山本と消極的彼女
※山本は4番、ピッチャーという設定
今日は武くんが試合に出るというので、私も朝からお出掛けだ。
お洋服、こんなので良かったのかな。やっぱり違う色のスカートにした方が良かったかも。っていうか、むしろ制服にするべきだったかな。あんまりお洒落しちゃって、悪い意味で目立つのも困るからなぁ…
小さく溜息をついて、私の座っている席から少し離れた観客席をちら見する。そこには、並中の制服をだらしなくない程度に可愛く着崩した女の子達が、何人か座っていた。
…あの子達みんな、武くんのファンなんだろうな。
そう思うと、せっかく応援に来たのについ心が痛くなる。あの子達は、自分の好きな人が頑張る姿をああやって大声で応援できるんだ。
私は…私なんか、彼女にしてもらってるのに。武くんの、特別だって…そう、言ってもらえてるのに。
どうして胸を張れないのかな。大きな声で彼に好きを伝えようとしても、いつも情けない羞恥心と臆病な自尊心が立ち塞がってしまう。何もできなくなってしまう。
こんな消極的すぎる私、いつか飽きられちゃうんじゃないだろうか。
だんだん暗い考えへ向かっていく私の心とは裏腹に、空は快晴。
雲ひとつない空の下、今試合が始まったのが見えた。
先攻は相手の、確か少盛中学とかいうところ。少盛なんていうけれどメンバーさんは特盛ご飯ばかり食べていそうなくらい大きい人達。対して並中の生徒は、武くんみたいに…えぇと、細マッチョ? そんな人が多いチームなので、一見するとかなり圧されているように見える。
でも―――――
「ストライク、バッターアウト!! スリーアウト、チェンジ!」
「うわぁ早っ!!」
「なになに、もう1回裏!?」
「山本飛ばしてんな〜、早速三振かよ」
体格差なんて関係ない。武くんはあっという間に3人のバッターさんを打ち取ってしまった。
やっぱり、格好良いな。
「きゃあああ、山本くん格好いいー!!」
「頑張って〜!!」
にこにことマウンドを見ている私の耳に、さっきの女の子達の声援が飛び込んでくる。武くんは集中しているのか、観客席には目もくれなかった。
ちょっとホッとしてしまう私は嫌な子だ。武くんを…ううん、並中のみんなをたくさんの人が応援するのはとっても良い事なのに、不安でぎゅっと胸が痛くなる。
嫉妬なんかしてないで、私だって頑張って応援しなきゃとは思う。でも、なんとか振り絞って出てきたのは「……って…」という掠れ声だけ。
自分でも聞こえない声援なんて、情けなくて腹が立ってくる。
そうこうしている間に並中もスリーアウトになり、攻守は交代した。
もちろん次も三者凡退に抑え、裏では最初に出てきた武くんがヒットを打ち出塁。その回の並中の攻撃で、ようやく点が入ったのだった。2回裏、1ー0で並中のリード。
――激化する試合の最中、私は私で自分との闘いを繰り広げていた。
声、出さなきゃ来た意味がないのに。せっかく武くんの応援に来たのに。
(5回表、向こうのエースが武くんからヒットを取って、少盛中に点が入ってしまった。結果1ー3、相手に逆転される。)
――お洒落もして、並中が勝ちますようにってお祈りもして、朝早くから一番良い席を取って、待ってたのに。
(7回裏、1年生の大物新入部員が上手なゴロで惑わし、並中に2点ももたらした。この時点で3ー3の同点。)
――早く勇気を出さなきゃ。だって試合に誘われた時、彼はなんて言った?
(8回裏、疲れの見えてきた武くんから2点も取った少盛に、なんとか挽回してみせようと並中が健闘。また同点に持ってきてスコアは5ー5。)
――「お前が応援してくれたら、すっげー力出ると思うんだ! もちろん大声出したりするのが苦手なのは解ってるつもりだから、いてくれるだけで良いんだけどな」…って、そう笑っていたのを思い出す。ひとりでスポーツの応援なんてちょっぴり緊張していたけど、それが武くんの力になるならって。
(9回表。相手チームに1点。)
――でも、それだけで良いの?
恥ずかしいとか、怖いとか、そんな消極的な私のままで良いの?
頑張っている彼を、ただ見ているだけで……本当に、良いの?
9回裏、並中最後のチャンス。ツーアウトまで取られてしまったけど、同時に3人が既に出塁しており、そこは満塁。つまり最大の勝負所が待っていた。
そして、次にバッターボックスに立ったのは、まるで図ったかのように――――
「山本くん頑張ってー!!」
「山本、お前ならいけるぞー!!」
武くんの表情、よく見える。真剣で、怖いくらいの気迫。全く尻込みなんてしていない、むしろ「やってやるぜ!」って言葉が聞こえるかのようだった。
並中側のスタンドからは、溢れんばかりの山本コールが響き渡る。
私は両手をぎゅっと握り締めた。
ここで…ここで勇気を出さなかったら、私…
「武くん、頑張って!!!」
女の子達がぎょっとしたようにこっちを振り返る。武くんの友達らしき男子生徒は、ちょっとだけにやっとしていた。
武くんも、こっちを一瞬だけ振り返ったような気がした。
マウンドに立ち、バッターを構える武くん。ピッチャーは汗を拭い、投球フォームに入った。
大きく振りかぶって、投げる。とても速いストレート。
武くんのバットがぐんと振られる。球を―――――捕らえた!!!
