ここ最近ずっと捜査で忙しかったんです。こんなの私の言い訳にしか聞こえません。
「良いの、エルは世界の切り札ですもの。あたしが独占しちゃもったいないよ」
最後にあなたの聞いたあなたの声は強がって笑う哀しそうな励ましでした。
私はその時徹夜続きと糖分不足のせいで、すぐそれに気付くことはできませんでした。
「分かりました、出来るだけ早く捜査を終えてから連絡します」
その後すぐに自室のモニターの前で私は深い眠りに落ちました。エムさんの変化に気付くことの出来なかった私はあんなあなたの声を聞いただけなのに、安心してしまったのです。
「エム、さん」
あなたが夢に出てきたんです。光の無い、真っ暗な空間の中に座り込んでいるあなたが。
「良いの、エルは世界の切り札ですもの」
ああ、声が震えています。
私がいつか置いていった着替えのシャツを抱きしめているのはなぜでしょう。
「あたしが独占しちゃもったいないよ」
やっと笑ってくれました。瞳が潤んでいます、涙をこぼさないように上を向いて。
「わかりました、出来るだけ早く捜査を終えてから連絡します「」
──プツ
私が一方的に切ってしまいました。
「…っ…エル…ッ」
さっきまで流れる事の無かった涙が、エムさんの瞳から今度は止めどなく零れ落ち始めました。私が泣かせてしまった、私が拭わなければ。
エムさん。
目が、覚めてしまいました。
宙を、何も無い空間を、捕まえようとする右手が影を作っていました。夢でしょうか、いやにリアル過ぎて吐き気さえします。
『エル』
「…何ですかワタリ」
『エラルド=コイル宛に進展があったと報告が』
「分かりましたすぐに返事をします」
あなたの泣き顔が、頭から離れない。
『無事検挙されたと報告がありました』
「分かりました、今回も御苦労でしたワタリ」
『疲れているのはコイルでしょう。あなたはここずっと寝ていない、早く休んでください』
「私は平気です。ワタリ、エムさんの家へ行って下さい」
私はワタリの言葉を最後まで聞かずに車に乗り込みました。
あの日から、眠ってしまうのが怖かった。
またあの夢を見てしまうかもしれない恐怖が私を震わせた。エムさんを泣かせてしまった、早く早く…エムさんの元へ─
「ワタリ、早く…早くお願いします」
「はいエル」
もどかしさに私は思い切り爪を噛んでいた。
「着きました」
止まった車から私は駆け出し、勢いよく彼女の部屋の扉を開けました。
部屋には何一つの明かりも無く、真っ暗で何も見えません。しかし私には解ります。
「エムさん」
「…エ、ル?」
「お待たせしてしまいすみませんでした」
腕の中は震えていました。
「本当に、エル?」
「はい」
「ほんと…っエる」
あの夢と同じ。エムさんは私の服と携帯を抱きしめて暗い部屋にいました。
「ずっと一人にしてすみませんでした」
「大丈夫っ…だいじょぶだよ…っ」
「寂しい思いをさせてしまいましたね」
「平気…エル、仕事、は?」
私を見上げるエムさんの顔が見えたわけではありません。
でも確かにあなたの目は私をとらえていました。
「あの時私はエムさんの寂しさに気付いてあげられませんでした」
「エル、あたしは平気よ…だってエルは、世界の切り札だもん」
エムさんの手が私の頬を撫でました。
「…エル泣いて、る…?」
その手をそっと奪い、潤んだその唇に触れました。
「私は探偵であってあなたの恋人です」
「エル…」
だからあなたの涙を拭えないのは何より辛いんです。
「とても恐ろしい夢を見ました」
私はあの時の夢を話しました。
彼女はただ黙って私の手を握って聞いてくれます。
「眠ることが怖くなりました」
「うん」
優しい匂いが私を包みます。
「あたしはエルが好き…エルが世界の為に必要な人だって知ってても、エルが好き…あたしはどこにも行かないから、ずっと待っていられるから。だから」
「エムさん」
「なに?」
「私は世界に協力しなければいけない立場です」
「…うん」
エムさんの声が、曇りました。
「ただ、この身がその犠牲になるまで」
「……エル?」
「あなたの隣で眠らせてください」
どうかあなたの傍で寝かせて。いつかまたあんな恐ろしい夢を見ることが無いように、あなたにあんな思いを二度とさせないように。
END
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