[本日の予定:朝に見るのは、福井のどこか興奮した顔。これは多分、バスケ部に氷室が入ったことによるものだ。それから、帰りがけに寄った図書館にいる氷室。バスケ部は今日オフなんだろう、その流れで一緒に帰る羽目になる。ただでさえ気まずいのに運命とは残酷なもので、その道中、私は帰り道の公園で、子供が遊具から落ちかけてるのを見てしまった。正直放っておいた方が良いのは今までの人生で散々学んできていたが、私が視たのは"落ちかけている"未来であって"落ちた"未来ではない。幼い子供に致死レベルの怪我を負わせるのも後味が悪いと、仕方なく私が下敷きになりに行った。子供を助けられたのは良いが、こちらは運動神経の悪さが祟って擦り傷と打ち身を作ってしまった。あーあ、ただでさえ劣等感と緊張感でパンクしそうなのに。ほら、氷室君、唖然とした顔してるよ─────]
[進捗:000%]
9話
「精霊が来た」
興奮した福井が朝来るなり発した台詞は、確定事項となっていたもの。何度も言うように私の視るビジョンはあくまでサイレントの映像なので、具体的にどんな会話をするかというところまではわからないのだが、だいたい彼の表情で察することはできた。
「氷室君のこと?」
化学準備室で氷室と会ったのは、つい数日前のこと。バスケ部に入るようなことは言っていたので、ちょうど昨日あたりに入部手続きと顔合わせを済ませたのだろう。
「マジでアレ、人間離れした顔してんな。ビビったわ。しかもあいつ俺に挨拶しがてら水影さんにはお世話になってますって、なに、俺お前の母親? つか世話してたの?」
完全に混乱しているようだ。入学式の日以来氷室の話が出ることは一切なかったこともあって、福井にとってはそれこそ突然頭を殴られるような衝撃が走ったんだろう。
未来が視える私には、驚くという経験が乏しい。嫌な出来事を視て辟易したり、脈絡のない出来事を視て呆然としたりすることはあるが、私にとって未来とはいきなり体感するものではなく、客観的な映像として"視る"もの。つまり、普通の人でいう映画を見ている気分と同じとでも思ってほしい。
先週氷室と再会する未来を視た時だって、なんでまたこんなところで会うんだという疑問こそ湧いても、彼が目の前に現れたという実感がなかったせいで意表を突かれるなんていうことは全くなかった。
ちなみに現実はもっとつまらないもので、ただ事前に見ていた映画が3D版になって再上映されたくらいの陳腐さしかない。
もちろん、24時間全てを事前に視ることができるわけではないので、サプライズが全くないというわけではない。ただ、生まれてこのかた十数年、断片的にでも未来を視続けていれば、ある程度視えない部分でさえも予想できるようになってくるというもの。あるいは予想もしえないような未来があったとして────それこそ氷室との初めての出会いは私にとって全く予想していなかったサプライズだったが────それだって結局"視えなかっただけで確定していたのだ"と驚くよりその事実に順応する方が早くなる。
「実は先週偶然会ってさ、バスケ部に入るって聞いたから福井のこと紹介しといた」
「あー、なんだそういうことかよ。焦って損した」
…ま、とはいえこの人もそういう意味では大概だと思うけど。
「バスケは巧いの?」
「や、まだ見てねえ。今日…は休みだから明日辺りに一旦色々やらせることにはなると思う」
「なんか巧そうな雰囲気あるよね」
「あるな。しかも本場アメリカ仕込みだろ」
気のないふりをして、内心では期待してるんだろう。いつもより少しだけ視線が泳ぎがちな福井の横顔を眺めながら、つい笑みが漏れた。
お待ちかねの放課後が来た。
変えられないとわかっていつつ、一応確定未来を回避してみようかと私は直帰のポーズをとった。荷物をまとめ、図書室のある方とは反対側の昇降口へ向かう。
と、3歩ほど歩いた時だった。
「水影さん、ちょうど良かった」
背後から呼び止められ、振り返るとそこには珍しい…図書室の司書さんがいた。今年の春休み前に受験対策やらレポート用の資料やらで図書室に入り浸っていたせいで色々とお世話になり、今ではすっかり顔を覚えられてしまっていたのだが…それが完全に仇となっている。
もうだめだ、この時点で回避不可。早かった。
「この間返却してもらった本にね、手紙のようなものが挟まってたのよ。水影さんのだと思って図書室で保管してるんだけど、心当たりない?」
さっと背筋を冷たいものが駆ける。
手紙─────こんなご時世に私に送られる手紙なんて─────まさか、テツヤからの手紙か?
