[本日の予定:そのいち、朝から驚かせて来ようとする氷室。
そのに、その顛末を見ていたらしいなんともいえない表情をした福井。
そのさん、……………………誰だ、このゴリラ。]
[進捗:000%]
11話
今日もあれこれてんこ盛りな1日になりそうだ、と思いながら溜息を禁じ得なかった。制服に袖を通し、学校へと向かう。
昨日、氷室とは結局かなりの時間立ち話をしてしまった。
そんなことになるならどこかのタイミングでカフェにでも入ろうと言えば良かったものの、私が「この特性を今すぐにでも消し去りたい」などと言ってしまったせいで彼はひどく真剣に、それこそ軽いお誘いを挟む余地もないほど真面目に話を聞いてくれた。
物心ついた時から未来を視ていたこと、翌日自分が経験する未来しか視えないこと、関係の有無はともかく確かに私は幼い頃交通事故に遭っていること────等々、思いつく限りに自分の異能について語る。彼は彼の友人だという研究者の話も交えつつ、そんな突拍子もない話を全て当たり前に信じ、そして打開策を提案し続けてくれた。
最終的に出た結論は、私の脳に過度な負担をかける努力をしようというとんでもないもの。適切な療法、あるいは最新の研究成果についてはその友人とやらに改めて問い合わせてくれるそうだが、それまでの間は抽象的だろうがなんだろうが、とにかく私の未来予知が逃げ出すほどのストレスを与えるという方向で合意に至った。
だから今日早速彼は、登校している私の後ろから忍び寄り大声を────
「Don’t fucking move!!」
────わかっていてもちょっと怖かった。
本場イングリッシュ怖い。なにこの迫力。え、てか背中にゴリって固いもの当たってるけど大丈夫? 通報する?
ひくひくと笑みを浮かべる口の端が引きつっているのを感じながら振り返ると、円筒型の筆箱を持った氷室がこれ以上ない爽やかな笑顔で立っていた。
「おはようございます、水影さん」
「…おはよう」
そしてなんでも良いけど私達、物凄く目立ってる。通行人がみんなビビりながら避けて通って行くからここだけ何かバリアでも張られてるような錯覚に陥る。
「…朝からド派手なパフォーマンスだね」
「脳へのストレスということで、まずはやはり簡単な恐怖からかなと」
「ギャングに拳銃突きつけられた民間人の気持ちならよくわかりました…」
「…その割にはあんまり驚いてませんね」
「ごめん…昨日既に見てた……」
「…………無駄に汚い言葉を使ってすみませんでした」
正直、美人の困ったような笑顔の方が心臓に悪い。「お気になさらず」と言う以外の選択肢などなく、私はそれこそ無駄に憔悴しながら通学路を歩いた。
「そういえば福井から聞いたけど、今日部活でテストがあるんだって? 頑張ってね」
「ありがとうございます。水影さんは今日どんな日になるんですか?」
どんな日になるんですか、なんてそんな質問、周りの人が聞いたらあまりにもおかしくて笑っていたかもしれない。私だってまさか人とそんな話が自然にできるなんて思ってもみなかった。
「今日は朝氷室君に脅かされて、これをどこかで見てるらしい福井に後で茶化されて、それから放課後にゴ…ごつい人と会うらしい」
「ごつい人……?」
「高さも幅も大きくて、顔が濃くていかついの。でも制服着てたからうちの生徒だとは思うんだよね。誰だろう」
「音の情報がないと推測もしづらいですね」
誰でも持っている個性のようなものだ、と言ったその言葉通り、氷室は私の力を疎んだり気味悪がったりすることが決してなかった。時間割を訊いてくるように今日の未来を尋ね、先回りして未来を言い当てられても顔色ひとつ変えない。
本心を隠さなくて良いということは、これほどまでに穏やかな気持ちになれるものなのか。
「じゃあ、また連絡しますね」
