日報 ブログ ::11月まとめ ルトナはあいかわらず、フライルーを巡業しております。 ラララルラ湾からシデリアに出て、一人艇で帆に魔法で風を集めてすっ飛んでマリントピアまで行ったわけですが、この航路を取るのは三回目か四回目だったかのはず。 前から一つ問題なのは、このシデリア海の位置です。 あれ登録したの私で、主催様に「フライルーには内海あることにしていいですか?」とうかがい、沿岸各地に繋がる位置のつもりでした。 けど、その後サンクポートからこの海に通じてるとされたためでしょうか、シデリア海はサンクポート〜ペティット航路間、つまりフライルーより東にある外海と描写されるのを、何度か見ましたです。 これは当初想定した位置ではありませんでしたが、描写された以上、まあそれならそっちもシデリアということになるので、内シデリア海、外シデリア海、というのがあることなればいいでしょう。 で、内シデリアがラララルラ青の海やマリントピアに通じてるとしたのは、私の独断です。いいのかな?ともいまだに思いますが。 もちろん私と別の解釈あっていいのです。フリー場所です。 それは踏まえた上で、今までの描写・記述から(あまりログよく見てるわけでないので、他の描写もあるでしょうが)矛盾ない地図を個人的に描くなら、 東フライルーのイメージは、一つにはこんな感じになるでしょうか? この西は、巡礼時はアスピデの空を挟んでて、陸路が連続していないので、よくわかりません。 サンクポートから洞窟都市群までは馬車で一日、ベルダレイからラララルラまでは数日かかっているので、地方間の距離感もちょっと図と違うかもですね。 現在地はオルゴール。れいにより、水利施設の検査や、しばらく仕事の手伝いして、平原越えの食料をわけてもらいましょう。 なにか百年の孤独の、毎年マコンドを訪れるジプシーみたいになってきました。または、定期検査に来る水道局の人。 あとルトナ誕生日は10月31日だったか11月30日だったか、忘れてしまったのですが、どちらにせよ41歳に。最初35だったのが、早いものです。 ホフマンの方は、勉強したり、広場でネージュさんやレインさんにお会いしました。 シャドウその後の、いろいろ考えられてもいたようで、お話うかがう機があればよかったかもなのですが。なに、またいずれ春永にね。 「私なら、メリーゴーランドのようなものがいいな」に、ホフマンのみならず、私も思わず顔のほころぶのを覚えました♪ 物理医療は、アンチマジック空間での使用のみならず、少なくともある程度は客観性の上で「記述」できるのが大きいですよね。 魔法は、設定凝ったところで、ブラックボックスな部分が残り。だから魔の法なのですが。 ちょっと話とびますが、記述こそ、死を超越する力。 そして文字を持つ文明が、もたない文明に優越し駆逐していったように、記述の客観性は普遍性となり、支配力となり、力は集権されます。 だから中世には、知識を寡占する教会が、在野の識字者を魔術師と呼び、火あぶりにしたりもしたのでしょうか。僧侶と貴族以外は本を読んじゃ駄目。民衆が本読んで知恵つけると、いろいろ気づくから。 パンとサーカスと焚書坑儒。 実際そんな仕組みには誰しもとうに気づいていても、つい微睡の中へ戻りたがるもの。 マトリックスの裏切り者サイファーいわく、無知こそ至福。 しかし微睡の世界には、そうした逃避的なものばかりで、ほんとうのことは何一つないのかな? そうであれば、全てのファンタジーは、その力を失いそうです。さてさて。 そのファンタジーの語の由来は、もともとギリシャ語で「目に見えるようにする」こと。 また中世後期のスコラ学者にとっては「知覚対象を精神の中で把捉すること」つまり、世界に自らを結び付けようとする精神の行為を意味したと言います。 おばけ屋敷いいですね。 どうですか?と聞かれて、ホフマンは冒険時代のごく実際的な答えしたり、可愛げない奴でしたが(笑)、PLもアトラクションおばけ屋敷は妙に好きでした。 