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::ファンタジーにおける鎧考

他所のつぶやきツールで書いていた、ファンタジーの鎧に関するあれこれのことを考えていたら随分長くなったのでこちらに投下します。
あまり細かいリアリティ考察的なことを持ち込むのも我ながら不粋です。でもシコシコ考えるの好きなんだ。で考えてしまえばネーネーってブログにあげたり人に聞いて欲しくなるやん←
でも理屈っぽくてウゲーかもですので、苦手なかたは以下の記事閲覧にご注意を。















つぶやきで書いてたのは、昔大阪四天王寺の古道具市で、雑多な骨董に紛れてガントレットが売られていたのを見たことがあり、たわむれに嵌めてみたらうまく嵌まらなかったという話でした。
サイズに個人差があるのでしょう。アーマーは個人の体曲線に合わせたオーダーメイド品も多かったと聞きます。

ゲーム関連の謎本なんかでもたまに見る「拾った鎧がすぐ装備できるのは何故か」という命題があります。
解答としては「サイジングの魔法がかかってる」とする向きもあるようですが、あまりに何でも魔法で解決してしまうのもスッキリしないものです。だいたい妥当な線としては「継ぎ目など調整したりして簡便にアジャストできる風になってる」といったあたりの解答になるようです。

しかし人間同士ならまだしも、ドワーフやハーフリング(ホビット)などの小人族含みのサイズ格差パーティーが仲間内で渡し合って装備取っ替えたりもしますが、これは調整するのが中々大変そう。アーマーでなくメイルなら比較的容易でしょうか。

メイルとアーマーは混同されがちで、もうそれで市民権獲得してる感もありますが、本来は別物です。
「メイル」はリングやチェインなど鎖帷子状の鎧のことで、語源はラテン語のマキュラ(MACULA:「網目状の物」の意味)だそうです。
「アーマー」は本来は板金製の完全鎧(部分鎧でない、全身を覆う鎧)のことですが、現代では「装甲」というほどの広い意味でも汎用され、鎧一般を指しても問題ないようです。鎖帷子の完全鎧を「メイルアーマー」と呼ぶこともあり、T&Tではこの呼称です。

いわゆる「プレートメイル」という語が、メイルもアーマーも共に「鎧」を指す言葉だとされる元じゃないだろうかと思うんですが、あれは正確にはプレート・アンド・メイル・アーマーで、鎖帷子の各部を板金の部分鎧で補強したものを言うそうです。ここでは一揃い甲冑の「プレートアーマー」とは分けて考える方がよいでしょう。

西洋鎧の歴史としては、例えば13世紀までの十字軍の典型イメージというと、バケツ兜、三角盾、全身鎖帷子にサーコートといった、テンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団の戦士像が想起されますが、そこに板金装甲はあまり見ない。
それが徐々に、まず騎兵が狙われやすい足や、武器を持つため敵に一番近く突出する腕を板金で補強し、次いで胸や腰という風にプレート部分が増えて来て、14世紀イタリアあたりからプレートメイルと呼ぶべき形が出てきます。
やがてフランスとイングランドでは百年戦争。そして15世紀に入り、イタリアでは偉大なるクワトロチェントと呼ばれる文化繚乱期、ルネサンスに伴う冶金技術の向上も相まって、全身板金で最初から設計されたアーマー、いわゆる西洋甲冑がほぼ形になるという経緯でしょうか。

プレートメイルはそこへと至る進化の途中経過ではあるけれど、アーマーの不完全形態や劣化版ではなく、利点は多いと考えられ、例えば傭兵や野武士などの装備がバラバラな描写がよくある、あれは拾ったり奪ったりした部分鎧を継ぎ合わせたりしてるんでしょうが、そうやってカスタム、アジャストして使える運用性に富み、アーマーに比して可動部も多く、重量、通気性もマシです。騎士ならぬ冒険者に向く実践的装備はプレートアーマーよりプレートメイルかもしれません。

コンピュータRPGでも頭、足、腕、とか部位ごとに装備箇所が独立設定されてるものが少なくない。兜から爪先まで一揃いセットではない方法、いわばこれはプレートメイル的な継ぎ接ぎの考え方です。
以上のことから「ファンタジーゲームに出て来る鎧とは、基本的にプレートメイル型のもののことだ」と、とりあえずここではざっくり仮定してしまいましょう。
そうすると装備にもある程度融通がきき、先の「拾った鎧や仲間でやり取りした鎧が装備できるのはどういった現象か」という問いに対する「アジャスト説」は通りやすくなります。