結局あの手紙をなくしたと気づいたその週末のうちに大掃除はしたのだが、どこからもテツヤの手紙は出てこなかった。もしかしたら秋田に発つ前に衝動のまま捨ててしまったのかもしれない、とありえないとは断じることのできない自分の身勝手さに辟易し、そのまま諦めていた。
捨てたというなら仕方ない、思い出せる限りを思い出して、私は私なりの謝罪を返そうと─────そう、思っていたのに。
でも正直、冷静に考えれば、十中八九保管されているのはテツヤからの手紙だ。
ああ、あんなもの…絶対他の人には見られたくなかったのに。いっそ間違えてゴミに出してしまっていた方がずっとましだった。
「……あります、心当たり」
「良かった。もし忙しくなかったらまた私が忘れちゃいけないから今から取りにいらっしゃい。あ、確認の為に最初の冬子さんへ、ってところだけ見ちゃったの…ごめんなさいね。でも手紙だって気づいた後は読んでないから安心して」
そんなもの、どうとでも言える。
とにかく私はもうそこで図書室に行く以外の選択肢を失っていた。だってあんな、自分の恥ずかしい過去と汚い感情を思い出すようなもの、本当は1秒だって外の世界に持ち出したくなんてないのに。
はやる気持ちを抑えて司書のあとに続き、廊下の突き当たりの図書室へと入る。
しんと静まり返る室内は、まるで誰もいないようだった。時折聞こえるページを繰る音と咳払いの声だけが、辛うじて時間の経過を教えてくれている。図書室は大きなL字構造になっており、扉を入ってすぐ左側にはいくつもの本棚が並ぶ通路がまっすぐ十数メートルほど伸びており、その突き当たりを更に左に曲がると閲覧席が設けられている。そのため、人の気配は入口からだとひどく遠くにしか感じられなかった。
司書は入口近くのカウンターに入り、しゃがみこんで内側の棚を漁り出した。まず生徒の目にはつかないような奥まったところにある、ファイルケース。そこから二つに折られた一枚の紙を取り出してみせ、私に手渡した。
「これよ」
間違いない。テツヤからの手紙だ。念の為に中を開くと、繊細な文字が私の名を綴っていた。
何度見ても慣れない、後悔と謝罪の文に胸がぎゅっと締め付けられる。
「…ありがとうございます、大事なものだったんです」
「返せて良かったわ」
司書はそう言うと、「突然呼んでごめんね。私はこれからまた出るから、あなたも気をつけて帰って」と図書室をあとにした。そうだった、たまたま私がいたから声をかけてくれたけど、彼女も元々は図書室からどこかへ向かっている途中なんだった。
…結局、未来は変えられないという例証をまたひとつ増やしただけだった。
まあ、人に見られたかもしれないという恐怖はあれど、この手紙を捨てていなかったことへの安堵でこの場のやりきれない気持ちは収めることにしよう。
ひとり室内に残った私は、氷室の姿がもう見えるのではないかとおそるおそる室内を見渡した。
そのまままっすぐな壁沿い、通路の奥の方に視線がいった時、思わず小さな溜息をつく。
視線の先には、貸出機の前で明らかにおろおろしている氷室の姿があった。
「…………」
あれ、絶対使い方わからなくて困ってるやつだよね…。
いつから格闘していたんだろう。閲覧席からは見えないし、通路を通る人もいないんじゃ誰からの助けも望めない。
いくら回避したかったからとはいえ、そこで困っている後輩を放っておけるほど非情にもなれなかった。
仕方なく、通路を進んで彼に近づく。静かな図書室では室内履きの足音ですら目立つ。声をかけるより先に彼の方が私の存在に気づいた。
「水影さん…」
「それ、わかりにくいよね」
困ったように、いやこれは恥じらっているのだろうか。少し眉を下げながら氷室は笑うと、「すみません、使い方を教えていただけませんか」と丁寧に頼んできた。無論、こちらはそのつもりで来たのでお安い御用だ。
「これね、貸出機にIDをまず入力しなきゃいけなくて…生徒手帳持ってる? そう…これのここに書いてある学籍番号、これがIDだから…そうそう…そこ…」
手順を小声で指示しながら、彼の操作を見守る。囁くような私の声を聞き取ろうと、背の高い彼が屈みながら小さい貸出機を操作する姿は少しだけ可愛らしく思えた。それにしても指先がとても綺麗だ。緑間辺りも確かかなり気を遣っていたようだったが、氷室も何かしらのケアをしているのだろうか。
そんなくだらないことばかり考えているうちに、貸出操作は完了した。
「一回やっちゃえば簡単でしょ」
「次からは大丈夫そうです、ありがとうございます」
氷室が手にしていたのは、今年何かの賞を獲ったとかでかなり有名になっていたファンタジー小説だった。
「それ、私も読んだよ」
