日報 ブログ ::海水浴場にて(ホフマン) こちらからお願いして、せっかく海に来ていただいたのに、途中ちょっと突発的な用事でばたばたして、レス遅くなったり、なかなか集中できなかったり、失礼やら申し訳ないやらでした。 ワンピースの画像まで用意していただいたり、ありがとうございました!とても可愛かったです♪ ネージュさん泳げるの意外のようなことはなく、とろい印象はないというか、表情はくるくるとよく動くし、旅の時なども全体の流れの中で自分のやれることを探しててきぱき動かれたり、むしろとても機敏な印象をホフマンは受けてると思います。 無駄な動きやアピールがないから、おっとりに見えるのか。達人の所作が一見緩慢に映るようなこと? それに、いつだったか食べ物の好き嫌いの話で、少しずつ克服して今はたいてい何でも食べられる、ということをおっしゃってらした。小さい頃は小さいなりに嫌いなものもあったけど、そのままにしておかなかった訳で。泳ぐのももしかしたら最初苦手でも、克服されてるような気がします。 ピーマンとか、水に顔つけるとか、逆上がりとかに挑戦してる小さなネージュさんをつい連想します(笑) ホフマンは冒険者時代はあまり浮かれ遊ばなかったというか、海水浴やハイキングのような健全な遊びは、まあしなかったか。冒険者イメージとして、酒場でのたくってる方がらしい。 元から陰のあるタイプでなく、けっこう軽い人でしたが、冒険者が大なり小なり因果者なのはいわずもがなだし、セトウツミの台詞のように「心配せんでもそれなりにみんなそれぞれ不幸やから」てなもので、これもわざわざ表に暗さ出してアピールする手間はなかったか。 そう考えると誰しもで、冒険者を特殊なように言うのもやや恥ずかしい。酔ってる部分もあるのでしょう。 でも実際「冒険者になって一攫千金したい」というのを「ユーチューバーになりたい」とか「同人誌売って稼ぎたい。ここってそういう場所でしょ?」とやたら大量に刷ってコミケに持ってっちゃう感じの感覚で言っていいものか、とは。 いいも悪いも、最初そんなもので、それで失敗してもやめずに、うわ恥っず、まーあるわな、と反省・消化・努力しつつ、続ける人がそういうものになっていくのかと思いますけど、冒険者の場合、失敗したらもう死んでたりもするので、剣を取るというのはそう簡単な決断ではないのでは。 というか、気軽に始めた人は、当てが外れて早めにやめるか死ぬかして、結局は、そのようにしか生きられない者達が残るのが冒険者だったりするのかも。 と、そういう風に言うと、必要以上の陶酔的な要素も出てくるみたいです。 実際、魔物がバッコし、銃刀法はなく、回復魔法のある世界を想像するなら、そんな重々しく考えないものかもしれません。リアル世界の感覚を私が持ち込み過ぎてるのかも。 しかしあまりに丁寧さがないのもどうか。とはいえ深刻厨になりすぎるのもどうか。 自PCに対しては、安易なことはなるべくさせないよう考えながら、人にまで言うことでも気にすることでもない。というあたりですか。 まー言うてホフマンも私もてきとうですし← しかしそういう、冒険者の社会的な立場を厳しく描いた作品は減ってきている体感もあるかもしれません。 RPGでは16世紀ヨーロッパを舞台にした「混沌の渦」などが厳しいというかリアリティで。 冒険者という職業概念はないのですが、「肉屋」や「皮なめし職人」など細かく選べる職業のなか「傭兵」がいわゆる冒険者的なイメージに近いのでしょうか。 しかしこの傭兵の報酬は普通の職人の日当より少ないうえ「社会から見捨てられ、ほとんどの人から忌み嫌われ、距離を置かれています。誰も傭兵を信じようとはしません」となかなかの書かれよう。 実際、ヨーロッパの傭兵は戦争がなければ野武士・盗賊化するので、災厄のように扱われ、教会からも破門される例が多かったそう。 また「魔法使い」は、魔女狩りの対象になるので、表向きの別の仕事を持たねばならず、二つ修業するぶんスタート年齢は平均33〜34歳とやや遅くになるし、いざ魔法を使う時も、周りにばれないようにしないと、告発されて拷問行きです。 個人的にはこういうリアルで泥臭いゲームも好きです。 シビアなのや陰気なのがいいのでなく、明るい方が好きですが、かといって骨のないものもなあ。 システムや世界観の時点で、おちゃらけていいよと約束されたり、反対に暗さを同調的に志向させるものより、ゆるくはない世界を、プレイングのレベルで明るくというか、肯定的な生きざまを、とかがいいですね。 これ私も実プレイ経験はぜんぜん少ないのですが、超シンプルにして自由なシステム、16世紀に限らず世界観もコンバートしやすく、ほとんど勉強と工夫しだいのゲームのようです。 2008年頃から復刊やサプリメントの追加も行われてるよう。ただ日本語版はなし。 まあかつてのゲーマーは、やりたきゃ自分で輸入して訳してやってたといいます。 今も昔もそんな変わらない気がします。 よくマーケティングして至れり尽くせりに作られた、降ってくるコンテンツ浴びるだけでなく、自分で探してきたり、読み解いたり、作ったりする行為自体が、なにより遊びで冒険なのかもしれません。 ところで、北海道もですが、19世紀末にラッシュが起こったカナダのクロンダイク周辺などでも、今でも砂金を探して歩き回る男達が一定いるといいます。 観光客向けの体験コースや、採掘会社の調査員とかではなく、夏の間一人でやってくる。 採れるか、ったら時には採れるそうですが、一日川に浸かって、腰を屈めて洗鉱皿ゆすって、上がりは数百円ぶんとかゼロとか、そんなこともザラだそう。 でも来る。楽に儲かるからではなく。 割のいい投機より、そっちを選ぶ人々。 両側に針葉樹のせまる川に一人浸かって、夕暮れにかかる頃など、白夜に近いカナダの夏の空を見上げる時、どういった気持ちになるものでしょう。多少酔ってもしまうかもしれません(笑) back ×
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