日報 ブログ ::教会の丘にて(ホフマン) 4日、スヴェートさん。 聖水瓶ふりまわして云々は、ダンジョン飯2巻にそういうのあって引っ張られたんですな、今思えば。あれはゾンビでなく霊にでしたが。 3巻出てましたね。イケメンかませパーティの扱いがひどい(笑) 話題いろいろ。 生命の定義。 普通には代謝と自己複製と細胞構造の三要素を満たすものですけど、代謝は要するにエネルギーの入出力変換なら、アンデッドも魔力なり人肉食なりの入力を運動エネルギーに変えてるので代謝みたいなものだし、霊体でなければ細胞構造もあるでしょうし、噛まれたら感染して自己複製するし。アンデッドもわりと普通の意味で生命の条件を満たしてたりするかもしれませんね(笑) 石や水の言葉。 アニミズムとかオカルトな話でなく、考え方の異化、相対化の体操みたいな風でも、そんなことは言えて。 記憶のキーになる何か景色なり匂いなり音なりってあるものです。いまの時期なら夕立の水の匂いで小学校のグラウンドの水撒きを思い出すとか。これを言葉だと言えば言えるということ。 記憶は脳にあったり手癖にあったり、自分の体の中で持っているのかもだけど、メモリーだけあってもドライブないと走らない。 この場合、水の匂いがメモリーに当たるかドライブに当たるか分かんないですけど。いやこの例えはよくないか。 音や匂いや、外部刺激で記憶が再生されるのなら、我々は記憶をネットみたいに外部保存しているともとれる、の方がいいかな。 または全部頭で持ってたらすぐメモリー足りなくなるので、外に株分けする。 道のすがらにそれらに触れる度、頭はそれらを読み込んでるか解凍してるだけで。 記憶の外部化。忘れないようにメモとって言語化したり記号化したりしてバックアップ。名前をつけて固定し分類する。 それで名前がついて概念化すると、独立して構造化がはじまる。 それを言葉というなら、水の匂いなり石の感触なりに外部化された記憶だって、まあ言葉みたいなものでしょう。 だから何かを見る時に、そこには像だけでなく言葉が二重映しのようにして流れている。普段それを無意識に処理してるんだろうと思ったりします。 何を見ても何かを思い出すとか、全てのことはメッセージとか、ヘミングウェイやらユーミン並の感想。 スモールソード。 やっぱりあまり研ぎ込んだ刃はついてないみたいでした調べたら。 刃の断面はV字とか「く」の字型とするものもありますが、長田龍太の資料だと「三角形の辺が内側にカーブしている」との記述。これどういうこと。かえるの水掻きか、こうもり羽みたいなことですか。スティレットの三角形とも違うよう。 史実武器と、創作物の影響などで変容したロマン武器と、混同は常のこと。どちらが正しいとかではもちろんなく。 例えば同じ「大剣」という字面から各々思い描くイメージなど、結構ズレあるのじゃないでしょうか。 実際のスコットランドの両手剣やドイツのツヴァイハンダーの刃は、薄くてみょんみょんしなるし、水平に構えれば自重で刃先が垂れるそうで、従って刺突にはまず向かない。創作物ではあまりそんなグニャリとしたイメージなくない?私も聞いた時へえと思いました。 こういうのも言葉。受け取る者によって結ばれる像は様々。その中で手探りして会話するのだから大変ですし、面白いものです。 と、いうあたりで、いちおう論旨めいたまとまりがついたかな?(笑) back ×
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