「面白かったですか?」
「うん、泣いた」
「水影さんが?」
「それはどういう意味かな」
そのままなし崩し的に一緒に図書室を出て、一緒に昇降口へ向かう。
「この後は?」
「帰るだけです」
「寮?」
「いえ、駅の反対側方面に家を借りてて…」
「じゃあ途中まで一緒に帰ろうか」
「ぜひ」
氷室と一緒に帰ること自体はもはやどうでも良いのだが、今日この後私は大事なミッションを抱えていた。駅の近くまで来た時、公園で遊具から落ちかけている子供を救わなければならないのだ。
「クラスの子達はどう?」
「クラスメイトは皆優しい人ばかりでした。ただ…過ごし方というか、雰囲気も決まりも全く今までと違うせいか、なかなか慣れなくて…」
「そりゃそうだよね。東京から来た私ですら戸惑うことが多かったんだから、地球の裏側から来た氷室君はもう私達がエイリアンに見えるでしょ」
「ははっ、それを言ったら俺の方がエイリアンですよ」
「ふふ、侵略でもしに来たの?」
気を遣ってくれているだけだとしても、慣れないという彼の笑顔はとても柔らかく自然に見えた。内心の苦労は絶えないだろうがこれならすぐに馴染むだろう…というか、周りが放っておかないだろう。
「水影さんの家はどの方向なんですか?」
「私はね、電車で3駅…かな? そのくらい上ったところ。ちょっと遠いんだ、これが」
話すのは、当たり障りのないお互いの基本情報ばかり。日本のこと、高校生のこと、陽泉のこと、何も知らない彼に一つずつ話していると、それでもあっという間に時間は過ぎていく。
「────転校2日目で生徒会に誘われるのは笑っちゃうね」
「でも、有意義かもしれないなと思うんです」
「そうだね、素敵だと思うよ」
「水影さんは委員会とか…部活とか、そういうのはしてないんですか?」
「うん。迷ってる間に全部申請期間終わってた」
本当はやる気がなかったから申請期間が終わるのを待ってた、といった方が正しいけど。氷室はそんな私のいい加減な返事にも律儀に笑ってくれた。
10分程歩いた頃、交差点の向こう側に問題の公園が見えてきた。知らず知らずのうちに肩に力が入り、私の視線が半ばそちらへ固定される。
「数学なんかはまだ良いんですけど、国語…特に古典が難しくて」
「もはや第二外国語って感じ?」
「ですね」
「でも逆に英語は赤ちゃん扱いされてる気分にならない?」
「いやそれが…母国語として自然と身につけた言葉なので、文法だとかそういう理屈を細かく訊かれると却って混乱したりもします」
「確かに私も現国で意味のわからない文法説かれたらちょっと反抗心芽生えるかも」
喋りながら、公園に差し掛かったところで中の様子を伺う。
いた、小学校低学年くらいの男の子が2人、遊んでいる。1人は砂場で山を作っているがもう1人がジャングルジムのてっぺんまでよじ登ろうとしていた。
さて、あとはどう自然に助けに行くかだが─────
「…ちょっと、あの子危なっかしいな」
仕方ないので、わざとらしくならないよう精一杯気を遣いながらそんな風に彼の注意を引いた。
「…え?」
氷室の同意を待たずに「怖いから私、注意してくるね」と言い残して敷地に足を踏み入れる。言わずもがな、普段の私なら絶対にそんなお節介はしません。落ちる瞬間を見てから飛び出したんじゃ遅いので、仕方なくそんな演技を打っただけです。
しかし、せっかく前もって備えたはずなのにそれでもタイミングはギリギリだった。
敷地に一歩入った途端、何を思ったかジャングルジムに登っている子が砂場の子に「見て見て!」と振り返りながら注意を引き出したのだ。高さにして2メートル程、私の身長からすれば大した高さではないが、まだ1メートル前後しかない身長の子供からしたら十分危険だ。
案の定、その子は振り返った衝動で手をジャングルジムから離してしまい、ぐらりと後ろへ傾いた。
「!」
慌てて駆け寄り、頭から落ちてくる男の子を受け止める。
…高さにして2メートル程、大した高さではないはずなのだが……非力な私の腕では、そこから落ちてくる二十数キロ(推定)プラス重力による衝撃はかなりのものだった。
「うっ…」
思わず呻き声を上げながら尻もちをつく。足を擦ったような痛みと、単純に男の子と衝突した鈍痛が腕(あと腰)に走った。
男の子は私の腕の中で呆然としている。自分でも何が起きたのかわかっていないのだろう。
「やっちゃん!」
「水影さん!」
慌てているのは外野2人組だ。砂場の男の子は両手を砂まみれにしながらこちらへ駆け寄ってきた。反対側からは氷室が、私のすぐ傍にしゃがみこんで落ちた男の子と私を交互に見やった。
「怪我はないですか」
「君は大丈夫?」
「う…うん……」
「おねえちゃんいたくない?」
