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::卵と鶏と世界と物語と兄貴と私

なんでか最後の地図上げるの忘れてましたね。さっき更新してきましたー。

さて街道の旅3お疲れさまでした!

特にこちらから戦闘や謎解きのようなシナリオを用意することはしなかったですが、それはまあね。
紋切り型自体は嫌いでないのですが、お膳立てされた冒険らしい冒険の受動とは、本来的にもっとも非冒険でもあるわけですから。
それに、商業作品やってるのでもないので、エンタメ先行な作りにしないといけないわけではない。
それより商業で出来ない部分に視線を向けられることが、清いアマチュアリズム(?)としての同人活動の美点です。PBCを同人活動って言うのも変ですけど。


もともと小学生の頃ファミコンRPGにふれ、システムがどうのストーリーがどうのより、いつも「この世界の人らはふだん何食ってるん」とかが気になったものです。
だからTRPGに触れた時、装備品のリストがまず楽しかったです。武器や防具や薬草だけでなく、背負い袋や、毛布や、水袋や、火口箱や、調理器具や、ランプ油など、冒険の暮らしを想像できる旅のアイテムがちゃんとルール化されていて。

商業コンピュータRPG作品ではカットされる、そういう部分をやる意義もあるのでないかな、ということが一つアタマにあります。
いや、意義とかのおためごかしはなくとも、単に私はそういうのが楽しいのでしょうね。


だからヤマなしオチなし意味なしでよし。
いや、ヤマやオチがあるならある方がいいのだろうけど、充分条件であって必要条件でない。
ヤマありきで強引に世界の方を曲げたのではご都合で、本末が変。
世界(本)がしっかり想像できれば、そこにシナリオ(末)は自然に、無数に生まれるはずです。
市壁のない村は、盗賊にみかじめを払っているのかもしれない。
山を通る道は、かつて山城があった名残かもしれない。
と。



ただ、シナリオが本で、世界が末という向きもあるのでしょう。
ドラマやバトルを先に考えて、その舞台を後から整えるという。

想像の遊びというのに、いくつかの方向があると、いったん仮定して。
ひとつに、現実にはできないようなことを、想像の世界でしたい。行為優先。
ひとつに、現実にはない世界の像を、リアルに考察し浮かび上がらせたい。世界優先。

例えば「スペースオペラ」は、考察よりアクションとロマンスを優先しヤマに据えた娯楽作品のこと。西部劇メロドラマ(ホースオペラ)から、拳銃が光線銃に、幌馬車が宇宙船に道具立てを変えただけと、昔はSFのサブジャンルとして蔑称的な意味があったそう。
今やそうしたスペースオペラものこそが「SF」と呼ばれるようでもありますが、元々はSFは考察の遊びです。ハインラインは、SFはサイエンス・フィクションでなく、スペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)だと言うわけで。
SFオールタイムベストでも、必ず「アルジャーノンに花束を」が上位に入る。光線銃や電光剣は出てこなくてもSFです。

ちなみにファンタジーも今はソードオペラ的なものを指す語ともなっていますが、剣と魔法と怪物は出なくても、ファンタジーと呼ばれるものはたくさんあります。「モモ」や「トムは真夜中の庭で」なんかも名作ファンタジーです。


未来科学技術のある世界を想像するのがSFなら、魔法技術のある世界を想像するスペキュレーティブ・ファンタジーもできるでしょう。

けれどファンタジーはある意味で考察より直観の優先、その許容でもあります。
デイブ・アーネソンは、ウォーゲームの厳格なルールと考証に嫌気がさして、ファンタジーRPGを発明したともいいます。

自身ハロルド・シェイ物語などの作者で、「ヒロイック・ファンタジー」という語を作ったド・キャンプは、それを指して
「読者はこれによって、現実世界を逃避し、夢想の国に遊ぶことができる。そこでは全ての男が強く、全ての女が美しく、全ての生活が冒険であり、全ての問題が単純といえる。そして誰一人、所得税、学業放棄、社会医療制度について語ることのない世界である」
といくらか彼一流の皮肉もこめてか、そう述べました。


ファンタジーへの指向は、そうした一種の単純さ、プリミティビティへの回帰願望を含むのでしょう。
でもそれなら、シンプルな暴力の世界だけを意味しなくてもいいわけで。シンプルな生活への回帰でもいいので。
それは、何食ってるか、それがどう生産され、どう運ばれてるかが見える世界ということでもあります。

現代日本に暮らす私たちは、そういう過程が見えにくいことはあります。過程が隠されてるのでもあります。
そこの隙間を考えるべく、なろう小説などではファンタジー異世界に現代知識持ち込んで無双したり、武器や食べ物や文化を考察し、再現したりする過程を描くものが溢れています。少年ジャンプでもそういうのが始まってるあたり、時流の反映ですかね。
そして、そういう過程の空隙への感性もまた、直観に他ならないのでしょう。考察と直観は、互いに排除しあうものではありません。
街道の旅3も、あるいはそうした試みに一種通ずるものでもあったのかもしれませんね。


しかし、異世界なろうで、醤油作ったりするのはあるそうですけど、丸美屋ののりたま、あの振りかけの。あれ再現してるやつとかってないんですかね。成分表示に「こしあん」ってある、だからどこに使われてるん、という。あの謎にいどんだ冒険者はいないのでしょうか(笑)



あとちなみに、カンパニエ地方への地図情報は、以降に持ちこさない方がよいでしょう。
ロールで言及するくらいならともかく、フリー場所への登録などはよくないと思います。

ペティット周辺地形の確定につながる恐れがあるというのは、例えば「私の中ではペティットの北側は街道なんかではなく海だ」とイメージを持たれている方もあるかもしれませんし、そのそれぞれが尊重されるべきということです。
じゃああれは何だったのかといえば、イベント特有の不思議空間だったのでしょう。
私もご都合主義で世界をねじ曲げとるわけです。すみません(笑)
 

2017.07.02 (Sun) 05:51
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