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::膨らめ! アザトさん

「バイバイクスリ」トピ表題を拝見して、ひみつ道具バイバインを想起。直ちに類推直観、
「おお、人類に残された謎 "栗まんじゅう問題" にペティットの冒険者がついに挑むか!」
そんなわけありませんでした(笑)




ところで神々の総帥にして混沌の中心、盲目白痴の魔王アザトースの正体は、例の青いネコ型ロボット君にバイバインをかけられて増え続ける栗まんじゅうだ説が、一部アンサイクロペディア辺りでささやかれているようですが、いつからアザトさんはそういう挙動になったのでしたっけ。
エンターブレインのクトゥルフ神話TRPGルールブックによると、アザトースは召喚時に必ず機嫌取りの下級神を(1d10-1)体、つまり0〜9体連れてきます。アザトースがイライラ怒り出す確率は1戦闘ラウンド毎に(100-下級神の数×10)つまり10〜100%。
機嫌を損ねアザトースが怒り出すと、その体が膨れあがり、1戦闘ラウンド(数秒〜12秒)ごとに攻撃範囲が50m、100m、200mと倍々になっていき、それが無限に続き、触るものみな滅殺すとあります。気まぐれに飽きて去って行く確率は各ラウンド(10-下級神の数)%。


ラヴクラフトの小説でそんな倍々描写はなかった気が。
クトゥルフ神話体系というのは一種のシェアードワールドで、色んな作家が書いているのですが、膨らむアザトさん像も他作家かゲーム独自の設定でしょうか。

Wikipediaによると「図解 クトゥルフ神話」にアザトースは「膨張と収縮を繰り返す」という文言があったとされています。この「膨張」という辺りに示唆があるようにもとれるけど、これ新紀元社の図解シリーズだし、他作家設定やゲーム設定の初出年を分けずに、ぶっ込んでまとめてるんじゃないかな。

私も正直ラヴクラフトの小説それほど覚えてないのです。初出どうだったか自信なく。確認しようとさっき本棚調べたら、全集の6と7友人に借りぱくされたままでした(笑)
それほど身を入れて読んだわけでもなかったのでしょう。なぜかクトゥルフは昔から「ライトオタクの一般教養」みたいな空気があり、じゃあと手に取って、まあぶっちゃけ何言ってるかよくワカランなと思いながら←、なんとか頑張って読んだりしましたが、思えば妙な修行でした。読書とは得てしてそうしたものです(笑)

ふた昔ほどかつてのRPG界では「戦士Cやるならコナンぐらい読め」などの教条主義(?)的な言説はよくありましたし、その辺今より体育会系だったのかも。
どうかな、本質的には変わらない気が。
単にコミュニティが小さくて、海外幻想小説クラスタとRPGクラスタが、以前は未分化だったのでは。
「ファンタジー」という分類自体SFのサブジャンルでしたし。
あと早川や創元のSF文庫の勢いがあった時期の問題など。

原典派と動画勢の衝突も、クトゥルフ性の違いというか単に世代ギャップに見えるし、昨今落ち着いてる気配でしょうか。
クトゥルフプレイヤーで実際に小説読んだ人って確かに必ずしも多くないのでしょうけど、単にクラスタ分離とも。
スカンジナビア神話やアルスター物語群の神格やアイテムの固有名はゲームでよく使われてメジャー化してきても、エッダやサガ自体がかつてより読まれるようになった訳ではないのと似ています。

昔から「邪聖剣ネクロマンサー」みたいなのもあったですし。
88年PCエンジン、byハドソン。モンスター名にクトゥルフ神話の固有名流用してるだけで、内容は特にクトゥルフでもなかったという。ラスボスがアザトさん。私はロミナ入れる派でした(余談)


ナルニア流宗教ちゃんぽん世界で、アイテムやモンスター名のみの神話からの引用は多いのですが、神話に説得力の担保を期すのでしょうか。または単にアイデアやイメージの拝借もあるのでしょう。そうした中で神話や妖精学の変容していくのはいつものことです。

アーサー王物語にしても11世紀ノルマン朝時代と15世紀チューダー朝時代とに、それぞれ王権の正統性を示す目的で使用されましたが、それぞれの世相や装備を反映して内容が変わっているように、神話は世につれうつろうもの。



アザトースの変遷も世につれたものだったのではないかな。
ビッグバンやインフレーションの初期宇宙モデルは、1937年没のラヴクラフトには知りえなかったはずです。でも1920年代にはフリードマンやルメートルの動的宇宙論や、ハッブルの法則は発見されていたので、宇宙が永遠不変ではないことは知っていたかもしれません。だから当時考えられた魔王アザトースは「無限の中核の不定形の黒い影」だったのかも。
1946年にビッグバン理論が出、65年の宇宙背景放射の発見により同理論が支持されるに至り、人々の宇宙観が劇的に変化していくにつれ、後の作家がアザトースに膨張の性質を与えたり、「暴走するエネルギーそのものである」「宇宙はアザトースの見る夢である」というような設定を与えたのは、科学のパラダイムと連動しての変化とも見えます。
さいきょうの魔王の姿は、その時その時での宇宙観を反映してアメコミ並にリブート変化してきたのかもしれません。

SFやファンタジーはいつも自由でいながら、いつもその時の自分から見える世界のなんらかの反映や延長やカウンターを含みもするのでしょう。

さて先日重力波も観測されたことだし、今後また多くの発見により、人々の宇宙観も変化していくでしょう。その時SFやファンタジーや魔王達は、どんな姿をとっているのでしょうね。
 

2016.05.13 (Fri) 20:08
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