「綺麗やなあ」

思わず、天ぷら蕎麦を食べる手を止めた。器から視線を上げたのなら、早々にカツサンドを食べ終えた隠岐が、パックのカフェオレを啜りながら微笑んでいた。甘ったるい液体を嚥下し、頬杖をつき、ナマエをまっすぐに見つめ、再び口にする。綺麗やなあ。
既視感のある言葉。頭が痛くなるのを感じながら、ナマエは恐る恐る問うた。

「……なにが?」
「ナマエさんが。顔はもちろん美人さんやと思うけど……雰囲気かなあ」
「例えば?」
「箸の持ち方めっちゃ綺麗」
「苦しくない? それ」
「ほんとですよ。でも一番は弧月抜いたときやなあ」
「関西人は口が上手だから困るわ」
「ええ。冗談ちゃうのに」

「おれがナマエさんに嘘つく訳ないやないですか」「褒めてるんすわ」云々。言い訳にもならない主張をする隠岐を黙殺し、ナマエは蕎麦つゆに浮かぶカボチャの天ぷらを摘み、一思いに齧り付いた。衣のザクザクとした触感とカボチャの甘みが堪らない。ランチタイムを存分に楽しむナマエに対し、無視され続ける隠岐は不満そうだった。

「ナマエさん、おれの扱い辛辣すぎません?」
「食事中だもの」
「……天ぷら蕎麦に負けるとは思いませんでしたわ」

溜め息を吐きながら項垂れる隠岐と我関せずと言わんばかりに蕎麦を啜り続けるナマエ。端から見たのなら、面白可笑しい光景に違いない。温厚な隠岐が、怨めしそうに蕎麦を睨み付けるものだから尚更だった。
「綺麗」は隠岐がナマエを口説くときの常套句だった。聞き慣れない言葉に最初こそ困惑したが、頻繁に口にする隠岐を変に意識するのは止めた。「綺麗に戦うひとが居てるなあと思って」――言いながらにっこりと笑い掛けられた日のことは、半年ほど前の筈なのに、昨日のことのように鮮明に思い出せる。
或る日、ナマエは那須隊の熊谷友子と模擬戦を終え、ブースを出ると早々に、見慣れない関西弁の男に話し掛けられた。何の用なのかを尋ねると例の言葉を口にしたものだから、「なにこいつ」と身構えてしまったのは仕方がないことだろう。「隠岐がナマエさんナンパしとる」「イケメンがナンパすな」と顔見知りだった生駒・水上からの野次が入り、彼らのチームメイトと思われる男と必要以上の言葉は交わさなかったのだが、熊谷曰く、大阪からボーダー本部にスカウトされた狙撃手らしい。派手な色のサンバイザーと関西弁に気を取られ、イケメンと称されていた顔をほとんど記憶していなかった覚えがある。
ナマエさん。再び名前を呼ばれ、我に返る。いまは飽きるくらい見慣れてしまった隠岐の顔が相変わらず、やわらかい笑みを作っている。

「楽しみは最後に取っておくタイプでしょ」
「……だったらなにかあるの?」
「おれもです。……その海老天、ふにゃふにゃとちゃいます?」

いつの間にか箸を止めてしまっていたナマエが、最後のお楽しみと言わんばかりに残しておいた海老の天ぷらを摘み上げると、水分を多量に吸い込み、重力に負けた衣が剥がれ落ち、次々と蕎麦つゆの中に落下した。丸裸になった海老が、ナマエと隠岐の眼下に晒されている。
口にはしなかったが、残念そうに剥き海老を見つめるナマエが面白かったらしい。隠岐はクツクツと肩を震わせながら、赤いサンバイザーを深く被り直した。

「可愛いなあ」
「はいはいありがとう」
「また冗談やと思っとる顔やないですか」

幾度も贈られた世辞を冗談と思わず、何を思えば良いのだろう。そもそもナマエの反応を期待していなかったらしい隠岐は、「明日のランク戦、楽しみにしてますわ」と言い残し、食堂の雑踏の中へと姿を消した。
ただの海老を咀嚼しながら、ナマエは若干の悔しさを一緒に噛み締めていた。ふやけてしまった衣を一欠けら口にしたが、案の定。たっぷりの蕎麦つゆを吸い込んだ衣は隠岐の言葉の通りふにゃふにゃになってしまい、美味しくなかった。





やられたと思った。
生駒隊VSミョウジ隊、戦局は終盤。生駒の首を刎ねる代償に斬り落とされた左腕を一瞥し、ナマエは狙撃手の癖に大っぴらに姿を現した隠岐を睨み付けた。絶好の好機だった。生駒の旋空弧月を受け、バランスを崩した無防備なナマエを落とすには、二度とない機会だった筈なのに。グラスホッパーを使った隠岐が上空から撃ち落としたのは、ナマエの後方に居た射手だった。
フィールドに残されたのはナマエと隠岐のふたりだけ。片腕を失ったとは言え、両足が生きている攻撃手と狙撃手の優劣の差は、早々簡単に埋まらない。攻撃手のナマエを先に落とすべきだったと皆が口を揃えるだろう。言い訳すら出来ない隠岐の判断ミスだ。
しかしながら、ナマエは隠岐の愚行の意味を理解した。本当に頭が痛い。

「わざとでしょ?」
「バレました? ひさしぶりのランク戦やったから我慢できんかったんやもん」
「……悪趣味」

言いながら、瓦礫の陰にグラスホッパーを出す。隠岐の思惑を汲むような展開になるのは癪だが、遠慮するつもりは更々ない。ナマエが弧月を構えると、隠岐もスコープを覗き込んだ。欲望のまま私欲を優先するような男だとは思わなかったが、本当に勝つ気があるのかもしれない。スコープの奥の蒼い目が、爛々と好戦的な輝きを放っている。
ナマエさん。恍惚とした吐息と共に、唇がゆるやかに動いた。

「綺麗に斬ってや」

アンビバレンスナイフ
17'0910

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