難題なのはむしろ武器かもしれません。人間にはショートソードでもドワーフにはロングソードになり、重量バランスの取り方がまるで変わってしまいそう。リカッソを左手で掴むハーフソードや、裏刃で相手の背後を狙うラップショットとかの剣術も間合い的に使えないのではないかな。ポメルやキヨンで殴る接近剣術は小回り利くかもだけど、剣に向く体型とは言えないでしょう。
だから人間→剣、ドワーフ→斧、エルフ→弓、という古来よりの、というか明らかに指輪物語由来の様式美は、お約束ロマンのみならずそれなりに機能上の意味があることなのでしょう。ロマンとか出すのもあれですが。それなら魔術師に鎧が装備できない理由なども「そんなのは美しくないから」と身も蓋も無く言ってしまえば済むようなことになりますし。

この「なぜ魔術師は鎧を装備できないのか」という命題にも様々な理由づけと考証がなされています。
例えば「精霊は冷たい鉄を嫌うから」とか「魔法の発動には複雑微妙な手振りを必要とするため、動きを阻害する鎧が邪魔になるから」とか「魔術の勉強に時間のすべてを使うため、鍛えるひまがなく、重い装備をつける体力がないから」など。
また盗賊が革鎧しかつけられないシステムも多いですが、音をたてたり機敏な動きを阻害しない為とされるのが一般的です。SWでは武器防具には必要筋力の値が設定されており、同じ武器防具でも重いものだと威力があがりますが、シーフは必要筋力が筋力の半分までの装備でないと大抵の技能が使えなくなります。レンジャーも弓だけは筋力最大まで使えるけれど、鎧は筋力の半分までのものだけです。

変わったところで面白いのがまたT&Tで、このシステムでは魔術師でも盗賊でも鎧の装備には制限がない。ただし戦士に限り鎧の効果が倍になるルールがあります。これは咄嗟の打撃に際しても微妙に体を動かし、装甲の固い部分で受けるなどのたくみな戦闘技術、鎧の扱いの上手さをあらわしたものとされています。

またさらには「この微妙な身のこなしによる受けの技術こそが、ヒットポイントという数値概念の正体である」とする論もあります。
これは早くいえば「ヒットポイントは増えているのでなく、細かくなっている」とする考え方です。
例えば同じ10点の打撃を受けた時、HP50のキャラクターよりHP100のキャラクターの方が相対的にダメージは軽減されている訳で、高レベルの化け物じみたヒットポイントのキャラクターは、同じ威力を持った攻撃を受ける場合でも、うまく身をこなして衝撃を逃がしたり、微妙に打点をずらして急所直撃を避けている、とするのです。
これなら「最初HP10だったキャラクターが、レベルがあがりHP500になった暁には、昔は一撃で致命傷だったダメージを何十発受けても倒れない」という奇怪かつあるあるな現象を説明できます。

とくに古いD&Dの場合、防具により上昇するアーマークラス値は、ダメージ減少力でなく回避力のことです。鎧によってダメージをいくぶん和らげるのでなく、カーンと弾く訳です。弾いて無効化できず抜けてきた打撃は裸と同じだけ食らいます。他ゲームでいうところの「防御力」の計算は存在しないのですが、それをヒットポイントが担当しているということにするのも理屈かな。不必要に説明つけすぎで嘘くさくなるかな。



エルフの魔法特化設定や獣人のいるペティット世界の場合、当然古典ゲームや史実とはこのあたりの関係が変わってくるのでしょう。
重装防御タイプより攻撃特化タイプ、スピードタイプのC様をやや多く見かけるように私感せられますが、例えば17世紀以降に鎧が廃れたのは、強力な銃器が普及し、どれだけ重装化しても抜かれるので意味ないやん、と諦めて軽装に転じ機動性を採ったことによるとされますが、銃や魔法の発達しているペティットでも軽装化しているのはむべなるかなやも、こうしてみると有機的な進化です。
まあというか、戦場や迷宮でなく街がメイン舞台だから、ふつう鎧着てズチャズチャ街中歩いてないか。鎧着てたらせっかくのキャラの顔みえんですし。

