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::海洋考1.九月の海はクラゲの海

海の家でラーメンを出すのは、いかなる起源に基づくものなのでしょう?

先日の海水浴ロールでも、ついリアル世界の海の家メニュー事情を持ち出して少し触れてしまいましたが、いわゆるラーメンとか、おでんとか、カレーライスとか。
大衆食堂メニューと大差ない、集合無意識的、公倍数的な食べ物で、ならではの特徴というものは稀薄のように思えます。


「泳ぐとお腹へるし、がっつり飯でいいじゃん」とか、そういう話でないのです。
うまいのまずいの、お腹にたまるのどうのという実際的な話でなく、詩情がない。

例えば「ところてん」や「わらびもち」なら、夏ならではの風物詩に、これは強烈になるわけです。

遠く窓下を通るわらびもちの売り声が蝉と和す昼下がり。
また、ところてんなら小屋掛けの店で、よしず越しに日が差して格子縞の影を投げ、おやじがトンと突いて出し、それを一本箸で苦労しながら食べる間に、チリンとひとつ風鈴が鳴る。

と、こういう独自の「状況」が作る詩情、心象風景というのがあるでしょう。
ところが、何の問題意識もないまま海パン姿でカレーや味噌ラーメンをムサボリ食ってる限り、そうした境地は100年かけても出てこないわけですよ! なんの力説かわからんですが!




また、フランクフルトやかき氷のような、縁日の屋台のような食べものも、海の家にはありますね。
しかし縁日なら、粉ものや焼きそばはあれど、丼ものや汁麺類はあまりない。
食堂や家庭料理といったケの日常食とは差別化した、ハレの特別の感じがあるのでしょうか?

少しずつ品数楽しみたい、ということもあるかもしれません。縁日に来て、カツ丼かきこんで、それでお腹一杯にして、サクッと帰りたい人もあまりいないでしょう。

浴衣を汚したくないから、汁ものは喜ばれない事情もあるかも。浴衣でカレーうどん食べるとか、もはや行です。

歩き、立食になるから、という事情もあるかも。お祭りでも紅白の幕屋に座る席では、さざえのつぼ焼きやおでんと共に、ビールやお酒を提供するのがよい証拠で、こちらは海の家ともわりと近いメニューです。

それら、片手で持って歩きながら、かつ少量ずつたくさん、という状況に対応しての進化、また子供らが喜ぶようなものをと考えてか、こちらには「りんごあめ」とか「わたあめ」とか、ならではのものが豊富にあります。

また、海の家と同じく食堂メニューというなら、昭和の家族レジャーだったデパートでの買い物の締めイベントたる屋上の大食堂も、親子丼や盛り蕎麦もあれば、ナポリタンやオムライスもあり、かなり雑然として非詩的のように見えて、象徴的名物として「お子さまランチ」などがあるわけです。


海水浴もデパートも、ラーメンもカレーも粉ものも、日本に定着したのはこの100年かそこらのことで、時間的にはまず同じくらいなのに、海の家にはなぜ独自の食品や風物が発生するほどの文化的醸成が進まなかったのでしょうか?





さて、そもそもここで不思議に思うのが、ラーメン、カレー、デパートはともかく、なぜ海水浴が日本に根付いたのが、ここ100年そこそこなのでしょう。島国で、ずっと昔から海自体はあるのに。


レジャーという概念自体は、なくはなかったでしょう。庶民にもあまねく手が届いたかはわかりませんが。
お伊勢参りや熊野詣でのような巡礼も、弥次喜多を見てもわかるように、一種の行幸の性質を持ったといいます。
しかし遊びとしての山登りや海水浴が、近代以前にあったでしょうか。

物見遊山という言葉があるように、山に遊ぶということは、まだしもあったかもしれません。
山に桜を見に行くとか、落語の「愛宕山」でも、これは東京の低い丘ではなく京都の愛宕山だから900メートルの山ですが、そこでピクニックしてますから、行楽としての山登りの習いは、まだしも古くからあったのかも。
また落語で言うなら「骨釣り(野ざらし)」や「百年目」などで、舟を仕立てて船遊びの場面もありますね。しかし海水浴はどうも見当たらない気がします。温泉や銭湯など、肌を出すこと自体のタブー感は薄かったろうに。



