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::森林考2.夜、盗賊達の夜

むかしの森には、盗賊が住んでいました。


ヴィルヘルム・ハウフの「盗賊の森の一夜」では、森の宿にとまり合わせた旅人達が、どうもこの宿は怪しい、森の盗賊の手引きをしてるのではないか、と怪しみ、今夜は警戒し、起きておく為に、順番に話をしていきます。

このあたり、ペスト禍を避けて立て籠った男女が、順番に話をする「デカメロン」と通ずるものを感じます。
ペストも盗賊も、中世を代表する災厄だったのかもしれません。
一歩外はその災厄が吹き荒れている。その中で身を寄せて、雪の日の炉辺談話のように、いろいろな話が口伝えに話されたのでしょう。


ちなみに同じ枠物語、巡礼宿の泊まり客が順に話をする「カンタベリー物語」の作者チョーサーは、ある日出かけて森の道で盗賊に財布を取り上げられ、出先でお金を工面して帰る途中、また強盗に会い、もう一度財布を取り上げられたそうです。一日二回。


当時の旅行は往々そんなことがあったよう。
1206年、コンスタンチノープルから帰る十字軍の一行は、北イタリアとアルプスで、それぞれからくも盗賊から逃れ、しかしリヨン近くのサン=ランベールで盗賊につまかり、聖遺物を差し出すはめになりました。
で、その泣きっ面も乾かぬ間に、そこから数里もいかないアンブルネで、また別の盗賊につかまり、身代金をとられたそう。クソゲー並のエンカ率です。

日本の江戸時代でも、旅は危険がつきものだったのでしょう、ふだん帯刀の許されない町人も、旅の間は護身用に長ドスの所持が許されました。


これら盗賊、追い剥ぎというのは大半が傭兵、野武士だったそうです。クトゥルフ・ダークエイジでも、山賊/傭兵は同じクラスデータとして扱われます。
傭兵は、さしあたり戦争がない時は、街道を通る旅人から奪ったり、辺りの村を荒らすしか収入源がありません。
取り締まるべく領邦君主は、いざという時の為に傭兵戦力を囲っておきたいですが、ひまだとそういう勝手な徴発をするので、適度に戦争を起こしておかねばなりません。
してみれば戦争も公共事業。というか、やってることは要するに、自分の領地の村から徴発するのでなく、別の君主の領地から奪うように仕向ける、矛先を誘導し暴力に方向性をつける、ということです。

というか、君主や騎士自身が、領地を旅する巡礼や商人たちや、時には領民から徴発、強盗を日常的に働いたそうです。それがひどいと、一揆、領民逃散、商人迂回、となります。
これは盗賊も同じで、仁義なきモグリがむやみに暴れると、縄張りを人が通らなくなり稼ぎが無くなります。
法人税をとりすぎると企業が国外流出するようなことですか。

むやみに残虐さをアピールしたがるのは素人かシマ荒らしで、その業態では後が続きません。
客足が遠退かないよう、また睨まれ過ぎて追討の手がのびないよう、しかし貰うものはしっかり貰う、というシノギの工夫や仁義のルール作りがなされます。
かたぎに対しては財布は盗っても殺しはしないとか、単に刃物や銃口を突き付ける野暮天ではなく、物腰優雅な強盗紳士だったり、盗みでなく運賃をボる箱根の雲助のようなのだったり、旅人に無理矢理飲食をすすめてボる森の暴力バーだったり、これ読んだ時つい笑ってしまったですが、色々なことを考えるものです。

一定の保護料、通行税だけ取るみかじめの形もあります。通行者としてはそういう森ではチンピラは出ないし、君主に税を払って軍を出して貰うか、護衛を雇って自衛するより、その方が低コストなこともあったでしょう。


教会は、そうした徴税権もなく徴発する盗賊や君主を破門し糾弾することもありましたが、教会自体が盗賊や暴君と結託していることもあります。
イノケンティウス3世の書簡によると、ボルドー大司教は野盗に襲撃箇所を指示し、分け前をとっていたといいます。
これも、領邦君主が他国に徴発対象を振り向けたのと要するに同じことでしょう。


しかし傭兵/盗賊を食べさせるために戦争が起こり、戦争に備えるために傭兵を囲わねばならないとは、卵か鶏かマッチポンプか、なんやら解りませんが、徴発/強奪の対象は最終的にいつも生産者です。
しかし飢饉の度に、生産者の中からこそ盗賊が生まれもすることになります。


中世の災厄といえば、盗賊や戦争やペストもですが、もっと恐ろしいのは飢饉でしょう。
例えばフランス11世紀では、飢饉の年が48回。常態だったよう。
飢饉が意味するところは、貧乏やみじめな暮らしということでなく死ですから、それを逃れるには、あるところから取ってこなければならない。そして災禍が連鎖します。

やがて普及した農業改革により、生産性はぐっと高まりました。
しかしそうすると人口が増え、結局食料は足りなくなり、盗賊や戦争も増えます。

要するには「土地(土壌資源)が扶養できる人数を、人口が上回った時に暴力が発生する」という式が、一つごく単純には書かれるでしょうか?



