日報 ブログ ::森にて(ホフマン) 5日、覚草さん、ネージュさん。 気付かれたくない、気付かれたい、覚草のいじらしさ。人の気持ちとそう変わらないものかもしれません。 ともあれ動物でも植物でも魔物でも妖精でも、ファンタジー生物の生態を考えるのは楽しいです。 どう環境に適応し、何食べてるのか気になります。 けどやりすぎると細かくなります。 気をつけねばね。 例えばファンタジーRPGは、ウォーゲームから発展したものですが、ウォーゲームの厳格なルールに疲れ、それに反逆するものでもあったようです。(RPGの創始者の一人、デイブ・アーネソンのWikipedia記事によれば) 兵器や戦史に詳しいオタクの細かさに対して、もっと自由にやろう、と想像上の生物や舞台を用意した試みがはじめだったかもしれません。 しかし自由が過ぎても、マンチキン天国になったりしてしらけますから、ファンタジーゲームも時間とともに段々ルールや世界設定が細かくなっていきます。それが煮詰まると、また自由化の波が来て、簡易システムが作られたり。 その一連は力学的なものなのでしょう。 なら、自分は自由派か緻密派どちらのタイプとか、今は時代がどちら寄りかなどの対比は、一定以上の意味はないのかも。 ロマンなきリアルは窮屈ですし、リアルなきロマンは自分勝手です。 その中間にいいバランスがあるというより、相互関係なのなら、どちらかを知ることは、また一方を知ることでもあるのでないかな。 なら、ものごとを突き詰めて考えることは、立場をたがえる誰かのことを理解することと同じにもなる。 ちょっと生態系の話みたいです。 べつにまっこう臭いことを言うのでなく、自分が生き残ることを考えるなら、他者(環境)を考える方が結局はよいのではないかな。自分の為は必然的に他者の為に収束する。なら為という係数はいらなくなる。 囁草に仏心を感じたのは、優しさ云々というより、ホフマンにとって考えるとはそもそもそういう性質を持つことなのだと思います。 しかしあの時「寄生獣」思い出しました。必死に生きようとする後藤にあわれを感じながら、シンイチは決断する。好きな場面です! さてところで、いつもながらネージュさんがたいへん愛らしかったです♪ 対してウンコ連呼など、ホフマンがふてこくなってて、調子のんなと思います← ホフマンが囁きに怒りふつふつしてる時に「自分の方が冷静だろうから」と道を注意していただいてたり。 ホフマン、それに直接気づけてないのかもですけど、どこかしらの気遣いの空気を感じていると思います。 街道の旅の時なども、自分に今出来ることを見つけてやってくれる感じがありました。 先日「何もしていませんのに」ともおっしゃってましたが、そうしたさりげないフォローを、きっととても頼もしく感じてるのです。 さあホワイトデーどうしましょう。最後あのソイヤッソイヤッってなんでしょう(笑)爆笑してしまったけど(笑) 当方日程調整中で、無理ならクリスマス時のように置き逃げするかもですけど、お誘いするかも。 リアルでも何かとお疲れもおありかもしれない時に、たびたびお呼び立てしてますが、よかったらマー気分転換にでもしてってください! back ×
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