「見いつけた」

かくれんぼの常套句に、安眠を妨害された筈の凛月くんは「ふふふ」と嬉しそうに笑った。
築二十五年・三階建のアパートの一室。ひび割れが目立つコンクリートの階段を上がり、吹き曝しの通路を左に曲がった突き当たりの部屋が、わたしの家だった。芸能人の端くれが住んでいるとは思えない、実に普通の住宅街だ。わたし自身、ひとのことを言える立場じゃないが、いわゆる『ボロアパート』にKnightsの朔間凛月が居るのはあまりに不釣り合いなものだから、薄汚れた壁紙を背負う凛月くんは合成写真のように現実味がなかった。
愛用の枕を踏み潰し、あまつさえ女物のふわふわルームウェアを勝手に着用する自称・吸血鬼は、悠々とわたしのベッドを占領しながら、盛大に欠伸を零した。涙の膜が張った目をぱちぱちと瞬かせ、ベッドの端に肘を付くわたしの頭を、もしゃもしゃと無遠慮に掻き回す。

「俺のこと探すの上手になった? いい子いい子〜」
「……かくれんぼしてるつもりはないんだけど」
「ちゃんと見つけてくれるのはナマエとま〜くんだけだよ」
「今日は浴槽の中に隠れてた訳じゃないから普通だと思う」
「あのときはぜんぜん見つけてくれないから俺から会いに行ったのに、ナマエは幽霊だと勘違いするし、石鹸やらヘアスプレーやら手当たり次第に投げ付けてくるし……。俺は幽霊じゃなくて吸血鬼なのに。酷いよねえ。思い出したら傷ついちゃった。慰めて?」
「ええ……」

上機嫌の凛月くんに腕を引かれ、受け身すら碌に取れず、ベッドへ雪崩れ込んだ。抱き枕のようにぎゅうぎゅうと抱き締められる。意外と力が強いらしい凛月くんに抱擁されるとトキメキより命の危機を感じてしまうのは、人間の本能なのだと思う。

「凛月くん苦しい」
「え〜? 俺は気持ちいいよ」
「痛たたた」

じゃれあいながらギブアップと背中を叩いたのなら、今度は丸い頭が鳩尾をぐりぐりと攻撃する。今日の凛月くんは甘えたい気分らしい。どちらかと言えば人肌に甘えたがるタイプだから、べたべたと纏わり付く凛月くんは珍しくないが、ひさしぶりだった。
為すがままのわたしに満足したのだろう。凛月くんは鼻歌を口遊みながら、わたしの体温を根こそぎ奪い始めた。凛月くんの手は無機物のように冷たい。太ももやら、お腹やら、首筋やらを擽るように手を這わすものだから、わたしの肌は粟立ちっ放しだった。
「ひっ」と思わず口を出た悲鳴に、真っ赤な目が蕩ける。歪んだ唇から薄っすらと尖った歯が覗く。どうしよう。意図せずスイッチを入れてしまったのかもしれない。微笑む様は天使なのに、わたしには二本の角を生やした悪魔に見えた。

「……明日、下着の撮影なの」
「へえ。だから?」
「…………やめない?」
「やーだ」

語尾にハートマークが付きそうなくらい甘ったるく拒否され、名前を呼ばれ、かぷりと凛月くんの顔を押し退けた指先に噛み付かれる。とは言え、甘噛みのように肌の上をなぞる程度のものだったから、一蹴した割にはわたしの都合のことを考えてくれるらしい。
ちゅっちゅと可愛らしい音を鳴らしながら、指から手のひら、手のひらから腕へと唇が這い上がってくる。早々に首筋へ辿り着き、腕を回されたと思えば、至近距離に凛月くんの綺麗な顔があった。常日頃と比べ、随分と血色の良い頬が、不平不満を思い出したように膨れる。

「最近、ナマエが冷たい」
「そんなことない」
「ス〜ちゃんとはデートしたくせに」
「ロケの下見だよ」
「セッちゃんともごはん一緒に食べたでしょ」
「共演してるドラマの打合せ」
「明日の撮影が兄者と一緒なの、ほんと?」
「……誰だ、バラしたの」

凛月くんが面倒臭いのはいつものことだが、兄の零さんが絡むと殊更に面倒臭さが増す。やだやだと子供のように我が儘を言う凛月くんに溜め息を吐き、指先を軽く動かし、艶々の黒髪を梳いた。幼馴染のま〜くんの苦労を思い知った気がする。いつもご苦労様です。次に会ったときは存分に労わろうと心に誓った。

「明日の撮影、断ってよ」
「むちゃくちゃ言わないでよ」
「ほぼ素っ裸じゃん、ナマエ。それなのに兄者とべたべた引っ付くんでしょ。浮気者め」
「あのねえ……」

自分が責められるとは思わず、膨れっ面の凛月くんを突きながら、首を傾げた。いつもなら「一緒に撮影するついでに兄者に蹴り入れてきて」くらい言う筈なのに。本日の立腹の矛先はわたしだった。兄同様、浮世離れした雰囲気の凛月くんは、人並みの執着なぞ持ち得ないと誤解していたものだから、意外や意外。

「普通に妬くんだ」
「ナマエはもうちょっと俺に愛されてる自信を持った方がいいよ」

完全に不意打ちだ。押し黙るわたしを不審に思った凛月くんが、顔を覗き込もうとするのを防ぐため、ぺったんこになった枕を投げ付ける。「なにするの」「こっち見ちゃ駄目」「なんで」「顔、赤いから」「ふうん」……絶対に面白がっている。顔が見えないのに、凛月くんの面白可笑しそうな表情が目に浮かぶ。得体の知れない物体――お手製のお菓子を作るときと同じ、いまの声色は『そういう』声色だった。

「ナマエは十分に俺のお世話してるつもりかもしれないけど。まだまだ足りないんだよねえ」

言いながら、凛月くんはわたしを再びベッドへと溺れさせた。海の水底に沈むように息が出来ないのも、身動きが取れないのも、真っ赤な目を爛々と瞬かせた吸血鬼が、目の前のご馳走を食べようと牙を覗かせているからに他ならない。点々と薄茶色の染みが見える黄ばんだ天井が、黒髪のカーテンに隠れた。後は心の赴くままに食べられるだけ。

「もっと、もおっと。俺のこと構ってよ」

仕方ないなあと甘受してしまうわたし自身、ま〜くんと同じように大概なのだと思い知った。

隠恋慕
17'1027

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