そうして発生した盗賊、野武士は、捕まれば簡単に死刑でした。
なので一度盗みをすれば社会に戻ることなどは考えないので、固定化します。
実際に、中世どころかシラーの「群盗」の18世紀半ばでも、まだあちこちの森に100人規模の強盗団がぽこぽこ居たものが、19世紀頃から犯罪者の人権を見直し簡単な極刑を廃止したところ、盗賊はずっと減ったとも、一説にはいいます。

日本でも江戸時代では人別帳をはずれた無宿人は、社会の人数に数えられず、なので帰れない彼らは集まり、いわゆる渡世人や博徒と呼ばれるやくざの独自世界を形成しました。

そして国定村出身の忠治親分が赤城山に立て籠ったように、ロビン・フッドと愉快な仲間達はシャーウッドの森にひそんだのでした。



そうした中から力をたくわえ、やがて地方を実効支配し豪族となり、進物と姻戚を駆使し貴族となっていく者が出ることもあります。ノルマン朝を開いたウィリアム征服王は、数代前まではバイキングです。というかどこの王朝も最初の成り立ちは通常そうなのでしょう。それでは後が続かないですから、善政を敷くことが望まれてくるのですが。

そのウィリアム一世が施行した「フォレスト・ロー」という法律があります。

森を表す英語のwoodとforestですが、現在ではforestの方が規模が大きく、うっそうとした森のニュアンスを持つようです。
これはforeignと同語源ともされ、「外」を意味したとも言います。まさに森を異界とする感覚でしょうか。

しかし、この中世のforestは、ノルマン朝以降の王侯のスポーツ狩猟の狩り場として指定された森林を意味したようです。

このフォレストでは、王の獲物を領民が勝手に狩ってはいけないし、獲物の住環境保持のため、木を伐ってもいけないことになりました。
施行初期にはとくに厳罰が科され、鹿を殺した者は死刑、または腕を切り落とされました。
農民にとって鹿は害獣ですから、ほっとくわけにはいかないのに。
また、農家の犬が鹿を追って殺さないように、犬の後ろ足の腱を切って飼うことが定められたりもしたそうです。
農民達に、いかにフォレスト・ローが悪法とされ、見回りに来る林務官(フォレスター)が憎まれたか、想像にかたくありません。

だから、ファンタジーで「森の番人」といえば、木の上から弓を向けてくるシルヴァン・エルフのような排他的な種族や、ロマサガ1のクローディアの様な木々や動物と心を通わす優しげな人を連想もしますが、実際の「森番」というと、貴族のスポーツ狩猟の為に森を管理する司直の手先として、村外れの森の小屋に一人住む、嫌われ者のへんくつ親父だったりしたのかもしれません。


そのフォレストにあえて入り込むのが、アウトロー、法の外なる無法者たち。
アウトローというのは単に法を破る者でなく、公的に「今後は法の庇護を受ける資格なし」と宣告された無宿人のことで、アウトローなら警吏でない一般人でも捕らえて私刑で殺してよいとされました。

しかし法の庇護の外に置かれた彼らは、なら法を遵守する義務もないことになり、逆説的な特権とも言えます。
そして法により手厚く守られたフォレストに逃げ込み、王の鹿を思うまま狩り、フォレスターを襲ったことから、自分達の村も略奪の目にあってるのにもかかわらず、民衆からひそかな人気があったりもしたよう。

もっとも、あるいはこれは喉元過ぎてのことでもあるかも知れません。最悪の害獣たる狼ですら、絶滅した地域では一種の郷愁と共に語られたりもするように。
司馬遼太郎のモンゴル紀行で、狼を見たいと言うと、現地の人は「狼がどんなだか知らないくせに気楽なことを。あんないやらしい物はありませんよ」と言ったものでした。
しかし現在のモンゴルポップスを見ると、狼をモチーフにしたものや、歌ってる足元でなんか狼がうろうろしてたりする映像もありました。好きなん嫌いなん。森に対しての畏れと信仰が半ばするように、アンビバレントな感情なのでしょう。


ともあれ、アウトロー・マレイやアダム・ベル、ロビン・フッドがバラッドに歌われるようになったのもこの頃からのようです。

ロビンのバラッドに
「俺たちはこの森のヨーマン(自由民階級)
 緑の木々の下に暮らす
 たつきの道はただ一つ
 王様の鹿に手を下す」
というくだりがあります。フォレスト・ローへの恨みが明確です。

ロビンは100人を越える屈強の盗賊を従え、悪代官や悪僧をこらしめ、富める者より奪い、貧しい者にほどこす。
むろん虚像で、義賊が盗んだ金を民衆にばら撒いても、その賊の討伐隊の編制や被害の補填にかかる臨時税の上乗せの方が常に高くなるので、現実に義賊というのはふつうなかなか機能し得ないと思うのですが、素朴な体感として中世民衆の心情が求めた英雄像とは、そうした想像の結実を見せたのでしょう。


