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::ブラウン・ブラウン・ドーナッツにて(ホフマン)

3日、アルマさん。
ちょっと一時間くらい空いたから入ってみたですが、まあ雑なロールでした…(笑) 反省しますm(__)m


petit世界にもカクテルがあるのなら、禁酒法世界もあったかもしれないですね。
アルマさんもおっしゃってらしたように、一部のカクテルは、スピークイージー(もぐり酒場)への手入れに際して「酒じゃないよ、ジュースです」と擬装する為に発達したと、一説にいわれます。

また密造酒をブーツに隠して密輸したことから、ブートレグの言葉が生まれたそうですが、他にも棺桶に隠したり、肛門に隠したり(これは伝統で、つい最近のニュースでも、直腸に1キロの金をぶち込んで密輸しようとした人がいました)など、涙ぐましい努力とアイデアが、禁酒法時代に育まれたそうです。


限定された状況からこそ生まれてくるものもあるのでしょう。
ホイジンガの定義によると「遊戯」とは時間と空間とルールを限定された中で行われるものですが、してみればこれらのことを、遊戯の相のもとに観ることも一応可能なのでしょう。


また、ホフマンが言ってたドーナツ弾圧とかは、昔、山下洋輔まわり(坂田明、筒井康隆、タモリ他)のメンバーより成った「全日本冷やし中華愛好会(通称 全冷中)」の初期における奥成達の言説のパロディです。

この全冷中も、最初は「なぜ冷やし中華が冬に食べられないのか!」とソバ屋でぶちきれた山下洋輔が「こういった間違った風潮を正すべく」結成したものでしたが、やがて会の中でも様々なセクトが生まれ、奥成の「冷やし中華バビロニア起源説」と、平岡正明の「冷やし中華トコロテン説」の間に激しい論争(通称 バビテン論争)などが起こっていくわけですが、議論が進むにつれ「夏以外でも冷やし中華を食べたいという中道現実派の意見は、冷やし中華の深奥を探究するの観点からすれば間違っており、むしろ一年に一回しか食べられないくらいにすべきだ」と、解放より限定・制約をこそ旨とする思想が台頭してくるのでした。
冷やし中華食べるのに100ヶ日くらいのプログラム組む。精進潔斎して、一日め、山歩き。二日め、薪割り。50日めにタレを作り始める。とか。祭儀になるの(笑)



祭儀、呪術と遊戯との密接な対応関係は、縛りプレーのような一面を持つわけでしょうか。

また栄誉のようなものも遊戯の質で、位階や勲章というのは、封建領主が働きの報いとして御家人に与える領地がない時に、代わりに与えてお茶を濁しておくためのものでもありました。

信長が茶の湯と茶器を大切にしたのも、一つにそういう意図があったりもするのでしょうかね?
数奇の文化背景を盛り上げることで、食えもしない、それ自体で何の力も持たない名物の評価体系を作り、価値を吊り上げ、力を発生させる。
貨幣の信用ともやや似ること。また大切なコレクションが、文化背景を異にする人には無価値なのと同じこと。
「そんなフィギュアが何万もするなど、馬鹿馬鹿しい」と言うのは、王様は裸だ、と言うスポイルスポート(遊び破り)に等しく、とすれば勲章の価値を担保する伝統も、会への帰属意識を与えるフリーメーソンの入会の儀式も、馬鹿には見えない服のようなものかもでしょうか。
ちなみにスポイルスポートは、スペルブレーカーとも言うそうです。遊びと呪術の対応。


そして祭儀や冷やし中華のように、背景を限定すること、手順に従うこと、つまり遊戯のルールを守ることで生じる力場があるなら、スイーツ男子が弾圧されるのも、むしろおいしい状況なわけです。ある程度なら、障害がある方が燃えるという。ならその「ある程度」の機微こそが本質たるのかもしれませんね。


釣り好きの人が、海近くに引っ越した。いつでも行けると思うと、あんまり釣りに行かなくなった。

蕎麦通の男。ツユをどっぷりつけたりなぞ、無粋な食べ方はしない。ちょっと先を濡らす程度につけ、かまずに一気にすすり込む。それが通ってもんよ。
彼がいまわのきわ「一度でいいから、おつゆダボダボにして蕎麦を食ってみたかった…」と言ってこときれる。

趣味というのは、こういうはた目に馬鹿な痩せ我慢でなきゃいかんのかもしれません(笑)
 

2017.12.04 (Mon) 15:18
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