「うん、またね」
良い人なのだと、思う。
世の中にはどこからどう見ても完璧な好青年を装った腹黒悪魔のような人間もいると聞くが、どうせそうだったところで私のような凡人には見分けなんてつかない。
長年悩まされてきたこの疎ましい力のことを少しでも前向きに考えられるようになっただけでも、彼には感謝をしなければならないと思う。
「なあ、今朝なんかのドラマの撮影でもしてたか?」
「してた」
「なら良い」
「んなわけないじゃん」
「今なんで一回乗った?」
福井は今日も安定の福井具合だ。このノリが来るとああ今日も1日が始まるなと思う。
「…氷室ってあんな感じのやつなんだな」
「いやあれはちょっとまた別」
「というと?」
福井に今朝の場面を目撃されると知っていたから、言い訳もばっちり考えておいた。
「私があんまりにも感情の起伏に乏しいから、私を驚かせることができたらスタバの新作奢りますキャンペーンはじめたの」
「…………え?」
「知ってる? 今のその顔、巷ではスペキャ顔って言うらしいよ」
「いや…え、んなどうでも良いことより…なんで?」
「忘れた。売り言葉に買い言葉みたいなノリだったのは覚えてる」
だいたい普段の会話だって適当なので、むしろこの辺りは詳細なアリバイを語るよりむちゃくちゃに言った方が疑われにくいだろうというのも、昨日のうちに考えていたことだった。案の定福井は呆れ返ったような顔をしながらも「なんかもうお前らしいとしか言えねえわ」と納得したようだった。
「でもそれ言ったら確かに俺、お前が驚いたり興奮してる顔見たことねーな」
「福井も参加する? 冬子を驚かそうキャンペーン」
「スタバかー…俺それよりベーグルの方が良いわ。あの駅前の店の」
「まぁ良いでしょう」
「うん、でもやっぱ良いわ」
思わぬ形で乗ってきたな、と思った矢先に降りられてしまった。別に仕掛け人が何人になろうがだいたいの確率で予知はしているのでこちらとしては構わないのだが。
「俺お前の顔にそんな興味ない」
…あ、はい。
あまりに清々しい口調とよく考えればもっともすぎる理由に、もはやこちらは納得するしかない。
「それにベーグルなら奢りとかじゃなくていーから普通に食いに行こうぜ、テスト終わって夏休み入って…んー、再来月の頭とかその辺りで」
……こういうところ、好きなんだよなぁ。
氷室とは別の意味で気が楽だ。この感覚はそう、もう家族みたいなものだと勝手に思っている。
「ところで来月末からバスケ部の皆さんは大阪へ行く予定のはずだけど、副キャプテン様は私をベーグル店に連れて行くために秋田に残ってくれるのかな?」
「おう、だから俺が大阪から秋田に戻ってきた後だな。それまではおあずけだ冬子、ステイ」
「スカしを食らった上に犬扱い」
私にとってはベーグルこそどうでも良いのだが、まぁここは大人しくステイしていることにしよう。
正確には、そんなことより既に次の未来が頭を占めていたからどうでも良くなった、の方が正しいのだが。
あのものすごく大きかったゴリラ。下手したら私の2倍くらい身長があるんじゃなかろうかと思うほど大きかった。
ゴリラと会うのは、この教室。後ろの扉から顔を覗かせた時にちょうど私が教室を出ようとしていたせいで見事に鉢合わせ、何か言葉を交わすらしい。
あんまり教室に人がいない時だったから、移動教室の前後か放課後だろう。知り合いでもない私と話すような内容といえば、クラスの誰かを訪ねてきたが不在でどこにいるか訊かれた…くらいしか思いつかないのだが、突拍子もないことを言い出したらどうしよう。
その日は奇しくも1限目から早速移動教室だった。ゴリラとの邂逅が今ではありませんように…いやでもどうせ会わねばならないなら早い方が良いか? などと複雑な気持ちを抱えながら教材を揃えていると…おや、宿題のプリントがない。
