまの思い出作りも必要か。そっか、そういうことなら黒子さんにも言っとかなきゃなぁ」

………最悪、一人旅とかで良いよね。

その後部屋に戻りすがら、古い旅行鞄を物置から引きずり出した。成程、夢で見たのはこの光景だ。気に入っている服や日用品を突っ込みながら、思わず溜息をつく。

その時、再び私の携帯が着信音を奏でながら震えた。

「…紫原?」
『ごめんごめん、さっきの続きなんだけど』

…まるでちょっと保留音を鳴らした後とでも言いたげな口調だ。部活が終わった後なのだろう、彼の声の背後から何人かの男子の騒ぐ声が聞こえる。

「えーと、ごめんね。来週私も実は旅行に行くことになってるから、一緒には行けないと思う」

言ってみて、これは逆に良い機会だったのかもしれないと思った。さっき母親の前で同じことを言った時は何を血迷ったかと自分を責めたが、いざこれで両方の面倒ごとを回避できたと思えばかなりの儲けものだ。

『旅行? 影ちんが?』
「そう。おいしいお土産買っていくね」
『うんわかった〜、じゃあまたね』

昼はあれだけ一方的だった紫原が(おそらくお土産の発言のお陰で)すぐに引いた。元々好意的とはいえそんなに私に興味があるわけでもない、わざわざ粘ってまで誘う理由がなかったのだろう。

こういう時、変な気遣いをしない紫原の素直な性格は助かる。

さて、こんな形で未来が実現するとは思っていなかったが、最近勉強が行き詰まっていたのも事実。使いどころがない分貯めていたお金も少しはあることだし、一泊だけ遊んでくるとしよう。

…と、思っていたその1週間後、魔の水曜日。…の正確には前夜。

私は最悪の未来を視ることになる。

全人類に問いたい。

日本で一番人間の集中している土地で、偶然同じ時間に同じ場所で知り合いと会う確率がどの程度のものなのか。これだけ交通網が発達し、電車ひとつとってもひっきりなしに通っているような東京の往来で、偶然同じ新幹線から降り同じ電車に乗り換えようとしているなんてことがどれだけの確率でありえるものなのか。

「あっれ、影ちんじゃん」
「すごい、偶然ですね」

とにかく私は、満を持してやってきた東京の駅で、氷室と紫原に出くわしてしまったのだった。

一応言うと、性懲りもなく未来を回避しようとは試みていた。新幹線を降りた後すぐに電車に乗らず、トイレやお土産屋さんを回りながら時間を潰してみた。昨日この未来を視た時から、東京駅を長くうろつくのは危険だと思い秋葉原にまでホテルの予約だって移した。

それなのに、だ。

「なーんでこうなるかなぁ…」

まさか、わざわざ移した後のホテルまで被るなんてこと、ある?
ああ、バカな私。あの時せめて紫原に彼らの東京行きがいつになるのか訊いておけば良かった。というかそもそも目的地を東京になんてしなければ良かった。こればかりは確定してしまった未来を変えようと足掻くよりずっと前に、いくらでも回避する方法があったろうに。

「この後どーすんの? 俺ら浅草行くからさ、影ちんも一緒行こうよ」
「うん…良いよ…」

ここまで来ると何かの呪いで引き合わされたとしか思えない。ホテルにチェックインしながらそう言われ、もう断る気力さえ残っていなかった私は、彼らと行動を共にすることになったのだった。

「浅草とお台場と品川と横浜と房総半島を1日で回る? 待って紫原、あなた東京に住んでたんだよね?」
「うん、まぁ行けるっしょ」
「駅を通り過ぎるだけならできるでしょうよそりゃ。というか後ろ2つは東京ですらないし」
「ディズニーランドはこのうちのどこなんですか?」
「どこでもありません残念ながら」

…どうしてこの2人で旅行をするなんて暴挙に至ったのかわからなくなってきた。氷室はともかく紫原は……いや、この男に計画性を期待する方が間違っているのだ。

「じゃもう良いよ、パフェ食べに行こ」

ああもう頭が痛い。希望も流れも全てをぶった切ってきたぞこのモンスターベイビー。

「浅草ってあれですよね、スカイツリーのある」
「うん、近いね。登ってみる?」
「お時間があればぜひ」
「浅草周辺に絞って回れば余裕だよ」

結局、私が諦めるのが一番早いのだと気づくのにそう時間はかからなかった。中学の時から何も変わらないと言ってしまうとなんだか嫌な気分だったが、

「水影さん、見てください! わっ!!」
「…え?」
「はは、びっくりしました?」
「…何、それ」
「見ての通り、びっくり箱ですよ。そこの出店に売ってたので買ってみました…けど、あんまり驚いてもらえてないみたいですね」
「…ご、ごめん…」

あの時とは少し違うといえるものがここに、一つ。
違いとしては本当に些細で取るに足らないことでも、そこから生まれる感情の差は大きかった。

要するに、この人がいてくれることで私は今ほんの少しだけ、楽しいと思えていたのだ。



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