「ミョウジ」
「…………」
「……ミョウジさん」
「…………」
「俺が悪かったから、返事をしてくれ」

言いながら機嫌を窺うように顔を覗き込む。運転中とは言え一瞥さえ寄越さないミョウジの徹底ぶりに、降谷は口元を引き攣らせた。滅多に口にしない謝罪も、男が女に赦しを請う間抜けな絵面も。至極お怒り中らしい部下には一蹴された。
事の発端は警察庁に侵入した組織の一員に、機密情報を盗まれたことだった。組織の女――「キュラソー」というコードネームを与えられた超人的な身体能力を持つ女は逃走の際、事故に遭い記憶を失った。盗まれた情報はノックリスト。つまり、世界中の暗躍するスパイの名簿だった。当然ながら組織に潜入し、能力を買われ「バーボン」というコードネームを与えられるに至った降谷自身にも危機迫る一大事だ。金と労力を費やした数年間を無駄にするつもりは更々ない。
結果的に言えば、降谷は組織に暗殺されず、無事に疑いを晴らすことが出来た。東都水族館の観覧車崩落に巻き込まれたらしいキュラソーの遺体を確認したとの連絡を部下の風見から受け、ほぼ同時に、ベルモットからもキュラソーが組織を裏切る直前に確認が取れ、ラムからバーボンとキールの処分を見送るとの命令が下ったことを知らされた。
正直に言おう。無理をした自覚はあった。キュラソーを巡り、組織の連中に加え、赤井秀一も出てくる始末。降谷は赤井と対面すると頭に血が上り、冷静さを欠く自覚もあった。日本を我が物顔で闊歩する赤井たちFBIよりも先に、という気持ちが先走ったことは否めない。勿論、それだけの綺麗事では済まない事情があることも否めない。
キュラソーの一件に片が付いたらミョウジに連絡を入れることは前々から決めていた。散々あれそれと命令し仕事を増やした癖に事後報告をしない上司は流石にどうかと思うし、ミョウジなら直接指示を出さずとも現場に来ることは分かっていた。「終わった」と一言のショートメールを送ったのなら、想像通り「迎えに行きます」との二つ返事が返ってくる。詳細を口にせず第三者に伝わるのは、長年の付き合いの利点だと実感する。
車内を微かに流れるのはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲――記憶が正しければモーツァルトだった筈だ。ミョウジ曰く、歌の入った音楽は集中出来ない為、苦手らしい。年甲斐もなく口を尖らせ続ける部下に溜め息を吐きながら、慣れた手付きで停止ボタンを押すと「何をするんですか」と言わんばかりに横目に睨まれる。ようやく視線を合わせたミョウジに対し、無言のまま前方のコンビニの看板を指差すと若干の間を空けた後、ウインカーを左に出した。降谷の意図するところは察したようだ。
車はコンビニの駐車場の店内からは視認出来ない、離れた一角に止まった。降谷は相変わらず無言のままの部下の名前を呼ぶ。

「おい、ミョウジ。いい加減に――」
「怪我は?」
「はあ?」
「……痕が残りそうな怪我はあるんですか」

淡々と報告書を読み上げるような事務的な口調は、胸の内を這いずり回る複雑な感情を抑え込んだようにも感じられた。少なくとも、降谷には。「それ」は部下が上司を心配する純粋な気持ちなのか、一線を越えた別の気持ちなのかは分からない。しかし「それ」をミョウジに向けられる分には正直、悪い気はしなかった。

「ないよ」
「うそ」

端から信用していませんと言わんばかりの間髪入れずの言葉に、降谷は思わず不服そうな視線を投げた。ようやく正面から見たミョウジの目は、うっすらと赤かった。原因が自分なのは百も承知だから、わざわざ口にするような無粋な真似はしない。

「本当だよ。そんなに心配なら後で見れば良い」
「……右頬に血を拭った跡がありました」
「額を切ったんだ。意識はハッキリしてるし、そんなに言うなら病院も行くよ」
「当たり前です。行かなかったら首輪を付けて、飼い犬よろしく連れて行きますから」
「それは嫌だな」

ミョウジの冗談とも本気ともつかない嫌味ったらしい台詞は、彼女なりの発散方法なのだと思う。立場上、激情のまま吐き出すことの出来ない怒りや煩いをほんの少しの文句を呟くのみに止めるのは、賢い選択に違いない。しかしながら、女としては可愛げの欠片さえないことも間違いない。
「可愛くない」と反射的に口にすれば「そんな可愛くない部下を可愛がっているのは降谷先輩でしょう」といつものように返される。同時に常温のミネラルウォーターを手渡され、ミョウジ自身は随分と結露が進んでいる缶のプルタブを開けていた。冷たいものを買ったのなら早々に飲めば良いのに。恐らくは無意識の行動が本当に、敵わない。
カフェオレと書かれたスチール缶がゆっくりと差し出される。降谷もキャップを開けたペットボトルをミョウジの方へ差し出した。緊張が解けたように笑い合い、ガゴンと奇妙な音を鳴らしながら互いのグラスを重ねた。

「おかえりなさい、降谷先輩」
「ただいま、ミョウジ」

ロマンス・イン・ザ・ナイトメア
16'0611

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