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::エルムクリーク牧草地にて(ホフマン)

14日、ネージュさんと。

ホフマン誕生日は5月7日で、これは最初から設定していたのだけど、どうもうちのPCはその辺みんな淡白です。

もっとお祝いやプレゼントねだった方が相手しやすいかもとは思いますが、なにかそういう感じにならなくて、ご面倒おかけしてます(笑)
けどお気持ちが嬉しいのは、100%そうなのです。PCに代わって、ありがとうございました!




ホフマンお祝いやお礼を苦手がるのはだんだん治ってくると思いますが、優しいと言われると、いやいや全然、と思うのは謙遜ではなくそうです。
彼の優しさや厳しさは平衡感覚のようなもので、レッチリ言うところのパワー・オブ・イコーリティの見えざる手に従っているだけのことなのかもしれないと思ったり。
だからホフマンも場合により結構キツいこともあるかもと思うのです。逆に自分で自分に厳しい方には、優しくなるのが道理で。


またあるいは、優しさとは効率化なのかもしれません。
ものごとの価値判断の規準として「それが残るものか残らないものか」ということがあります。
そしてたいていのことは過ぎることです。辛いこととかあんまり覚えてないものです。時間が恨みや痛みやらを洗い流して後、残るものは優しさです。どうせ後に残らないものに気を割いても不経済です。

まあこれは論証になってなくて、私個人が記憶力弱いか、能天気なだけかもしれません←
世の中には何代にも渡り冷め遣らぬ遺恨から戦っている方もあるのだし。
しかし、怒りや恨みの発露の底にある気持ちは、人に優しくされたいだけだったりすることは、なかなか多いのではないでしょうか。なら面倒な手順踏まないで効率化してもいいようにも思えます。



そういえばルトナも4年前の洞窟イベントのエピローグで「残るのは優しさだ」とそんなことを言ってたのでした。または「黒馬物語」に出てくる馬丁の台詞にもいいのがありました。以下引用。
「誰でも、自分の宗教、思想、哲学についちゃ、好きなだけしゃべるがいいさ。だがもしその思想が、人間や動物にたいして思いやり深く、親切にしろって教えるんでなかったら、みんなにせものだよ。ものごとが、裏も中も見られ、ありのままに値踏みされる時がきたら、そんな思想はたちゆかないよ。」

直観的にはそうだろうと思います。
ただ上記の台詞だけでは、なぜそれが偽物でたちゆかないと断じられるのか、論証されていませんし、臥薪嘗胆のような恨みこそパワーみたいな反論もあるのでしょうけど、まあだからそれは途中段階の話で、パワーも復讐も用が済んだら過ぎることです。
士郎正宗の「ドミニオン」で、悪者が捕まり戦車隊が解体された時、署長がレオナに「しょせん力は力 いらん時にはいらんのだよ!! うひょひょひょひょ」と言ってました。
だいいち臥薪嘗胆とは、ほっとくと恨みを忘れるから、忘れないように無茶する話で、忘れるのが普通で自然と言ってるようなものです。


私は何でも力学ふうに考えがちな癖があって、エントロピー厨なところあるんですが、残るとか過ぎるとかも力学現象として、より確率の高い状態への移項と考えるなら、怒りや争いは攪拌による移項の促進であり、熱対流のような現象かもしれません。怒りや恨みの構造化があった方が、優しさという平衡への収束が早まるわけです。
「まおゆう」では「世界にはいつか不必要になるために必要なものがある。それは子供の外套のように。それがなければ冬の雪にやられて、私達は成長することができなかった。でもやがていつか、脱ぎ捨てなければならない日がくる」とも言っていました。


だから、過ぎることなら最初から考えることはないと、中を飛ばして直結してしまうのは、確かに変なことではあるのでしょう。
残るか過ぎるかの結果はともあれ、結果に至る手順というものがあります。

内田百けんが「忘却論」だったかで、詰め込み教育のすすめのようなことを言っていて「とにかく詰め込め詰め込め、詰め込んで詰め込んで、試験が終わったら忘れて構わない」とのこと。
ものごとを覚えてる間ではなく、それを忘れた後に残るのが判断力というもので、しかしまず覚えてもないことには忘れることも出来ないから、勉強する意味など解らないでよいから詰め込め、というようなことでした。


だから、最終的には優しさが残るとして、優しさを残すためには、それ以外の嫌な感情も好き嫌いなく食べとくべきなのかもしれません。
ただ、ある程度構造は見えたのなら、もうその辺でぐずぐずしていなくてもいいかなー、とも思います。
一種のご都合主義でもありますが、現実では手を差しのべられない問題や、立場が複雑化して何もできない問題だってたくさんあるからこそ、ファンタジー世界でくらい、つべこべ言わずに人には親切にすればいいし、その先に何かがあるなら、それをこそ見てみたいものです。


だから仮にホフマンが優しいとしたら、それはそういう、中をすっ飛ばすズボラな思考、というだけではなかろうかとも思えるのです(笑)
見ようによってはこれはなかなか乱暴なことで、もっと考えてみてもいいはずです。

飛ばして考える癖というか、PL私、推理小説でもガンガン最後から読みます。そういうのええから犯人誰やねん、と(笑)
PLとホフマンは性格似てない気もするのですが、そういうところで出てたりするのかもしれません。
ちなみにPLは妹います。そういう意味ではネージュさん名推理でした(笑)




あと、馬の名前はアンドレ・ブルトン、アントナン・アルトー、本棚のそのあたりから適当にとったのですが、ブルトンは馬の品種名でもあるので避けて、じゃあアンドレ(あだ名は人間山脈)(あるいは一人民族大移動)(たてがみチリチリ)にしようかとも考えましたけど、ブータンを経てブーツィに。
後付けですが、ブーツィ・コリンズではなく、ブーツからとった名前としましょう。
鹿毛の馬は足先が黒いです(そこから白ソックスのこともあるようですが)。その足の黒毛が長靴のようにくっきりしているのですよ、きっと。
 

2017.05.23 (Tue) 06:34
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