「…その手は何」
「ゼンギじゃ」
「そのつけっ鼻もいでやろうか」
「女子が汚い口を聞くのは好かんのう」
「あたしの話を聞け!」
そんなこと知ったことか。おぬしはもうわしのもんじゃ。
エムのことは、この名前と年、それしか知らない。別段知ろうとも思わんし、知らなければならないことはその必要性が生まれたときに尋ねればいい。あれやこれやと詮索したがるのは、どこぞの諜報部員か探偵くらいなものじゃ。
あ、あと胸はちょっと貧しいかの。スレンダーといえば聞こえはいいが、まぁまだ発育が少々遅れているだけといえる年頃。二の腕ぷにぷにのA65じゃ。
「なんじゃ、そんな見つめて」
「睨んでるんだよ」
「そうか」
「そうかじゃないわ!なんでっ…あたしの胸のサイズ知ってるの」
「そりゃあ、の」
「……っ!勝手に洗濯した?!」
「洗濯機に残っとったんじゃ」
「…コロス…!」
「エムにやれるもんならやってみい、おチビさんが」
「寝てるときに包丁突き立ててやるからな!」
「おー夜這いか、今夜は楽しみじゃのう」
玄関でつま先でくつをとんとんやっていると、背後に気配。なに、殺気は感じない。手に包丁はお持ちでないようで安心じゃよ。
「じゃあ、行ってくるの」
「…いってらっしゃい」
見送りに感謝の念をこめて頭を撫でてやれば、くちびるをつんとさせてそっぽを向いて。そんな顔してもかわいいぞなんて言わんが、お返し代わりに髪をくしゃくしゃにしてやったら本気で嫌がりおった。
「あ、カクくんおはよう」
「おー、今朝も早いんじゃなぁ。昨日は激しくやっとったようじゃが」
「でもパウリーが明日テストだろうから早く寝ろって」
「…明日テストと知っていてやったのか。おぬし、鬼畜じゃな」
「てめぇら朝っぱらからなんつー話してんだ!!」
昨夜鼻をもがれそうになったそもそもの元凶がアベックで現れた。いや、彼女の方に罪は無いかの、この破廉恥が悪い。ワンルームの壁一枚隔てた隣家で激しくヤられて煽られん男は賢者か不能のいずれかじゃ。隣でエムが寝とるせいでベッドから出ることも叶わず、手を出せば鼻をもぐと脅され、一晩堪えたわし超偉い。
「あんだけやってようベッドが壊れんのう」
「おまっ…会社でそういうこと言うな!!」
「そういうわけじゃから、昼飯おごれ」
「あぁ?!」
ヴーヴーヴー
「もしもし。あー…おぬしか、久しぶりじゃの。今夜か?あー…なら20時頃行く。ああ」
ピッ
「…今のなんだよ」
「あ?夜の接待じゃ」
「カク…お前エムちゃんにまだ手ェ出してねェんだな」
「当たり前じゃろ。エムと同い年に溺れるおぬしとは違うんじゃ」
「だからそれをここで言うなって言ってんだろーが!!」
他の女とヤってる男のどこが誠実かと、パウリーは問わない。他人には何か事情があるんだろうなんていらん思いやりを持たれても面倒だから、このことはパウリーとルッチくらいしか知らん。社宅でもないのに同僚と隣人同士なんて勘弁だと思ったが、このことばかりは隣がこいつでよかったと思ったものじゃ。
「女は星の数ほどおるじゃろ」
「くそ野郎か女に振られたやつの決まり文句だな」
「しかし、太陽は一つしかないんじゃよ」
まったく似合わん言葉じゃ。
「…もう寝とるのか」
外から家を見るも、カーテンから漏れる明かりはない。少し寂しさを感じるも日付を跨いでいる、当然かとため息をついて、がちゃりと部屋の鍵を開ければ一気に感じる倦怠感。玄関に灯された明かりを頼りに、薄暗い部屋の電気も付けず着替えを済ませてベッドに潜れば、血の通った湯たんぽが布団を温めていてくれたおかげで再び元気を取り戻すことができた。
この腕の中で静かに立てる寝息を、あと半年守れば子どもの時効がやってくる。生涯この寝息が手に入るなら、それまでの我慢くらい何てことない。
ただいま、あいしてるよ。「…無防備にも程があるじゃろう…」
「すー…」
「…本当に襲うぞ」
「こ…ろす…」
「…まったく、汚い言葉ばかり使いおって」
まだまだ子どものきみが、わしのものになるその瞬間まで何者も寄せ付けてやらない。
END
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