日報 ブログ ::デイズ・オブ・ワイン・アンド・エール・アンド・ローゼス 映画を見直すと、躍る小馬亭の看板以外にも、英語はたくさん見つかりました。 ビルボの地図。誕生会の横断幕。ゴンドールの書庫の文書。ファラミアの地図。赤表紙本。 原作もめくってみると、そもそも看板に字は書いてないくて、後ろ肢で立つ白い小馬の絵だけ。「躍る小馬亭、バーリマン・バタバーの宿」と白い字で書かれているのはドアにです。 こういう字のない看板は普通だったでしょう。 時そばに「ありゃ屋号かい? 的に矢が当たってんだね。なんてんだい? 当り屋ってのかい」というのがある、あれは絵だけ描いてるのでしょう。識字率の問題などもあったかもしれません。 板だけが看板とも限らない。樽と錨亭さんなどもそのようです。 中世ヨーロッパでは、きづた(アイヴィー)の枝をほうきのように房にしたものや、輪にしたものを掲げることが酒場宿のサインになり、こうした看板をブッシュと呼んだそう。 酒神バッカスの冠がアイヴィーです。ローマ時代からの習いだそう。 ホビット庄、水の辺村にも村道沿いの旅籠「つたの枝館(The Ivy Bush)」があります。最初にハムとっつぁんが粉屋のサンディマン達とビルボの話をしてる場所。 転じて看板や酒場自体をブッシュとも呼ぶ。 シェイクスピアに出てくる「良酒に看板はいらない」ということわざの、看板の原文はbush。 またシェイクスピアでいえばロンドン、イーストチープの「猪首亭(Boar's-head Tavern)」という酒場が出てきます。猪が看板だったのでしょう。 またホビット庄水の辺村には、つたの枝館以外に「緑竜館(The Green Dragon)」がありますが、ロンドンにもOld Green Dragon Innという有名な宿があったそう。 この竜や猪のような各種の印章も、看板によく使われたそう。 他にセイレーンや一角獣、鷲や熊、司教杖、花、手袋、荷車、冠、菩提樹、車輪、秤、チェッカーの市松紋様、など色々なものが旅籠の屋号になったそうです。また聖人や東方の三博士などの屋号が巡礼宿で多く見られたとか。 ところで上述のボアズヘッド・タヴァンとオールド・グリーン・ドラゴン・イン。ロンドンの二軒の酒場ですが、インとタヴァンに別れている。 訳では同じ「〇〇亭」でも、原語は違っているのでしょうか。 ファンタジー作品から例をとれば、 ◆the○○ ・躍る小馬亭 The Prancing Pony ・緑竜館 The Green Dragon ・銀鰻亭 The Silver Eel ◆tavern ・ギルガメッシュの酒場 Gilgamesh's Tavern ・青蛙亭 Blue Frog Tavern ◆inn ・五竜亭 Five Dragons Inn ・憩いのわが家亭 The Inn of the Last Home のように。 他にサルーンやパブも見かけるでしょうか。おおまかにそれぞれの特徴は、 ・タヴァン ギリシャ語の「食堂」由来で、基本食事と酒のみ。と言われるけど、インとの差はそれほど明確ではなかったとも。ボアズヘッドにも客室はあったようだし。 ・パブ パブリックハウスの略。祭や市の催しもの、地域の集会などは教会が主催するものでしたが、宗教改革以来、それらは民間の酒場が引き受けていたようです。 元々はインやタヴァンやエールハウスなども含む広い語だったのが、19世紀ヴィクトリア時代以降、イングランドの大衆酒場の意味として落ち着いたそうです。 ・サルーン フランス語の「客室」由来。西部劇に出てくるスイングドアの酒場など。 これもパブと同じく酒場、宿、娼館の機能の他に、住民の集会所、行商の販売所、政治家の演壇、巡回牧師の説教場、葬儀会場、病院としても使われたようです。開拓地にはまずサルーンが立つものだったよう。 ・イン 宿だけど一階が酒場。 15世紀頃に成立したインの基本的な空間構造としては、通りに面したインの正面に、馬車ごと乗り入れる入口があり、そこをくぐるとインヤード(中庭)で、このまわりに二階建ての建物が取り巻きます。この二階が旅人の部屋。奥にもう一つ中庭があり、そこはうまやと倉庫になっています。 中庭では旅芸人が芸を見せ、二階客室が見物席になり、おひねりが投げられる。この楽団をノイズとも呼んだとか。エリザベス時代頃にかけてこうしたイン・シアターも盛んだったそうです。酒場と宿と劇場もいっしょになってた。 