部誌を書き終え、間延びした声と共に伸びをすると背骨から軽い音が鳴った。綺麗に磨かれ、所狭しと並べられたトロフィーや盾の数々を眺めていたナマエは、「お疲れ様」と俺に労わりの声を掛ける。
飾り気のない運動部の部室が、ナマエには美術館の特別展と同じくらいの目新しさがあるらしい。テニス部の部室に足を踏み入れること自体、片手に足りる程度しかない筈だから、当然と言えば当然なのかもしれないが、俺には見飽きた部室内を楽しそうに眺める様は、なんとなく可笑しかった。
部外者の立ち入りを制限するのは尤もだし、更衣室も兼ねる個室に女の子を招き入れるのは常識的に宜しくない。世論は理解できる。しかしながら今は、口煩い副部長は居ないし、ルールに厳しい眼鏡の紳士も居ない。部のために日々の記録をする部長の多少の我が儘くらいは見逃して欲しいものだ。
俺が手招きするとナマエは素直に従った。「なに」「おいで」腰を掛けたまま椅子を引いた俺の目の前に立つように促し、腰を掴んで有無を言わさず反転させ、力任せに引き寄せる。不意を突かれたナマエは小さな悲鳴を上げながら、俺の左右の足の間に倒れ込んだ。やわらかい体を後ろからぎゅうと抱き締める。

「……精市さん?」
「なあに。ナマエさん?」
「学校だよ」
「駄目?」
「……駄目じゃない」

消えてしまいそうなくらいのか細い声に、ゆるゆると頬が緩む。恥ずかしそうに俯いてしまったナマエが目を合わせられない状態なのは言うまでもないが、俺自身もテニス部の仲間たちには到底見せられない、間の抜けた顔をしているのだろうと思った。
髪の隙間からうなじが覗いた。背骨のてっぺんが浮いているように見える。肩ほどの長さに切り揃えられた髪の一部が、薄っすらと汗ばむ首筋に張り付いていた。熱いのに暑いとは思わなかった。部活終わりの、俺の高めの体温が伝播してしまい不快だろうに、暑苦しい抱擁を受け入れてくれるナマエが愛しくて――思わず鼻先をすり寄せると、俺の腕を掴む指先の力が強まった。ナマエの声にならない悲鳴を聞いたような気がする。

「ナマエの匂いがする」
「あ、汗臭いよ……?」
「ううん。そんなことないよ。俺は好き」
「…………うそ」

素直な気持ちを口にした筈なのに、ナマエからは引いたような言葉が返ってくる。女の子を褒めるのは難しい。
以前に俺のレギュラージャージを羽織りながら「精市の匂いがする」と嬉しそうに言われたときは、臍の下辺りが疼くような、脳が痺れるような、得も言われぬ感覚を味わったのに。肌に触れたくて、抱き潰したくて、堪らなかったのに。ナマエには持ち得ない感情らしい。
「女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かで出来ている」と歌った歌詞がある。俺はナマエが砂糖菓子のように壊れ易くなく、甘ったるくもないことを知っている。か細いながらも丈夫な骨があり、やわらかな肉が程良く付き、薄い皮膚を舐めたのなら、しょっぱいことを知っている。
べろり。うなじを伝う水滴を舐め取ると想像通りの味がした。同時に、今度こそ悲鳴を声の形にしたナマエが、俺の腕を振り解き、パイプ椅子に躓きながら立ち上がる。あまりに必死だったから手を離した。もしも繋ぎ止めたままだったのなら。後ろから包み込むように抱き締めたままだったのなら。こんなに可愛い顔をしたナマエを、俺は知らないままだった。

「顔、赤いよ」
「精市のせいだよ。ちなみに精市もいつもより血色良さそう」
「俺もナマエのせいだからお互い様だ。ねえ、この後はどうする?」
「どう、て?」
「……おいで?」
「…………それ、ずるい」

言いながら飛び込んできたナマエを今度は正面からぎゅうと抱き締めると、うなじの代わりにつむじが見える。ぐしゃぐしゃに掻き乱したい衝動を抑え、俺よりも華奢な体を閉じ込めるように腕を引いたのなら、完全に預かり切ったナマエの全部が愛しくて嬉しくもあった。
おれはぜんぶきみのせいだ。じゃあわたしはぜんぶあなたのせいよ。
顔なぞ全く見えない筈なのに。お互いの笑みが目に浮かぶものだから、可笑しかった。

恋慕もお気の召すままに
17'0716

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