まいとし近所の大きな神社の夏祭りでは、見世物小屋と並んで、おばけ屋敷の小屋が立ったのです。今はああいうの、あるんだろうか? 一度たしか小学6年の時、文化祭でおばけ屋敷をやりました。 いかにして人の心胆寒からしめん哉と、嬉々としていろいろアイデア出してダンジョンメイクを楽しんだ記憶があります。 なんか意外と効果あったのが「人間ホイホイ」と名付けたトラップなどで、何かと言うと、床にガムテープを、粘着面を上にして貼っとくの。踏んで歩くと、なんかべたべたする。しょーもない。 しかし暗闇で予期せぬ不意の感覚に、何だかわからず軽くパニるらしく、地味ながら崩し技としては。 粘着力保持のため、ちょいちょい貼り替えの要がありますから、床に直接貼るのでなく、あらかじめ段ボール板にテープ貼っておいて、それを順次サッと敷き換えたりしましたが、どうかするとカンジキ並みに、ばったばったくっついてくる(笑) イベントは、もともとハロウィンの時期だったそうですが、北欧の民間伝承の妖精トムテなども、かつては教会から異教の悪魔ともされながら、近代ではクリスマスや待降節の聖ルシア祭に習合されてるそうで。 トムテやニッセは屋敷しもべ妖精というより、農家の納屋に住んで馬の世話などをしてくれるブラウニー・ホッブ系ですが、そういったイメージも考え合わせるに、時期外れということもないのかもですね。 クリスマスには個人名Christの字がおもくそ入ってるので、自分はなるべくファンタジーで使わないようにはしていますが、まあ実質petitには定着してるところ、変に突っ張っても変ですが。かといってなし崩しに、平気で使い出すのもどうか。 意識はしいしい、使うことは使う、あたりが良心的、また妥当的ラインなのかもしれません。 もっとも、クリスマスもユールやミトラ祭などとの習合や、木を飾る風習などには五月祭のメイポールと同じく、ドルイド教との融合も見られます。 そういうふうに、宗教祭事も生き物で、さまざまな民間信仰と、かつ結びかつ離れ作られていくもののようで、半可通が下手に原典厨ぶるとむしろ矛盾をはらむこともあるものですから、日本での宗教色のないクリスマスの扱われかたのように、一般語として無意識的に使うのが、あるいはファンタジーとして正しいのかもしれません。 しかし考えてみれば、ムーミントロール達がクリスマスを知らなくて「なにやらクリスマスという生き物が襲ってくるらしい」と怯えたエピソードは、ちょっと皮肉が効いています。 妖精達にとっては、まさに自分達を住み慣れた土地から追い払う異端審問官がやってくるようなこととも。 しかし、そうして流れに吸収され、限りなく希薄になりながらも、トムテ人形がツリーのリースになったり、なんらか形を変えて風習の片鱗に残っていたりするのが、妖精の妖精らしいところなのでしょう。 なら果たして、ほんとうに記述の文明は、なにかに勝利などしたのでしょうか? そういうタームで語ることが可能な領域は、そう広くもないのかもしれませんね。 浜の真砂は尽きるとも、森に妖精の声は尽きまじ。 それは隠されたり吸収されたりしながらどこかに残っていたのが解凍されたのか、または車輪の再発明のように、別系統からよく似た形に集束したのか。 クリスマスを知らないムーミンのクリスマスグッズが作られ、何の関係かヤマザキ春のパン祭のお皿にされ、そんな風に勝手に扱われるのにも抵抗せず、世界のどこかでしたたかに息づく。 淘汰されたとされる妖精らの声も、繰り返したちあらわれるリズムのように、微睡の世界から打ち寄せては、いつも新たに子供たちの心に像を結ばしめます。 そうしたものは、むしろ決して敗れざる、したたかなものでもあるのかもしれません。 back ×
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