無理に当て嵌めることもないけど無理に当て嵌めると、16、17世紀のレイピアの時代や、江戸時代の刀のような無装甲帯剣文化に近いと考える方があたるのかな。
ちなみにレイピアは鎧の重装プレート化に伴い、装甲の継ぎ目を狙って攻撃する為、刺突特化の必要から発明されたとする説を見かけることがありますが、信憑性は低いでしょう。レイピア文化の隆盛は鎧が廃れはじめてからです。どちらにせよあれは街中や宮廷で羽飾りの帽子つけた剣士が使うから様になるのであって、戦場で使われたことはありません。しかし有り得ないからこそ、ハロルド・シェイのように古代へタイムスリップした主人公がフェンシングの技でごつい鎧の戦士達を華麗に倒す場面なんかが痛快なのでもあります。これもまたロマン。

一方街中ならぬ迷宮が主な舞台となる古典RPG、例えばCD&Dの場合、エルフでもドワーフでも僧侶でもプレートメイルを着るのが普通でした。装備の買い物でも「まず最初になるべくいい鎧を買い、余った資金で武器を買う」のが定石といわれたりします。
これはツーハンドソードの威力が1d10、ノーマルソードが1d8、ショートソードが1d6と、得物何持ってもダメージ量の差が体感しにくい問題もありそうですが。
でもD&Dの宣材やメタルフィギュアにありがちなマッチョなメリケンヒーロー像的には、プレートよりチェインやスケイル、もしくは半裸のが似合います。半裸もまたロマン。理不尽はロマンで解決。

しかしこのあたり、鎧の機能が回避であるというとらえ方や、先に買うべしという重要度は、死や損傷が重くとらえられている好印象があります。さくさく復活できるわけではないですし。
そもそも中世の戦争において、死なないことが重要であったというか、死ぬまでやらなかったような例も多くあります。
キリスト教徒同士の中世の戦争は、平原に集まってお互い正面から突撃しあう会戦が好まれたといいます。戦略もなにもないです。
またクロスボウは強力すぎるとして教会がキリスト教徒への使用を禁止したこともあります。クロスボウも15世紀には鉄製になり、クレインクイン(歯ざおとギアとクランク)やウインドラス(ロープと滑車とハンドル)で弦を引く強力なものは初速が秒速300メートルを越えるし、イングランドのロングボウは至近距離なら9cmのオーク材を貫通するといいます。ベルセルクでもあるまいし剣では鎧は切れませんが、これらの弓は鎧を貫き、相手を殺してしまうので、殺さず捕虜にして身代金を取るという当時の戦争にそぐわなかったそうです。ただし異教徒にはじゃんじゃん使っていいとされていたあたりが感じ悪いです。
またトーナメント、馬上槍試合というとランスで突き合う一騎打ちのジョストが有名ですが、トゥルネイという実戦さながらの団体戦が本番だったようです。とくに12世紀の初期の形などは剣の刃も潰しておらず、模擬戦とはいえ互いに領地を賭けることもあったとか。
また百年戦争初期の1351年、ブルターニュ継承戦争トラントの戦いには、両陣営から30人の騎士が場所、日時を決めて対戦するという騎士道物語のような出来事が、また1501年のバルレッタの決闘でもフランスとイタリアから双方13人の騎士が戦っています。
紀元前7世紀ギリシャのエウボイア、レラントスの土地を巡るカルキスとエレトリアの戦いでは、戦闘の規約、日時場所などを書いた契約書がアルテミス神殿に寄託され、弓、スリング、ジャベリンなどの飛び道具は全面禁止だったとか。

これらを遊び半分のようととるか紳士的ととるか、評価はともかく、西洋の古代や中世の戦争にゲーム的性格を見いだす例証はたくさんあります。
そうした資料は叙事詩になったり年代記になったりと、美化され盛られたものが多く、よくわからんものもあります。それは戦いのファンタジー化により醜悪さと残酷さを隠しているわけですが、戦争を名誉と美徳のゲームとする考えから、国際法の観念が育っていったのでしょう。その中で、殺さない、殺されないことは重要で、その為の装置として鎧の発達があったと位置づけることは出来そうです。

その方が格好よいもので、ついついCは軽装にしてしまいますが、こうしたことも鑑みて、今は枠増やす気ないですが、たまには重装Cをやってみるのも一興かもしれません。その時は騎士道に思いっきり凝り固まった、ドン・キホーテかフンバルト・ヘーデルホッヘのような痛いCでいきたいものです(笑)
 

2013.09.30 (Mon) 18:06
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