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::フラクサス共和国にて(ルトナ)

昨日10/6がドムの日なら今日10/7はトナの日。敬称ふくめてトナさんの日なら10月73日という時空の狭間に。でひさびさ更新の筆をとりました。アップ時は8日付になっちゃいましたがー。

また10/7はエドガー・アラン・ポーの命日ということでミステリー記念日だそうです。
しかしふと思ったですけどポーは慣例的に「エドガー・アラン・ポー」と三つ名前で呼んで、ミドル抜いて「エドガー・ポー」とか「エドガー・A・ポー」とかあまり言わないし「E・A・ポー」と戦前のパルプ誌作家みたく表記するのはあまり見ない。
というかなんでパルプ者はああいうイニシャル2つ表記が慣例だったのでしょう。E・R・バロウズ、C・A・スミス、R・E・ハワード、H・P・ラブクラフト、C・L・ムーア、E・E・スミス、A・E・ヴァン・ヴォクト、etc. 流行ってたのでしょうか。
もしくは翻訳だしてた創元や早川のなんらか方針か。ハヤカワとか、クライトンしかりムアコックしかり「マイケル」じゃなく「マイクル」にこだわってましたし。
ボブのマーリーかマーレイか、カートのコバーンかコベインか、アレンのウディかウッディか、ジョージのハリソンかハリスンか、みたいな枚挙にいとまない片仮名表記問題。
ジョージは両方あるけどどちらかというとハリスンが優勢でしょうか。 しかし同じHarrisonなのに「ハリスン・フォード」というのはあまり見たことない。今調べたらWikipediaのトピック標題でもジョージはハリスン、フォードはハリソンに分かれてますね。
またベーカー街221B管理人さんはハドスン夫人、ハドソン夫人、両方あるけど、ハドスン湾とか聞かない。なにゆえだ。ミステリーです。
しかし当方知らないだけでハドスン湾表記あるかもしれません。
先日もジューダス・プリースト略称は普通「ジューダス」だろと思ってたら「ジュープリ」と略す人いらして軽く驚くというか虚を突かれました。
驚きがあったということは、前提観念があったということで、それはいずれ恣意的、慣例的なもの。固定することないし、固定に反抗することもない。




さて、ミステリーではないけどルトナが謎かけやってました。ああしたリドルはおとぎ話やファンタジーには付き物ですね。
最近なら映画もやったホビットの冒険におけるビルボとゴクリ(ゴラム)のなぞかけ戦などがまず浮かぶでしょうか。
あれ交互に謎をかけあって負けたら食べられるというのだから命がけです。

また謎かけは競技や遊戯であると共に、深く祭祀や学問にも関わります。
ミリンダ王とナーガセーナの問答。またはソロモンとシバの女王の謎かけ。禅宗には公案、またその禅問答のやりとりを演じる法戦式などありますね。

古代インドのヴェーダ文学には事物の起源や宇宙の原理についての知恵比べや問答が多くあるそうです。
古ノルド文学でも、オーディンとヴァフスルーズニルが事物の始源などについて。またトールとドヴェルグのアルヴィースが事物の呼び名について知恵比べしてます。ちなみにこれは決着つかず時間が過ぎ朝になり陽をあびたアルヴィース石化という、トールキンのトロルの元ねたですね。
これらの問答合戦は神聖な、つまり危険な性格を持つので、賭けの質は命であることも多いです。



してみればリドルも戦闘。
RPG的な文脈でリドルと言ったら、扉を開くパスコード探しやパズル、宝の場所を示す詩文の解読のような、セッションのスパイスを指す要素としてふだんとらえられてますが、その構造自体はもっと遍在的なものなのでしょう。

ゴーレムのコアの位置探させるとか、ワーウルフは銀の武器で与えた以外の傷はすぐふさがるとか、ジークフリートは背中の一点しか当たり判定ないとか、ゾーマは光の玉ないと無理めとか、フリーザは超サイヤ人じゃないと倒せないらしいけどクラスチェンジ条件が不明とか、アングマールの魔王は人間(man)にはワイは殺せんでとか吹いとったらwomanに破れるとか、特定の倒し方や条件が設定されてるのを探るのも言ってみれば戦闘のリドル化でしょうか。
能力バトル漫画なども、やってることは謎解きですし。それとあとは覚醒フラグなり超必ゲージなりOSR値なりで積んだリソース消費してロマン砲撃つ作業と、おおむねこの二軸で戦闘段階進んでいく感でしょうか。


しかしなぜかくも物語やセッションには謎が必要なのか。
ゲームのようにランダマイザーによる運の介入や、分岐による意思決定の介入がなく、直線展開しかない小説や漫画作品では、謎解き要素やマスクデータないと、初期値を与えた時点でただちに最後まで解が見えてしまう決定論的消化試合になるからでしょう。

未必性によって成り立たつ現在というのが、すなわち遊びの時間なのかもしれません。



しかしそんな硬直したものでもない気がします。
ちなみに私は謎や筋のネタバレにあまり神経質ではない方というか、ミステリでも何でも平気でじゃんじゃん最後から読む派です(笑)
コロンボとか古畑任三郎とか、先に犯人わかってるいわゆる倒叙物ミステリというのもあるわけですし、ホラー映画だってホラー映画と謳ってる時点で怖いのわかった上で観てわざわざ怖がるのだから、一種の倒叙みたいなもので、知る順序はどっちだって、それが「遊びの時間」として成立するかどうかに関して本質的な問題じゃないのでしょう。

そして物語やセッションに「謎」とともに付き物な「迷宮」は、そこから自然に要請され現れてくる構造にも見えます。(つづく)(かも)
 

2015.10.08 (Thu) 01:25
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