今日は最初に当てられるとわかっていたから、きちんと仕上げてきたのに…そして朝には何度も確認してカバンに入れたはずなのに…。
机の中、ロッカーの中、カバンの中、思いつく限りのところを探しているうちに、クラスメイト達はどんどん教室からいなくなっていった。自分の荷物を漁りながら、二重の意味で気持ちが沈んでいくのを感じる。
…これ、絶対今ゴリラと会うやつだ。
プリントは、他の教科のノートに挟まっていた。見つかったことには安堵したものの、ふと顔を上げれば教室にはもう数人しか残っていない。
「…………」
よし。
覚悟を決めて、私は教室の出口へと向かった。
と、その時────
「すまん、福井はおるか?」
突然私の視界が真っ暗になった。いや、真っ暗になったと思うほど大きな何かが私の視界に影を落とした。
「…………」
事前にきちんと心づもりをしておいて良かった。でなければ、私の驚いたで賞(スタバの新作)は彼に進呈しなければならなかったかもしれない。
────私の目の前に現れたのは、昨日見たゴリラその人だった。
体が大きいとか顔が濃いとか、それもそうだけどそれだけじゃない。全身から立ち上るオーラというか、立っているだけなのに圧迫されるような、そんな恐ろしい錯覚を覚える。
一瞬完全に気圧されて、そして冷静に我を取り戻してから、やっと彼の言葉が脳に届いた。
「…福井?」
彼は福井を呼んだのか?
「おう、福井に用があって来たんじゃが…移動教室か」
福井の知り合いの、ゴリラ…。
そこまで考えて、思い当たる人がひとり。
「…あなた、バスケ部の主将さん?」
そういえば福井はバスケ部の主将のことを散々ゴリラゴリラと呼んでいた。
「おお、ワシを知っちょるのか!」
嬉しそうに笑うゴリ…主将。…なるほど、ゴリラねぇ…。
「ごめん、名前までは聞いてないんだけど…福井がよくあなたのこと話してるの聞いてたよ。頼りがいのある主将だって聞いてたから、あなたのことかなぁって」
よく知りもしない人(しかも友人の友人)をゴリラ呼ばわりしてしまったお詫びのつもりで、そんな風に持ち上げておく。ゴ…主将は「福井がそんなこと言わんじゃろう…」と言いつつも顔がにやけていた。喜んでもらえて何よりだ。
「む、お前さん…そうするともしかして…水影さん、じゃないか?」
おっとこれは想定外だった。私を知ってるのか。
「あ、うん。水影冬子です」
「ワシの方こそ福井からよく聞いちょるぞ。一番気の置けない奴だってな」
「福井はそんなこと言わないよ」
ああ、だめだ、主将の気持ちがちょっとわかってしまう。
お世辞とわかっていても嬉しいものは嬉しい。
「ワシは岡村建一。今後またどこかで会うこともあるじゃろうし、ひとつよろしくな」
「こちらこそ。それでその福井だけど…これから移動教室で」
「おう、ならまた昼にでも行くとするわ。足止めしてすまんかったな」
「岡村君が来てたことは福井にも後で言っとくね」
「ありがとう」
岡村は屈託のない笑顔を浮かべてのしのしと去っていった。最初の威圧感さえ乗り越えれば、彼はむしろその体の大きさを気にさせないほど人懐こい人だった。
そうか、あの人がうちのバスケ部の主将なのか。あの福井が心から頼りにし、イージスの盾と呼ばれる守護神達をまとめあげる大黒柱。赤司のようなタイプとは違うが、紛れもないキャプテンの素質を持った人。
思ったより悪い未来ではなかった、なんて偉そうなことを思った。
「え、お前まじで今まで一度もゴリラ見たことなかったの? あんだけデカけりゃ嫌でも目につくだろーに…ほんと周りにキョーミねえよなお前」
と、福井にボロクソ言われたことを除けば。
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