カキーン、と小気味良い音が響く。球はバットに跳ね返り、ぐんぐんと距離を伸ばしていった。
誰もが言葉を失ってそれを見守る。恐ろしい程の静寂の中、彼の打った球は今、観客席に…落ちた。
「…………う、うおおおおおおおお!!!!!!」
途端に湧き上がる大歓声。私も思わず立ち上がり、歓声を上げてしまった。隣に座っていた名前も知らない生徒さんと手を取り合って喜ぶ。するとだんだん視界がぼやけてきて、涙が滲んできた。
こんな局面で満塁ホームラン。見事なサヨナラ勝ちだ。スタンドには「さすが山本」「やっぱすげぇ」といった彼を賞賛する声に満ちていた。
*
「9ー6で、並盛中の勝利!」
「ありがとうございました!!」
試合は終わった。グラウンドの整備ミーティングで、選手達は暫く忙しい。一緒に帰れるかなと思いながら、私はスタンドでまだちょっと紅潮している頬を冷ましながら待っていた。
少し経ってから、制服に着替えた選手達が戻ってくる。友達を労う男子や、私みたいに彼氏を待っていた女子、他にも選手のファンである女子なんかがたくさん駆け寄った。
……ちょっとあの輪に入るのは…気が引ける…かも。
また自分の臆病な心が前に出て、思わず竦んでしまう。その隙に、今日ずっと武くんばかりを応援していた例の彼女達が、武くんの元へ走って行ってしまった。
「あ……」
やっちゃった、私。
さっき頑張って声は出たんだから、もう何も怖い事なんてないと思ってたのに…
バカみたいに立ち尽くして、私はそれを見ていた。
「山本くん、格好良かったね!」
「お疲れ様!」
「おーサンキュ、でも俺だけじゃなく、みんなで頑張った結果だぜ?」
清々しい笑顔で答える武くんは本当に嬉しそうだった。
「最後の打席とか緊張しなかったの?」
女の子との会話は終わる様子がない。最後の最後で自分との試合に負けてしまった私は、情けなさにへにゃりと眉毛を下げながら踵を返した。
もう、帰ろう。
しかし…その時だった。
「全然! 勝利の女神の声が聞こえたからな!」
武くんのその声が、まっすぐこっちに向かっているような気がして、無意識のうちに私は足を止めていた。
ぱっと振り返ると、武くんが声と同じように、まっすぐこっちを見ている。
女の子もその視線を追い、私の事を捉えた。
「…あの子、最後の最後でなんかいきなり大声出した子だよね」
「なーんか地味な感じだけど…山本くんの友達?」
「え? だから勝利の女神だって。俺の大事な彼女なのな」
それから唖然としている彼女達に「じゃ、今日は来てくれて本当にサンキュな!」と言って、武くんはこっちに駆け寄ってきた。
「名前!」
それから私の手をぱっと掴んで、
「やっぱり来てくれたんだな!! 最後のお前の声、すっげぇよく聞こえた!! ひとりで応援とか、あんま気が乗らなかっただろ? 無理させてごめんな、でも本当に嬉しかったぜ!!」
なんて、まくし立てるように言ってくる。
聞こえてたんだ。
力に、なれたんだ。
武くんの手を通して、高揚も感謝も喜びも全部伝わってくる。私の目からは、知らない間にじわりと涙が溢れ出していた。
「どっ、どーした? どっか痛いのか?」
「武くんのね…応援したくて」
「………名前」
「ずっと大声出せなかった、自分が嫌で」
「…うん」
「なんで私は自信を持てないんだろうって…情けなくて」
「うん」
「そしたら、最後に武くんが……武くんが……」
もう言葉にならなかった。黙ってれば良いのに、混乱してる頭で色々喋っちゃうから、余計に涙が出てくる。
でも武くんは、優しく微笑んで私を抱きしめてくれた。制汗剤の香りが、今更ながらに試合の感覚を私の中に呼び戻す。
「武くん…おめでとう……」
最後にやっとそれだけ振り絞る。武くんは何度も「ありがとう」って言っていた。
武くんが勝った事が嬉しい。
私の声が彼に聞こえていた事が嬉しい。
こんなに大切にしてくれている事が…嬉しい。
だから次こそは胸を張って、大声で彼を支えてあげられるような、そんな自分になりたいな。
いっぱいいっぱい泣いて、武くんに宥めてもらって、落ち着いた後。私達は手を繋いで歩きながらいつまでも今日の試合の話をしていた。
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