砂場の子が私の顔を覗き込んで訊いてくれた。笑いながら「痛くないよ」と返し、落ちた男の子も腕から解放する。
「立てる?」
「だいじょうぶ! ありがとうおねえちゃん!」
お礼の言えるしっかりした子だ。
見たところ男の子に怪我がないことを確認する。一方で私はもう一度汚れてしまったからと、座った姿勢のまま彼と視線を合わせた。
「さっき上からこの子を呼んでたのは、何か見せたいものがあったの?」
「うん…あのね、ひろしがもってたビー玉、おそらで見るとすごくきれいなんだよ」
わざわざ登っている途中で相棒を呼んだ理由を尋ねると、落ちた子…やっちゃんは、ズボンのポケットからビー玉を取り出した。青いインクが滲んだ美しい透明のガラス玉だった。
「だからね、おれ、もっとたかいところで見たら、もっときれいだとおもって」
「だからジャングルジムに登りながら手を離しちゃったんだね」
うん、と答えながらしゅんと項垂れるやっちゃん。ひろしはあまりわけがわかっていないようで、「おねえちゃんひざまっくろ」などとのたまっていた。まっくろなのは君の手の方だ。
「すごく良いアイデアだね、それ。でも遊具から手を離すのは危ないから、しっかり掴まっていようね。高い所ならそうだな…明日、学校の一番上の階に行ってみたらどうかな」
「えー! あしたまでまつの!?」
苦しいとは思っていたが案の定反発を食らってしまった。かといってこんな場所じゃあまり高度のある安全なところというのも…。
どうしたら納得してくれるだろう、と頭を悩ませた時、横にいた氷室がすっと立ち上がった。
「ジャングルジムより高い景色を見せてあげよう、これでどうかな?」
やっちゃんに背を向けて再びしゃがみこむ氷室。自分の肩をとんとん、と叩いてみせると、やっちゃんはそれで察したのだろう、氷室の首に跨り肩に腰掛けた。
「お姉さんがさっき言った通り、しっかり掴まるんだよ」
そう言って、氷室はやっちゃんを肩車したまま静かに立ち上がった。180センチくらいあるのだろうか、高身長の彼の頭の上から見る景色は、先程やっちゃんが落ちてきた高さより更に高い目線で見えているはずだ。
「わあ…!」
私も立ち上がり、氷室にビー玉を渡す。氷室がそれをやっちゃんに手渡してやると、やっちゃんはビー玉を陽に透かして「すごいきれい!」と素直な歓声を上げた。
「やっちゃんずるい、おれも見たい!」
「順番だね、次は君も乗せよう」
キラキラとビー玉も目も輝かせるやっちゃんを嫌がられながらも降ろし、次にひろしを肩車する氷室。さながら若い父親のような姿だ、と思った。
子守を任せている間に私は擦りむいた膝を洗わせてもらおう。靴と靴下を脱ぎ、公園の端の水道で傷口についた砂を洗い流した。お尻から転んだせいで目立つ傷はなさそうだったが、足を投げ出した瞬間膝を擦ったのだろう、左右どちらにも小さな擦り傷ができている。
洗い終えた後、片足を上げながらハンカチで濡れた足を拭いていると、いつのまにか戻ってきていた氷室がすっと手を差し出した。
「良かったら掴まってください、そこで更に転んではことでしょう」
「ありがとう」
肩とかで良かったんだけどな、と素直に手を取りながら思う。この無駄にキラキラした容姿のせいで優雅に手のひらを差し出す様はどこぞの王族のようだった。そして触れた手がこの暑い季節にひんやりとしていたのも、妙に印象的だった。
変な気恥ずかしさを悟られないよう、さっさと足を拭いて靴下と靴を履き直す(靴下を履く時両手を使いたいと言ったら、今度は私の肩を支えてくれた。それもなんだか恥ずかしかった)。
両方靴を履き終えて、改めて子供達の方を振り返る。彼らはもうビー玉遊びには満足したのか、今度は2人揃って砂場遊びを始めていた。
「あの子達のことも、ありがとう」
「助けたのはあなたですよ」
「満足させたのはあなたでしょ」
互いにそんな成果の押し付け合いをしながら、再び帰路についた。もちろん公園から出る時は、子供2人が「ありがとー!」「ばいばーい!」と見送ってくれた。
「一応、帰ったら消毒してくださいね。制服も少し汚れてしまったと思いますし…」
「そうだね、そうするよ」
彼の心配はもっともなので、素直に頷いた。だというのに、彼はなんだか納得していない顔だった。
「氷室君?」
「水影さん…その、こんなこと言って良いかわからないんですが」
なんだろう、そんな風に前置きされると何か良くないことを言われるのではないかと少し居心地が悪い。
「…あそこでああいう出来事が起きるって、あなたは最初からわかっていたんじゃないですか」
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