日報 ブログ ::ナルネヴィル・イエロウにて(ホフマン) 1月8日昼、通りすがり(シシムラさん)さん。夜、たくさん! 馬車半日というのだから、数十kmの近隣での紛争状況を、PCホフマンの気持ちとして、無視というわけにもいかなさそうです。 実際には、関わる機会はPL時間的にまずないのですが。 かといって、この日のように考察独り言してても、思想誘導じみるかもしれずで悪いです。 なので関わり方は難しいですが、難しいなら考え甲斐があるともとれます。どうせ無視ができないのなら、なんとか前向きに考えてみたいところではあります。 夜はシシムラさんのレス蹴ってしまってたことに後で気づきました。アンカーなぜ見えなかったかな。すみません。m(__)m 会釈だけになってしまった方も、またまた。 ユベルティさんとは確か2年半ぶりくらいですかね。 ルトナでも相当前に、冒険の終わり方のような話をさせてもらったことがあったと思います。うちの者ではリタとルトナが生涯現役組。ヒュイゲンとホフマンが引退組。 ホフマンの場合ロマンや名声を求めてというより、ごく実際的な経緯で冒険業していたわけだから、運よく生き残り身代が出来れば、止すのが当然でもありました。いろいろそれだけじゃないけど、単純化して言えば。 しかし一方リタやルトナが、それぞれ落ち着く機会がなかったはずはないのです。しかし今の形を選び続けてきた。 選択はどこまでもただ選択で、どちらが正しいとか意味のない話、仮に自分は正しかったのだと思いたがった瞬間、もうそこに判断は足を取られてる。 だから冒険者は多くを語る必要はないのだろうけど、だからこそ必要とかと関係ない地点で、冒険者は気楽に語るのでもあるのでしょう。 あと、すみません毎度こまかい話のコーナー。 一般名詞としては修道女はnun 修道士はmonk 托鉢修道士はfriar。 でしたか。 修道女さんが自分で自分のことを「シスター」と言ったり、司祭さんが自分で「神父(ファーザー)」といったりするのは、医師や教職員が自分のことを「先生」と呼ぶようで変ではないかしら? 私もとくに詳しく知らないので、別に変じゃないのかもしれないのですが。 いいのだけど、気づいてて注意しないのも悪いようで、どうしたものかかねて困惑していた件です。 イエロウの黄道院でシスター・エリルさんに、とうとう面と向かって言われてしまったので、いちおうの提言まで。 また騎士修道会とか観想修道会とか托鉢修道会とか、形もいろいろあるようですが、一般的には修道士は、修道誓願をおさめ、修道院で修道生活を送る人です。聖職者の徒弟ではありません。 東方教会では修道士から司教になることはあるそうです。司祭にはなりません。修道司祭にはなるかもです。 むろんそれらはリアル世界のキリスト教の話ですから、ファンタジー世界の宗教でも制度や用語が同じく適用できるべきだと考えるのは変です。 だから本来気にしなくていいのですが、まあアレンジするにも元を知っていて損にもならないでしょうし、というあたりで、おせっかいながら。 back ×
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