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::シェイプ・オブ・マイ・クラブ

前頁のつづき。ペティットなにも関係ない指輪オタ話です〜



原文が手元や図書館にないので、中つ国wikiで質問したり、海外サイトで調べてみたりしたんですが、やはりアングマールの魔王の武器は、flailやmorningstarではなくmaceのようです。

これは混同ともいえなくて、「メイス」の語は、時にフレイルやウォーハンマーも含めた殴打武器一般を指す名詞ともなるようです。つまりフレイルもモーニングスターも広義のメイスに含まれる。
なので映画の解釈はおかしい、とかそういうことではないと思います。


「剣」が形状ひとからげに使われるのと同じようなことでしょうか。
むしろ、一般小説の文体の中に「剣」でなく「バスタードソード」とか「シャムシール」とか個別的な語が出てくる方が、なにかライトノベルみたいで変かなと。
話の舞台が三銃士なら細身の剣を想像するし、シンドバッドなら反り返った刀をこっちで想像するから、細かく断りいれず「剣」でいいでしょう。
指輪物語で「モーニングスター」とか表記出てきたら、なにか違和感かな。


maceを鎚や棍でなく矛にしたのも、たいへんな誤訳というほどでもないでしょう。金棒としたら鬼みたいだし。鉄棍としたらなじみないし。矛は長柄形状以外の武器にもあてられる、けっこう正体のない語ですので。
メイスと片仮名のままで表記するのは駄目です。
シンダール語やクウェンヤはともかく、英語の名詞は自国語に直すようトールキンから翻訳の指示がありますので。
こなれてない横文字を使いたい衝動は、元々封じ込められてる。
「原文ファンとしてはRedhornが赤角山とか、Striderが馳夫とか、Stingがつらぬき丸とか変だから片仮名にして」という井辻朱美さんの指摘が、指輪ファンから非難されるいわれです。



ところで指輪世界でのメイスですが、アルダ最大の悪であろう初代冥王モルゴスの武器も「グロンド」の名のメイスでした。

また映画1の冒頭、サウロンが現れた時の武器もメイスで、一振りごとに同盟軍を吹っ飛ばしてます。

対して、モルゴスに挑んだフィンゴルフィンの武器はリンギル(剣)。

サウロンに挑んだエレンディルが用いたのはナルシル(剣)。

また、アラゴルン二世のアンドゥリル、トーリンのオルクリスト、ガンダルフのグラムドリング、ビルボとフロドのつらぬき丸などは、全て剣。

悪者はメイス、いい者は剣、という図式が浮かびあがります。


件のアングマールの魔王と戦ったのも剣。
とどめを刺したエオウィンのものは普通のローハンの剣でしょうが、その前にメリーの持つ「塚山出土の剣」が効いて無敵解除してました。
この剣は魔王に滅ぼされた北方王国アルノールの、ドゥネダインの手による作で、対ナズグルの呪文が施された因縁の剣でした。

ホビット達がこれを手にしたのは塚山丘陵の古墳で、そこは三つに分裂した北方王国の一つ、カルドランの遺跡。
メリーがこの時カルドラン王の亡霊と接触しており、救い出され目覚めた時、イタコ並みにアングマールへの怨みを喋りだす。
こんな旅の初期から、メリーがカルドランの剣でアングマールの魔王と戦うことがほのめかされていたとは、初読では普通なかなか気づかないんじゃないかな。
追補編やシルマリルの物語読んでから再読してゾクゾクっとなる箇所です。

これは映画ではエピソード削られて、普通の剣になってしまってました。残念ではあるけど、仕方ないとこですね〜



などなど、ことほどさように剣とメイス対決です。
けどタロットの小アルカナのスートでは、棒は素朴な意味を象徴し、剣はこわい意味が多いとかも聞きます。

というか、映画上だとだいたい悪者の方が鎧面積率高くて、こういう装甲厚い相手にこそ、剣よりメイスが効果的です。彼らは互いに武器交換した方がいい(笑)

なのに、なぜこのような現状になってるのか。
剣の方が格好いいと思われるからでしょうし、メイスの方が悪役ぽいからでしょう。

これは、そういう風潮というか慣例というか伝統があるのは、感覚的には判ります。
それが何に端を発するのかは、民俗学的にか興味を覚えるところだけど。
しかし「主人公は剣」って、なにか「女の子はロングじゃないと」と決めつけるような感じがして、どうかなと(笑)
自分で考えた上で「やっぱりそれが好き!」なのは自由だし、変に奇をてらうより紋切り型が大切なこともある。
けど思慮を容れず自明の常識とするのは、太宰メソッドのように主語の拡大をしてる不当さとか、試金を経てない論理の脆弱性をはらむものです。


判官贔屓のような気持ちもあるかも。
スリングやメイスや、活躍が正当に評価されてない連中を持ち上げたくなる(笑)
なんでそんな武器の人権活動やっとるのかわかりませんけど、知らずに看過されてまかり通っていくことに、ちょっと目を向けたい気持ち。
声高に世の風潮を正したいとかでなく、それでも地球は動くとぽつりつぶやくような。それでもメイスは強い。
もっとくだけば、本来そこにあるはずの物や事実や評価や論理や感情や、何かが抜けてるような感覚と、その幻を追うような気持ちですか。ファンタジーの発生と同じことです。
 

2016.09.30 (Fri) 18:23
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