海は親しむものでなく、恐れ忌むものであることもあるようです。
レジャー地のインドネシア、バリ島でも、元々のバリ人は泳がなかったといいます。
漁業や海亀猟もなくはないながら、一般にバリ人はあまり魚を食べないし、海を好まないそう。
バリ人にとって海岸は、夜、幽霊や悪霊のさまよう恐いところで、海岸にホテルが立つまでは、誰も近寄らなかったとも言います。

バリ島の祭儀に表れるのは神聖な「山側」と不浄の「海側」の対比で、海は汚物や灰や骨を捨てるところで、穢れであるとともに、死者の魂が清められ再生する場所でもあるそうです。
これはインドネシア東のリンディ族、セレベス島、ボルネオ諸族、モルッカ諸島のセラム島などにも同様の世界観があるようです。
ティモール島東部のマンバイ族は、多くの人が海を見たことがなく、海は形のない混沌の世界とみなすそう。ここでも死者は海に行き水に戻り、死は海と同一視されるといいます。


沖縄でも、魚より豚肉をよく食べたようですが、こちらにも海の彼方の異界の信仰があります。
ネイラ、あるいはニライは祖霊の住む国とも、稲の種もたらした来訪神ともいわれ、禍福両面を持っているようです。

海の彼方に異界があるという観念はギリシャにもあり、大地の周囲をオケアノスという大河あるいは大洋がとりまき、西の果てにエリュシオンという、神々に選ばれた死者の暮らす楽園があると考えられました。
また、沖縄でもギリシャでも、清めに海水を用いる習慣があったそう。


島国日本でも、このような海への異界視があったのでしょうか?
しかし、万葉集などにも海を美しいとする歌はあるわけで。だからといって入ろうと思わなかったか。少なくともレジャーとはとらえられていなかったか。
それで19世紀末に西洋人により海水浴が持ち込まれるまで、そういう習慣は少なくとも一般的ではなかったのでしょう。
そしてその習いが広まった、その時に同じくして広まったラーメンやカレーが、海の家の名物となったのでしょうか。
しかしそれ以上に深まりを見せなかった。

南洋諸族と比べて、どうにも日本の海水浴に対する感覚はシャーマニズムが足りない。変な名物を産み出すようなカルトな「状況」の限定が少ないのです。いや「海パン姿で物を食べる」という状況はすでにかなりカルトな感じもしますけど。
お祭りのようなハレの特別感がなく、逆に日本人にとって海は日常、普通過ぎたのでしょうか?

バレンタインデーにチョコレートを贈る日本カルトや、土用に鰻を食べる習いや、節分に恵方を向き寿司を食べる間口をきいてはならぬ関西カルトが、製菓会社や平賀源内やコンビニ戦略により定着したように、海水浴もひとたび旗振りが現れれば広まったにせよ、心の奥底のどこかでは「ワーイ海やー、で、だからなんなん」と思っているのかもしれません(笑)


ムーンライダーズの「九月の海はクラゲの海」のサビ歌詞によると♪everything is nothing  everything で nothing〜 との由。

平素朝から海苔といりこ出汁の味噌汁いただいて、あまりに海の香りがエブリシングに浸透し、日常的で空気のような存在だと、とりわけて目を止めての価値を感じないようなこともあるのでしょう。

それにしても海にまつわる世界観が民族ごとにかなりバラバラだったり、かと思えば共通したりする点は興味深いです。
それぞれの創世神話や死生観における、異界としての海の扱いなど、このあたり、ヨーロッパでは周囲を取り囲む森を異界とし、そこには妖精や悪霊が住み、また一方でドルイド達が樹木を神聖とした点に、いくらか類似していないでしょうか。異界考として、照らし見ていくのも面白そうです。
 

2017.09.02 (Sat) 18:14
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