日報 ブログ ::川にて(ホフマン) 増水した川が妙に好きというのは、PL子供の頃どころか今でも好きです(笑) そうそう、水が引いた後、倒伏した草が流れの方向にそってるの、油絵具の筆致みたいで不思議な感じあるんですよね。 プラスチックごみなんかの漂着物がうち上がったりして、ちょっと無惨な感もあるのだけど、とりようではそれも一種の味でしょうか。 しかし時間配分考えずちょっと細かい話になってしまいました〜。 それでリミットで、最後イヴの件のみ何とかお伝えして落ちてしまい。 ほんとは以前と変わってるショールを誉めたりとかしたかったのだけど。別に最初に言えばよかったのに、なにか考えすぎてタイミングを逸したというCL共々の駄目っぷり…(笑) そんなホフマンにかけられたお言葉とロールのお優しさ。どんなに支えになることでしょう。 おあいてありがとうございました! ソレユに水を飲ませる時の「照り返しに眩しそうにするその横顔を軽く撫で」という描写が、なにげないようでとても印象的でした♪ 最後らへんホフマンが言ってた「表現できなくても、心の中では生き生きしたところのある」云々というのは、つい2、3日前に観た「ジェイン・オースティン 秘められた恋」にそんなような台詞があったのです。 登場人物に、ボサーとして冴えない人がいて、しかし機微には疎いが実はなかなか骨のある方だったと後に判明する。そのくだりがちょっとよくて。 ちなみに後半ハンプシャーからスコットランド方面への駅馬車に乗る場面がありました。 4頭立てで、車内と屋上合わせて10数人乗れそうだったかな。 とちゅう車輪がぬかるみでスタックして、乗客も手伝ってみんなで押す。 こういうことはよくあったようで、冬は雪のぬかるみで街道はまず使い物にならなかったとか。 駅にて「20分で馬を交換します」と馭者が告げ、その停車中に乗客は手洗いに立ったり酒場で一杯飲んだりして休憩する。 などなど、はからずして駅馬車システムの資料を得られてしまいました。 映画観てて、たぶんこういう場面の細部もホフマンやってなかったらその視点が無くて、特には意識せず流れてたはずだから、面白いものです。 視点の有無というか、例えば住宅街を歩いてて、ひょいと猫が顔を出す。それに気づく方とまるで気づかない方というのがあります。 一度そう思って見ればそこらに結構ひょいひょい居るんですけど、猫という概念がないと、視界のどこかに同じく映ってるはずでも、意識が拾い上げず見えてない。 ということは自分もどこかでそうなはずで、普段どれだけのことを気づかずに零してるか。 考えると恥ずかしいようですが、なべてそうしたものかもしれません。 だいいち猫にしてみれば、あんまり気づかれたくないかもしれない。 人にしても、何事もよく気がついて、それはいいのだけど、流すかどうか。気づいたことを逐一表しちゃう方だと、話してて気ぶっせいで疲れるようなことなどもあるかと思います。 だから近所の家の猫も、毎日同じくらいの時間に通る私を、多分認知はしてるのだけど、内気そうな様子でもあるので、チッチと二度舌をならして通りすぎるのみにとどめてます。 奴に私はなんだと思われてるんだか。本当はオラー!つって構いまくりたいんだが(笑) back ×
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