イギリスでのこうしたインの隆盛には、ヘンリー8世が修道院を解体させた影響もあるのでしょう。 旅人の宿と酒づくりの役割を果たしてきた旧教の修道院がなくなったので、世俗の宿がそのかわりをしました。 それでパブリックハウス的な役割もあったし、またチェッカー盤が看板だったりしたのも、酒にはゲームや賭け事が付いてくる物だからということで、遊戯場でもあることを示しているわけです。とかく酒場が多機能だったよう。 そこで飲まれていたのはワインやエール。 あとはりんご酒(サイダー、シードル)、なし酒(ペリエ、ペリー)、ラズベリー酒(ラスプ)とか。 この頃のエールには、まだホップが使われていないと思うので、苦味がなくて今と違うのでないかな。そのかわりスパイスやハーブを入れたものも多かったよう。 蜂蜜酒に胡椒などのスパイスを入れたものが「メシグリン」 「クラリ」と呼ばれたのは、蜜と胡椒と生姜をワインに入れたもの。 「ゴシップカップ」は、1ポットルのエールに半パイントのヒポクラスを混ぜたもの。ヒポクラスとは、シナモン、生姜、胡椒、クローブ、ナツメグ、などを6日間ワインにひたしたもの。 それらを片手に、シェイクスピアの猪首亭では泥棒も王子もいっしょくたに飲んでいました。だいぶファンタジー酒場くさい頃でしょうか。なんだか色々楽しげです。 17世紀になると駅馬車が巡らされ旅行者が増え、やがて宿にランク差も明確になってきます。 18から19世紀、囲い込みや産業革命により、農村を追われてきた賃金労働者で都市人口がふくれ、スラムが形成されると、彼らはジンを飲みました。 フランス革命後のパリでは、飲食店がいっきに以前の数十倍にもなったそう。都市人口が増えたのと、貴族のおかかえだった料理人が放出されたのと、誰でも店を開けられるようになったからと。 そうして段々に、現在の酒場や料理店や宿の形に移行細分化していったようです。 ファンタジーゲームやセッションでは、酒場は冒険が始まる場所であることが多いと思います。 情報取りや、出会いもだけど、仕事も酒場で探す。今は仕事は冒険者ギルドで受けることも多いようですが、その辺りがよく整理されてきたのは、MMOなど以降のことではないでしょうか。 少し前には、盗賊ギルドや、魔術師学院や、僧院や、職人組合はあっても、冒険者ギルドというのはあまり聞かなかった。 そもそも冒険者というがひとつの職種のように扱われだしたのは、ソードワールドなどの国産RPGからではないかなという説も。 それ以前のRPGでは「アドベンチャラー」とは、単にプレイヤーキャラクターを意味する用語としてルールブックで使用されていたようです。クトゥルフTRPGでいう「探索者」ですね。 ウィザードリィのテキストなどにも見られて「冒険者の誰もその扉を開けられなかった」とか言われる、あれはPCの誰も鍵を持ってない、という意味で。 またアドベンチャラーとは、場合により蔑視のニュアンスを含む語だったようで「山師」「やくざ者」くらいの感触でしょうか。山師とは探鉱師ですが、転じて一発当てようと投機的な仕事ばかりして、地道な労働をいとう者のことも。 それがソードワールドあたりから「冒険者の店」というのが出てきて、そこで職業冒険者が集まるようになる。 この冒険者の店というのが要するにインなのですが、冒険者向けの依頼を斡旋もする。 主に口頭で、亭主に手頃な仕事はないか聞くと、あんたらの腕ならこの辺はどうだ、とかこんな噂を聞いたよ、とマッチングしてくれる。 あるいは依頼主自身が酒場を訪れ、請負人を見つくろう。冒険者はそれと交渉する。仕事を受けるというより発生させる。「いいシノギあります」なんて貼らないでしょ。 店内のクエストボードに、単純な護衛依頼などの求人票が貼られていたりする直接の描写は、記憶の限りではバブリーズ編にありましたけど、これは多分もっと古いものがありそうです。 ハンター×ハンターやフォーチュンクエストなど、職業冒険者の試験や免許がある世界観も多くありますが、反対に決して組織に与さない者が冒険者たることもあったのでしょう。ファファード&グレイ・マウザーや、梅宮辰雄の不良番長シリーズや。 そしてそうした彼らが今日もみこしを据えるのは、組合や協会の会合でなく、なじみの酒場の片隅だったりするのでしょう。 そのあたりの関係やなにかも、また少し考えてみます。 back ×
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