「やあ」
「どうぞお帰りください」

笑顔のまま率直な気持ちを口にすれば、ゆるりと笑みを貼り付けた美しい男が、冗談は顔だけにしろと言わんばかりに「はっはっは」と光忠を笑い飛ばした。思わず口元が引き攣る。血の気の多い組織の中でも穏健派と言われることが光忠自身、ある種の美徳と自負するところだったが、考えを改める必要がありそうだ。
白昼堂々、余所の車が織田家の前に止まったと連絡が入った。長谷部や大倶利伽羅、他の幹部が不在の今、組の指揮を取るのは必然的に留守を預かる光忠だった。とは言え、聞かされたナンバーと外観には覚えがある。定期的に屋敷を訪れ、悠々と茶を飲み、織田を引っ掻き回す三条の組長を思い浮かべながら、予想が外れるよう強く祈ったにも関わらず現実は非情だった。
光忠の頭痛の原因とも言える男の名は三日月宗近。京都を基点とする三条の組長を数年前に引き継いだ若い男だった。確かに織田と三条は対立する理由もなく、利益を尊重し合う中々に良好な付き合いを続ける間柄だが、一方のトップが易々と余所の本拠に乗り込むのは頂けない。もともと組長同士が知り合いだったらしい先代とは時代も状況も異なる。前々から真しやかに囁かれているが、最近は専らの噂だ。「三条の三日月は織田のひとり娘に執心らしい」と。
当然のように三日月は娘の名を口にする。以前、「気を付けろ」と言い放った薄い唇は、何も出来ない世話役の男を嘲笑うように吊り上がった。安い挑発だと光忠は思う。しかしその、安い挑発に苦虫を噛み潰したような最低の気分に襲われる自分は、さぞ滑稽だろうと思う。
お嬢は留守ですよ、三日月さん。ならば通せ。そういえば今日は稽古の日ですから、日を改めては如何ですか。くどいぞ、燭台切。
文字通りの一瞬即発。双方の笑みが余計に恐ろしい。周囲に控える両組員も、上役の張り詰めた空気に感化されたのだろうか、懐へと手を突っ込んだ。その直後。

「やめなさい、光忠」
「っ、ナマエちゃん!」

一声、らしくない光忠に下がれと命令したナマエは、そのまま視線を織田の組員へ向け、首を振った。真っ黒なスーツの内側に隠された、真っ黒な銃。それを手にしたまま引き抜いた瞬間に、二組の均衡は崩れ去る。人目や時間――否、そんな些細なことは気にするだけ無駄なのだから、織田は三条に武器を向けなかった、その事実さえ守れたのならば十分だ。
苦々しい表情をする光忠と相変わらずの薄い笑みを浮かべる三日月。その場の状況を大体は把握したナマエは、長谷部を連れなかった数分前の自分を褒め称えたい気分だった。
茶道の稽古場からの帰路、長谷部が運転する車から窓の外を眺めていると、スマートフォンに着信が入った。宗三からのショートメールだ。本文には端的に「三条の組長がウチの方へ車を出したそうですよ」と書かれている。組織のトップが動くということは、必然的に行動を周囲へ把握される前提のものだと言える。その逆も然り。つまり三日月は、目立つ行動をすることにより、遅かれ早かれ織田に向かうことをナマエに知らせているつもりなのだろう。とても意地の悪いことに。「俺も行きます」と食い下がる長谷部を無理やり説き伏せ、待機を申し付け、着物を引き摺るように足を進めたのなら、案の定。
始終を他人事のように見た三日月は、満足気に笑いながら軽く右手を挙げた。同時に、三日月の後ろに控えていた三条の数名が、何を入れているのかも知れないジャケットのポケットから手を抜いた。ひっそりと安堵しながら、ナマエは三日月の眼前へ歩み出る。
相変わらず、美しいひとだと思った。幾年の歳月を経ても変わらない魅力は、いっそ恐ろしいとさえ思った。

「ご無沙汰しております、三日月様。あまり顔を出せず申し訳ございません」
「他人行儀は止せ、ナマエよ。会いたかったぞ」
「お戯れを。生憎、父は暫く家を……」
「ナマエ。俺は同じことを二度は言わん」

いつの間にか目と鼻の先まで近付いた三日月が、ナマエの頬に触れる。世辞など要らん、辞儀も要らん、顔を見せろと言わんばかりの無意識の傲慢さは、少なからず織田の組員の反感を買った。普段は穏やかな顔が一変、今にも手を出しそうな光忠を制しながら、ナマエは三日月の掌を掴み、そっと剥がす。露骨に残念そうな顔をする三日月に恭しく頭を垂れた。

「ようこそいらっしゃいました。宗近さん」





ナマエの淹れた茶を飲みたい。遠慮という言葉を知らないらしい三日月の一言により、茶室へ通すことが決まった。「離れの個室に三日月とお嬢を二人きりにする訳にはいきません」と渋る長谷部と光忠を説得するのに暫くの時間を要したが、結論から言えば外に長谷部を待機させることに落ち着いた。過保護も考えものだ。
湯気が立ち上る抹茶の味を堪能しながら、三日月は徐に口を開く。学校は楽しいか。友達は居るか。そんな伯父が姪の心配をするような質問を幾つかされ、戸惑いながらもナマエが正直に答えると、満足気な笑みを返される。小さな、違和感。

「あの、宗近さん」
「なんだ」
「……本当にわたしに会いに来たの?」

瞳の奥の欠けた月が笑ったような気がした。三日月は何も言わなかった。
三日月が何かと織田に理由を取り付け、定期的にナマエの顔を見に来ていることは周知の事実だった。物理的な距離も、置かれた立場も意に介さず、ナマエの存在を知った「あの日」から三日月はひとりの娘を大層、可愛がるようになった。
自分の娘のように。それとも。

「お嬢。少々よろしいですか」

沈黙を破ったのは外に控えている長谷部だった。何故か安堵したことを不思議に思いながら、ナマエは閉ざされたままの障子に薄ぼんやりと浮かぶ人影を見た。

「来客中よ。下がりなさい」
「組長からお電話です」
「父様から? わかった。ごめんなさい宗近さん。席を外しても構わないかしら」
「……いや。そろそろお暇しよう。邪魔をした」

さっさと帰り支度を始める三日月に驚いたのは、ナマエだけではなく長谷部も同じらしい。しかし呆気に取られた一瞬の後、障子を開け、下駄と靴を並べ、「段差にお気を付けください」と言いながらナマエに手を差し出した。大人しくその手を取り、下駄を履く。
スマートフォンの電源を切っていた為か、家電に掛かったらしい。お見送り出来ずごめんなさい。言いながら足早に歩き出すナマエを、三日月が呼び止める。

「来月が誕生日だったろう。いくつになる」
「? 十七です」
「十七……。そうかそうか、もう十年か」

首を傾げるナマエに「早く電話に出てやれ」と呼び止めたことを詫びる。今度こそ家の中へ入ったことを確認した、その途端に。鋭い視線が突き刺さる。三日月はその視線の持ち主を、嫌という程よく知っていた。

「そう睨むな織田の犬。『楽しみだ』とナマエに伝えておいてくれ」

アダムトヰブ戦争

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