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::レーヴィニュ王国にて(ルトナ)

後で気づいたのですが、旅人が出した問題「二輪のリーリス・アイリスを三つの鉢に植えるには」という、答えは「育てて株分け」でいいですよね。超普通じゃった。

あれはヨハン・ペーター・ヘーベルの暦話「儲けのいいなぞなぞ商売(「ドイツ炉辺ばなし集」などに収録)」の改変で、まるパクりなのですが、もとは「二匹の鱒を三つのフライパンで、まるまる一匹ずつ、同じに焼くには?」という謎です。
これをその場で改変してたので、思わぬ粗がでました。
(まあ鱒も、卵をとって孵して育てて、という解答はできますが、アイリスの株分けよりは難しいですし)


こういうこともあるから、なぞなぞは即興もいいけど、ストックして吟味し磨いておくにしくはないかも。
元のヘーベルの話でも、船に乗った11人のお金持ちと、主人公のユダヤ人の謎かけ合戦で、それぞれ即興で謎をかけあうのですが、慣れてないと用意なしには難しい。

もちろん連歌や都々逸のような即興詩も、普段から詩型やフレーズのお約束を溜めて引き出しを充実させてるから、その組み換えでぱっと作れるわけでしょう。だからなぞなぞ全文を用意してなくても、作り方を押さえていればいいのでしょうけれど。


そういう、ごく簡単な即興リドル文法の一つとして「私は誰?」形式で、その「父・母・友」を述べるものなどがあります。
例えば答えが「剣」なら、

「わが父は火。わが母は鉄。わが友は戦。われは何?」

などでしょうか。要するに「製法・原料・用法」を言うのですが。
けどこれだと広くて、槍でも鉄砲でも鎧でも、武具一般がたいてい正解となるので、より狭めたいなら、文言を足していくなり変えるなり。


セッションで出すリドルなら、解いてもらわねばならないですから、こういう答えをあらかじめ用意したものになりますが、謎かけ問答だと、この日のルトナのロールやヘーベルの原話の時のように、わざと答えられないように謎を出すこともあるでしょう。

ここでは「巨人が卵いくつ食べられるか」のような、証明しようのない問題などが使われましたが、よく使われるのはジレンマ(両刀論法)などでしょうか? どちらを選んでもなんらか損をするような選択をせまるわけですが、これは戦闘でも交渉でもよくありそう。

例えばアレキサンダー大王がインドの賢者達にかけた「生者と死者はどちらが多いか?」「昼と夜はどちらが先にくるか?」などといういじわるな問い。
あらゆる答え方があるでしょう。「死者が多い。なぜなら生者もいずれ死者だから」とか「生者が多い。なぜなら死とは存在せず、あるのは生、生、生だけで、その不在を死というのだから」とか。
あらゆる答え方があるなら、つまりあらゆる反論もできるのですが、要するにそれは言葉遊びですから、概念の定義、前提によりけりでどうとでもなる。これはいわゆる「擬似問題」というやつです。


ホイジンガによると「相手を謎の計略にかけてうまうまのせて勝とうとする企みは、本質的にディレンマになる。つまりそれは、必ず解答者の側が不利におちいらざるを得ないような質問になるのである」(ホモ・ルーデンス第六章)

しかしそれなら、そこに質問者の「常に有利を確保したい」方法論の裏に隠すものが透けるわけですから、ならそこを突くか、見ないことにしとくか、乗っていくか、やり方しだいで不利になるとも限らないのかもしれません。


またディレンマの謎かけ、あちらをとればこちらがたたず、にたいして「どちらも捨てない!」と第三の解を出すのがヒーロー漫画の常道です。
けどそれならそのリソースがいるわけで、何らかを支払うことにかわりはないです。それは例えば「積んできた伏線」であるとか「キャラの命」であるとか「いかにもご都合漫画くさくなるリスク」であるとか。

つまりこれはディレンマをトリレンマに組み換えてるのであって。
同じく、例えば「民主主義も、国家主権もあきらめない!」と言ったら、グローバル化をあきらめてるのです。これが今の内向きアメリカ型。
グローバル化と民主主義をとり、国家主権をあきらめるのがEU型。
国家主権とグローバル化をとり、民主主義をあきらめるのが中国型。
のようなことでしょうか。こういうのあまり簡単に整理してはよくないですが。


キャラビルドでもこうしたトリレンマのような感じがあって「強さ・賢さ・美しさ」にどう振るか。
私は全部そこそこのバランス振りが好きですが、意図的に設定上での個性を出すためには二点を捨てる極振りか、あるいはどれか一点を欠くことで成立するもので。
強く、賢いが、ぶさいくであるとか、強く、美しいがバカタレであるとか。
設定上だけで三拍子揃いすぎたキャラは、やってる本人は気持ちいいかもだけど、この場合、振りわけるリソースの出どころは、四つ目の要素として、周りにしらけられるリスクを払ってることになるでしょう(笑)
あるいは本人がそれを払ってない場合、周りが大人になって対応することで、支払い肩代わりしてるとか←
まあそれで世の中回るのならいいのじゃないかなと思います(笑) 案外憎めないものですし。
大人対応者が損のようだけど、そういう苦労人には「真面目で割食ってる者同士で飲む酒のうまさ」に味到し、新たな地平を知れるメリットもありますから(笑)


このように、ジレンマを脱し第三の選択を見つけたり、トリレンマから払いをツケにまわしたり、問題を組み換えることはできても、そのつど歪みは無限後退するので、それはどこかで、誰かがあがなうことになります。
なら歪みはどこで生じたのか?
誰かが、解けない謎へ誘導し、勝とうとした時でしょう。つまり事象を操り、一方向に利益を向けようとした時です。

問いには答えがなければ。それなら勝ったり、負けたり、双方向に動くことができます。

ペティットの規約にも
『まずは「どんな相手にもきちんと負けられる」設定がお勧めです』
とあるように、解けない謎かけは、負けられない押しつけ設定のようなものかもしれません。

けど「答えはちゃんとあるから」と、用意した解の他に選択肢を認めず、人を試すようなことをするなら、同じようなことになる気もします。
そうでなく、その答えが誰にとっても納得でき「どんな相手にもきちんと解ける」ものか、まず自分が試金してないといけないのでしょう。

これはもちろん、易しい問いを出せばいいということではありません。
よい謎、よいシナリオは、そうした場当たりなものでなく、おのずからの普遍性を含むものなのかもしれません。


このヘーベルの話は、そうした構造を考えさせて興味深かったので、ちょっとここでパクりました。
そして、相手がずるでも(原話では、出題者らがユダヤ人への差別感情から、いじめてやろうという気持ちもある)、怒らずにあえて乗って、とんちで切り抜けられることもある、というのがいいでしょう?



さて私もまたなぞなぞストックしておかなければ。
そういえば、実プレイは経験ないのですが、ルーンクエストでは、嵐の神オーランスの上級信者(ルーン王)は、大陽神イェルムの司祭に会った時は、なぞなぞを掛け合い、知恵比べしなければならない義務があるそうです。
そのためオーランス人をプレイするなら、常になぞなぞネタをストックしておかねばならない。

その時に歌うのが「さまよう大陽〜」という歌で、ルトナの出囃のもとねたです。あれも変えようと思うのですが。
現行でも改変してるし意味違うから、なんらかの抵触などはないと思いますが、パクりです(笑)
 

2018.01.08 (Mon) 15:51
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