「クリムと申します。お嬢様、是非私と」
「喜んで」
俺たちはそれぞれで情報収集をしながら夜が更けるのを待つ。エムの報告でも階下で裏が派手に動いている気配は無い。主催者とも付かず離れずの距離で見張ってはいるがこちらも今のところ動きは無い。
「ご婦人、お一人でしたらよろしければ」
一人でグラスを傾ける女に声をかければニコニコして片手を預ける。こいつは確か…あの主催者の夫人。
「素敵なお相手がいらして?」
「まさか…ご婦人のような方に比べれば」
まるで舞踏会さながらに客船の広間は踊る人間ばかり。酒を酌み交し口説くよりもこうして紛れている方が情報は得やすい。
「ご婦人こそ素敵なお相手がいらっしゃいますでしょう」
こうして酒を飲み贅沢の極みをしつくす人間はやがて醜いものに手を出していくものだ。
「大した人じゃないわ主催者なんて」
「これはこれは…そうとは知らず、失礼いたしました」
「いいのよ。あなたの方がずっと素敵」
醜いな。
その一瞬会場の人間と肩が触れ合う。
「これは失礼」
「いえ、こちらこそ」
一瞬の内に伝えられた内容。
動いた。
確かにエムはそう言った。そうしてすぐに会場の照明が落ちゆっくりとしたBGMに変わる。周りがそれぞれの相手とほだすような時間を過ごす。
堕とすには良い機会だ。
ぐっと距離を縮めて腰に腕を回す。そして耳元でこれでもかというほどの低く甘い声で囁く。
「─ご婦人」
「主人のことは、気にしないで」
「しかし…」
「あなただけよ」
ほらこんなにも容易く、ふっと笑って浅く口付ければいとも容易く堕ちた。曲が終われば俺は女の片手を握って会釈。
「お付き合いくださり、ありがとうございました」
軽く微笑んでやれば女は名残惜しそうに俺を見て、そっと俺の胸元に何かを忍ばせた。
「これは」
「お相手を連れて地下までゆきなさい。そこにいる男に見せて」
俺は再び女の耳元にそっと告げた。
「今夜、楽しみに」
絶望の序曲を。
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