ロビン・フッド伝説というのは民間伝承らしく正伝のないもので、地方や時代ごとにばらつきます。
活躍した時代が、リチャード獅子心王の頃だったり、エドワード長脛王の頃だったり。
出身も、平民だったり、伯爵家だったり。
場所は、シャーウッドの森だったり、バーンズデイルの森だったり。

その時々に暮らす人々の気持ちをロビンに仮託、投影して、いろんな像が結ばれたのでしょう。それは空想による抑圧からの解放で。
だからキリスト教の抑圧にも、ロビン達は歯向かいます。
単に蓄財家の悪僧をこらしめるだけでなく、異教とされる古い土着信仰、例えば森から伐り出した木を広場に立ててリースで飾ったメイ・ポールの周りで踊る五月祭や、木で作った巨人ウィッカーマンを燃やす夏至祭の象徴として、伝承によっては半ば夏の森の妖精のように描かれることもある緑衣のロビン・フッドを、教会のノモスと対置する、森のカオスの王ととらえることもあったよう。

ちなみにD&Dのアライメントでも、ロビンはカオティック・グッドの代表例とされたりします。また例えばゴッサムシティの悪人を私刑にかける非合法自警団のバットマンも、同じカオティック・グッド。
政府とのパイプも持つ正義の味方スーパーマンはローフル・グッド。
してみれば、ロビンにこらしめられるヘアフォード司教やノッティンガムの悪代官はローフル・イービルとなるのでしょう。

面白いのが、カオスの王たるロビンと、ローの王たるエドワード一世が意気投合し、森の中で弓くらべして殴りあったり、緑衣に着替えた王と一緒に食事して大笑する話が多いところ。そこで供される肉は王様の鹿である、というあたりに民衆の屈折した笑いがあるのでしょうが。

ここに、誅されるイービル属性は、あくまで代官や悪僧などの中間搾取者であって、法の源泉たる王様自体はけっして悪くない、と信じたい民衆の心情が表れているかのようです。

そして中間の代行者を飛び越えて、王様に直接声を届けたい、届きさえすれば王様は解ってくれる、という願いは、遠山の金さんでも水戸黄門でも暴れん坊将軍でも見られるように、お忍びのエドワード一世が変装して森にやってくる、という形をここではとったのでしょう。


そしてここで民衆が望んでいたのは、王とアウトロー、教会と自然信仰、そのどちらか一方の勝利や併呑ではなく、その和合。単なる法秩序の破壊でなく、その止揚した先の秩序だったのでしょう。森がそのすべてを混ぜあわせる。
もっと素朴には、トリックスターたるアウトローを通じてとりもたれてはいるにせよ、王が自分達のところへやってきて、日ごろ勝手に触れられない森の獲物を囲んで、樹下の宴席で気軽に杯を共にしたい、彼らが望んだのはそうした秩序だった。と考えると、なんとも切ない、涙の出るようないじらしさです。
王を信じ続けた結果、100年戦争下の重税と、ペスト禍と、税だけ取って略奪からの保護もしてくれない放置っぷりに、我慢の限界を迎えた農民達が、イギリス側にワット・タイラーの乱、フランス側にジャックリーの乱を起こし、それらが共に悲惨な結末を迎えることを知っている身からは…



そして、彼らが描いた王様像と盗賊像、ロビン一党もエドワード王も、遊び心にあふれ、いつも陽気に笑っています。
しかしあるいは、裏返された孤立感情も、やたらに笑う彼らの後ろに、隠されてはいないのでしょうか。

ロビン・フッドの伝承は、いつも夏の生気あふれる森が舞台で、冬の暮らしは出てきません。
真夏の夜の森の妖精パック、またの名ロビン・グッドフェローのように、笑いさざめくトリックスターであり、五月祭の王ロビン・フッドの理想化された姿からは、意図的に省かれた部分があるはずです。

人里を離れ異界の森に暮らす盗賊のケの日々の様を思う時、そこに浮かぶのは「山賊の歌」にあるような凄烈かつ清冽な孤独感というか、野田知佑の北カナダの原始林に囲まれた川旅エッセイを読む時の、ピリピリと肌を刺すような孤独感というか、そうした一種の遠い憧憬の感覚をも呼び起こす質の、孤独と自由でもあるのでしょう。

むかしの森には、盗賊が住んでいました。

夜、風が立って木々の葉ずれのざわめきが通り過ぎ、近く遠く鳴き交わす様々なフレンズ達の奇怪な声に包まれながら、盗賊達は何を思っていたのでしょうか。
そうした一種プリミティブな恐怖と孤独と自由への思いも、盗賊の森に託して、民話のファンタジーの中に、ひっそり織り込まれているようにも思えてしまうのです。
 

2017.09.13 (Wed) 07:06
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