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::雪山にある街「スヌーハーヴ」にて(ルトナ)

アスピデの時に出て植木等うたったはずですから、だいたい3ヶ月ばかりのごぶさたでしたか。皆様いかがお過ごしでしたしょう。ルトナは相変わらずのデタラメ詩人です。
じつは山下達郎の例のやつの替え歌がふと浮かんだので、あれ言いたかって出ただけでした!!!!(元気いっぱい)

パーティーあるとは知ってたんですが、ダンパだというのは抜けてて、入ってから気づくという。なら前もってダンス曲のねた用意してもよかったな。
急ごしらえでカントリーにありがちな牛飼いの娘さんとかでっちあげ。クリスマスにどうかとも思ったですが。
そのあと歌ってた「ユールクラップ」というのはクリスマスプレゼントのことですが、歌はダヤンのわちふぃーるどのヨールカ祭の唄のぱくりでした。ワニのイワンが好きです(照)



ヨールカはロシア、ユールは北欧他でそれぞれクリスマスを指す語になってるとこありますが、ケルトのハロウィンのように、もともとユールとはキリスト教が入ってきて教化される以前の冬至のお祭りといいます。
だからユールクラップと歌うと場合によりちょっと異教感が醸される感もあるわけですが。

しかし逆に現実のキリスト教を明示させる表現はどこまでいいのかも。クリスマスとかバレンタインとか完全に人名やしナ。
この辺りは毎度悩みどころです。いわば漫画表現における「毎朝新聞」とか「集英組」とか、そういう問題ってあるでしょ(笑)
クリスマスと言わず「降誕祭」とぼかしてらっしゃる方もあるようでしたが、まあ日本と同じくクリスマスや聖バレンタインデーは原典を離れたところで一種の市民権えてる感じだし、このあたりナルニア流というか和製CRPG的に宗教チャンポンとゆるめに解するのが穏当でしょうか。
というかこうした変容は、当今バハムートが竜で定着してるようなもので、元々妖精学や怪物史、また言語学や民俗学などにも普通一般にみられる特質でもあり、その変容流動性と原典尊守性の相剋は、むしろファンタジーらしい有機性でもあるのかもしれません。

出典知識はマナーや気づかいとしてあるといいけど、出力としては最終的には適当でいんじゃね、ということで3月の聖パトリックデーなんかも軽いロルねた程度にいいかもですね。緑色のもの身に付けたり、緑色に着彩した不気味ビール飲むの。
12月の聖ルシア祭とか。白いドレスで頭にろうそく立てるの。丑の刻参りか八つ墓村めいて。八つ墓村は懐中電灯ですか。
たぶん旅芸人ルトナ的にはユールの市もですが、秋のミクルマス(聖ミカエル祭)とか、春のイースター(復活祭)あたりに立つ大市なんかも稼ぎ時なのでしょう、裏設定というかイメージとして。



でひさしぶりに出て興奮でもしてたものか、背後の手空いて朝方、余勢を駆ってチルアウト最後っ屁いれちゃってみました。即席なものでシラブル揃えてないから、あのまま節に乗せては歌えない低クオリティ仕様で出したのは忸怩だけど。
パーティー終わって誰もいない城に音楽だけ流れている心象風景はレッドフォードがやった華麗なるギャツビー冒頭、狂騒の1920年代への愛惜も思わせる、あの祭りのあと感などもちょっとよぎります。
歌は103番ザ・ファースト・ノエル(まきびとひつじを)の歌詞抄訳から入って後半自作で実に適当です。讃美歌は元来がそうしゃっちょこ張ったものでもないはずながら、真面目な信徒の方いらしたらごめんよ。
「さすらいびと」と言ったらカインのこととかですが、ここでは単に旅人、冒険者なんかをイメージしてるだけですが、西を目指して行く巡礼団には、エデンの東へ逐われたカインが西を振り替える失楽園の望郷感が重ならなくもないというところでしょうか。無理矢理ですけど。
しかし見直すと「丘のすそには丸木小屋、窓辺にゆれるろうそくの」とかのあたり、心象風景シチューのCMですな(笑)
 

2014.12.27 (Sat) 22:40
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