short(dn) | ナノ




楽しそうな声がキッチンから、ワタリと話しているのだろうか時折落ち着いた紳士の笑い声が聞こえます。
…ワタリに嫉妬なんて馬鹿げていますね、私。

そんな彼らを背に、私は机の上に広げられた資料とパソコンの中で今日も世界を見る。醜い、汚い、人間を見る。



「……ふぅ…」



ひとつ溜息をついて空を仰ぐ。空なんかじゃなくて、純白の天井。改めて大きな窓の外を見れば雲ひとつない青空が近い。そう蒼々として都会にしてはいやに澄み切った空。
私の目には少し痛いな。


「どうしたの、エル?」

「はい?」


気が付くと、そこにはさっきまで遠くからしか聞こえなかったエムの声。


「エルが溜息なんて珍しいね」

「…いえ、何でもないですよ」


精一杯、愛想笑いを浮かべようと思った。


「そっか、良かった」


どうして貴女の笑顔は私の刺々しい心も溶かすのでしょう。エムの笑顔に愛想なんかではなくて本当に口元が緩んでいました。


「後もうちょっとで出来るから待っててね」

「え…あ。はい」


タタッとまたキッチンに戻る彼女の後ろ姿につられて返事をしてしまいましたが…ワタリと、何か作っているんでしょうか。
……ワタリに妬くなんて、呆れる。



ふと一つのファイルが目に入り開けてみる。



「……可愛いですね」



…いつ、こんなものを撮ったんでしょうね。そのフォルダの中に入っていたのはエムの写真ばかり。しかも、寝顔に料理してる後ろ姿ばかり…隠し撮りですね、全部。
一体何をしていたんでしょう私は。



「…とても、可愛いです」



普段恥ずかしがる彼女をこんなにまじまじと見る事は出来ませんから。とても良い物を見つけました。



「エルー出来たよー」

「はい」



一旦ノートパソコンを閉じテーブルに置かれた物に目を落とす。



「…美味しそうですね」

「特製ストロベリータルト」



満遍なくたっぷりと敷き詰められた苺が薄く塗られたナパージュでキラキラとしてとても綺麗です。



「エムのタルトは初めてですね。とても綺麗です」

「うん、だから色々ワタリさんに教えてもらったの」

「それで、ワタリは?」


そこに立っているのはエプロンを外したエムだけ。ワタリの気配はここにはない。



「あ、ワタリさんはまた仕事に行ってくるって。すぐに出掛けたよ」

「そうですか…」



今ワタリに早急を要するものは何も頼んでいない。気でも…きかせたつもりだろうか。


「まったく」

「?エル?」

「いえ、何でもないですよ。…美味しいです、とても」

「本当?」

「はい」

「ありがとうエル!」



目の前に出されたエムの作ってくれたのお菓子、彼女の淹れてくれた紅茶。蒼い空を背中に満面の笑みの、エム。

こういうのを、幸せというのでしょうか。



「どうしたの?」

「いえ。折角ですから、一緒に食べましょう」

「うん!」


自分の分を持ってきたエムはそれを私の隣に置いて座りました。


「本当だー。さすがワタリさんが教えてくれただけある」

「エムが作ったんじゃないですか。あなたの腕前ですよ」

「へへ、ありがとエル」



美味しそうに苺を頬張るあなたに見ているだけでこんなにも胸が温かくなるのはなぜでしょう。

…私は相当エムに惚れているのでしょうね。



「…え、エル」

「…はい?」

「顔近い」



気がつくと、私と彼女はお互いの顔が触れそうな程の近さ。赤く色づいた唇と、大きく見開かれた瞳。



「本当に美味しそうですね」

「食べれば良いじゃない?」


…あなたという人は。


「そうですか、それではお言葉に甘えて」


チュッとわざと音を立てるように口付ければ私の口の中には苺特有の甘酸っぱい香りと味が広がる。


「やはり美味しいですね、とても」

「変態」

「膨れないで下さい、可愛い顔が台無しですよ」


真っ赤に色づいた頬を膨らませ不機嫌そうに眉を歪ませるその表情さえ私は愛おしい。


「意地悪」

「何も今に始まったことではありません」


むすーっとした表情のまま彼女は窓の外を見た。


「綺麗だね」

「?」

「空、真っ蒼で、綺麗」


途端に、嬉しそうに目を細めて外を見つめたエム。…真っ赤に染めた肌と、傍にある蒼。


「綺麗ですね」

「うん」


相反する色だからお互いを引き立てあう、こんな風に広い想いで空を見れた自分が今までいただろうか。


「ね…エル」

「はい?」


少し遠慮がちに彼女は私に尋ねた。


「お散歩行かない?」


エルが外出歩くなんてだ、だめだよね…、とどんどん声のトーンをさげていく彼女がたまらなく愛おしくて。自分がLであることなんて忘れてしまうほどに愛おしくて。
うつむく彼女の顔を覗きこんで、微笑んだ。



「行きましょう」





何よりも愛おしい日常。





END