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::森林考1.光の中で みえないものが

やや忙しくしていて、街道の旅3のイベントまとめ記事(「依頼」の頁)作らなきゃな、と思ってるうちに、一ヶ月たってログが流れはじめました。
ならまあ急いで書くより、このまま流れるにまかせ、手が向くのを待つとしましょう。

内田百けんは、阿房列車のような紀行ものでも、旅行中はメモや写真をとらなかったそう。帰ってしばらくして、記憶が抜けるところは抜けて、自分の中でこなれてから筆をつけたといいます。

そのひそみに倣って、とひとまずの言い訳にして(笑)


正直今の興味として、あの地図を見ていると、ロールで描写言及されなかった部分、森の生活に想像が向いてしまいます。あの森にはどんな木が立ち、どんな人や生き物が住んでいたのでしょう?




そもそも古代から中世ヨーロッパ風世界といえば、何より「森」によって特徴的に連想される世界かもしれません。
かつてのヨーロッパは森の王国でした。

とにかくまず、今と比べものにならないほど森林面積が大きかったそう。
ドラクエ的なフィールド感覚では、ベースは草原で、森林はウワモノのように思ったりもしますが、むしろ基本空間を森が占めたとも。



「ヨーロッパは今日よりも暗くひんやりとし、ひっそりと静まり返っていた。気候のせいではない。巨大な原生林が、果てしもなくヨーロッパを覆いつくしていたからである」

「今日とは正反対に、森が空地を、木が人を、夜の世界が昼の世界を支配していたのが中世であった」

「森は緑の海であった。ひとつづきの村や畑、未耕地、そして町は、森の海に囲まれた島であり、島国であった。中世ヨーロッパ世界は、点在し、散在する無数の島国より成り立っていた。航路がひらかれて島国と島国が結びあい、あるいはひとつに融け合って大陸となり、海を分断し、包囲して池に変え出したのは、17世紀以降のことである」
(堀米康三編 「中世の森の中で」より)



「森に対するヨーロッパ人の感覚は、近世・近代に入ってからずいぶん変化した。現代英語でwildernessといえば荒野、つまり草がまばらに生えた、砂漠に近い不毛地を意味するが、本来は「野蛮な土地」を指し、16世紀ぐらいまではむしろ森を連想するのが普通であった」
(川崎寿彦著 「森のイングランド」より)



「ダークエイジを通じて、温和な気候のおかげで、荒野、山の頂上、および地中海の低木地を除いて西洋は一つの広大な原始林に覆われていた」

「当時の人々は基本的に森林居住者であった。彼らはどこででも森を見ていたし、どこで歩いたり馬に乗ったとしても森に踏み入れてしまい、途中で道に迷うこともしばしばだった(地図とコンパスはまだ発明されてない)」

「キーパーは探索者が森を通り抜けなければならなくなるたびにプレイヤーが神経質になるように、できるだけ工夫をこらすべきである。日が暮れてからは森を恐れるようにさせなければならない」

「森の不気味さを強調する。手つかずの原始林や、においや、進むことの困難さや、寒さや、雨や、孤立感を描写しよう」
(シュテファン・ゲシュベルト著 坂本雅之 中山てい子訳 クトゥルフ神話TRPGサプリメント「クトゥルフ・ダークエイジ」より)




農業改革と人口増加により、これらの森はだんだん切り開かれていったといいます。
中世ヨーロッパに限らず、もともと文明化とは農耕定住化のことです。
そうして定期的な収穫と富の蓄積を可能にし、余剰生産の発生により、直接の食料生産以外の役割に従事する者を養えるようになり、専門分業化が進むことです。
そして扶養人数を増やすには、他民族の土地か産物を奪うか、森を切り開きそこを耕地化することになります。この開墾はまずは焼き畑だったでしょう。どちらも人間にもたらされたプロメテウスの火による業だったわけです。


そうした文明にとって、森は手つかずの沃野でもあり、恐れるべき原始の闇でもあったでしょう。
それは文明人の鉄斧と火によってやがては征され、法と教えの光によって啓蒙(エンライトメント)されるべき野蛮の世界、またはコンプ根性から未攻略のままで置いてはおけない領域だったのかもしれません。

異教の神や、ドルイド達の自然崇拝は、どんどん森の奥へ追われていきます。
そうしてそこに、キリスト教的なノモスの光が照らす表の中世史のなかで語られない、森の闇のピュシス、あるいはカオスが息づきます。
そして森には狼や隠者や盗賊や野蛮人や、幽霊や妖精や人食い鬼が歩き回ることになります。民話的なファンタジーの想像力は、むしろいつもそちらの方にこそあったのかもしれません。


あるいは森に追いやられたまつろわざる民や、失われゆく森の擬人化投影こそが、エルフやドワーフやゴブリンといった像への結実だったのかもしれません。
それは「畑を耕す者」定住農耕のカインが、「羊飼い」移動遊牧民のアベルを殺したところにあらわれる文明人の原罪意識にも似て、森の中の亡霊のごとく、繰り返し立ちあらわれてくるものとも見えて興味深いかもです。

進歩への楽天主義と、破壊の罪悪意識との乖離をうめるべく要請され発生してくるのが、ファンタジー的な想像力ともひとつには考えられそうです。あくまでもひとつには。

一方で、そうした宗教的罪悪意識による人心のこの支配からの卒業を訴えたのが理性による「啓蒙」でもあったわけですし、ノモスの人為こそが闇で、原始の自然こそが解放であることもあるのでしょう。
人間理性をたからかに称揚した啓蒙主義の時代の後で、ロマン主義の詩人達が現れてケルトの森の妖精達のことをうたったように。

そうして原始の森への想像力は、思わぬところに顔を出す竹の地下茎のように、または数百年を種子の姿で過ごす蓮のように、通奏底音のようにありつづけ、時と場所を得れば顕現し、得た時と場合により、それは妖精だったり、妖怪だったり、山姥だったり、小人だったり、巨人だったりもするのでしょう。

読書時間の捻出しだいながら、ちょっとその辺りのことを、調べたり考えていってみたいですね。
さしあたって、ドルイド教の資料とかあたってみるべきでしょうか。
それより文化史的なやつかな。まあマイペース不定期で!
 

2017.07.22 (Sat) 18:49
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